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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
過去編:黒蓮の日常

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巡る四季と、決別の刻(とき)

 起死回生の劇薬『鏡花きょうかしずく』。

 

 私自身が完全な耐性を持ちながらも、極限まで毒の量を増やして自らの身体で試し、ついに完成させたその薬は、私たちがこの血塗られた暗殺一族の檻から抜け出すための、たった一つの希望の結晶だった。

 

 冷たい石造りの小瓶の中で揺らめくその透明な液体は、一見するとただの澄んだ水のようにも見える。

 だが、この数滴が私たちの運命を分けるのだ。


 小鈴シャオリンちゃんへの人体実験を経て、首元に現れる鈴蘭の模様が時間を刻むように一時間ごとに一輪ずつ散っていくという特性まで完全に把握した今、劇薬としての準備はすべて完璧に整っていた。

 

 あとは、それをいつ、どこで使うかという最大の問題だけが残されている。


 夜更け、自室の重い木の扉にしっかりとかんぬきを下ろし、私と小鈴ちゃんは寝台の上で身を寄せ合っていた。


 ランプの灯りを極限まで落とし、外を歩く見張りの足音に細心の注意を払いながら、誰の耳にも届かないほどの囁き声で幾度目かの密談を交わす。


「……やっぱり、外に出るタイミングは任務の時しかないわよね」

「うん……。屋敷の中にいる時に使っても、絶対に無理だもんね。すぐに黒蓮の者たちに見つかって、死体を隅々まで調べられちゃう」


 小鈴ちゃんの言う通りだった。

 

 私たちが確実に逃げ遂せるためには、ただ仮死状態になるだけでは足りない。

 

 息を引き取り、一時的に死体となった後、安全な場所で目覚めるまでの時間を稼ぐ必要がある。

 

 もしこの屋敷内で『鏡花の雫』を使えばどうなるか。

 

 黒蓮の者たちは、身内の突然死を決して自然なものとは見なさない。

 

 徹底的な死因究明が行われ、脈が止まっていること以上の異常――毒の痕跡や、仮死状態特有の微かな『脈動』――を鋭い目で見抜かれるだろう。

 

 何より、あの狂気じみた蓮夜レンヤの目を欺けるはずがない。

 

 彼が私たちの「死」を前にして、ただ静かに弔うなどあり得ない。

 

 最悪の場合、死体を切り刻んででもその理由を探ろうとするかもしれない。


 途中で息を吹き返したことがバレれば、今度こそ二人とも、骨の髄まで黒蓮の深い闇に沈められ、二度と自我を保てないほどの過酷な地獄を味わうことになる。


「だからこそ、『任務中に不測の事態で命を落とした』という、誰の目にも明らかな完璧な偽装が必要なの。……疑う余地のない状況で死に、敵の手によって不要な死体として処理される。それしか道はないわ」

「そうだね。……ここまで耐えてきたんだもの。絶対に妥協はできないよ。一歩間違えれば、本当の死よりも恐ろしい運命が待っているんだから」

 

 私は冷たい小瓶を両手で包み込むように固く握りしめ、小鈴ちゃんと深く頷き合った。

 

 どんなに焦ろうとも、自然な流れでなければ必ず疑われる。私たちは、作戦を決行できる「条件」を細かく洗い出していった。

 

 まず、標的の周囲に複数の人間がいること。

 

 私たちの死を紛れもない事実として「任務失敗によるもの」と証言してくれる目撃者が必要だ。


 次に、その死体が黒蓮の者の手に渡る前に、敵側によって素早く処理、あるいは遺棄される環境であること。

 

 これが最も難しい条件だった。

 

 任務の内容から、作戦を実行した後の自分たちの身体がどう扱われるかまで、慎重に、幾度も思考を繰り返さなければならなかった。


 それから、私たちはただひたすらに「その完璧な時」が訪れるのを待った。

 

 死の匂いしかしない黒蓮の屋敷にも、外の世界と同じように平等に季節は巡っていく。

 

 中庭に積もった重い雪が溶け、足元が泥に塗れる冷たい春が過ぎる。


 蝉の声すら届かない静寂の中で、息の詰まるような熱気だけを帯びた夏が来て、やがて、まとわりつくような血の匂いを冷たくかき消すように、秋の木枯らしが吹き抜けた。


 そして再び、吐く息すらも真っ白に染め、全てを凍てつかせるような厳しい冬がやってくる。

 

 その果てしなく長く感じられる時間の中で、私たちは心を完全に殺し、命令されるがままに暗殺の任務をこなし、蓮夜の歪んだ執着と狂気に耐え続けた。

 

 標的を罠にかけ、毒に苦しみながら倒れ伏す姿を見届けるたび、裏で命を救っていると分かっていても、小鈴ちゃんは自室で声を殺して泣いた。

 

 私もまた、解毒していたとしても自分の手が黒く汚れていくような錯覚に何度も苛まれた。


 お母様がいなくなってからの黒蓮の生活は、以前にも増して息苦しく、常に死の影が付き纏っていた。

 

 首元に浮かび上がる鈴蘭が一輪ずつ散っていくあの現象の通り、私たちの心もまた、一日一日と確実にすり減っていくようだった。


 限界はすぐそこまで来ていた。

 

 それでも、お母様は必ずどこかで生きているという確信と、小鈴ちゃんと二人で絶対にこの闇を抜け出し、明るい陽だまりの下を歩くのだという強い誓いだけが、私たちが正気を保つための唯一の命綱だった。


 この絶望的な日々の先に、必ず光があると信じなければ、到底立ってなどいられなかった。

 

 焦ってはいけない。


 少しでも条件に不安のある任務で実行すれば、全てが水泡に帰す。

 

 幾度となく訪れた任務の中で、「今日こそ」と逸る気持ちを必死に押さえ込み、私たちはじっと歯を食いしばって好機を窺い続けた。


 そして――。

 

 長く厳しかった二度目の冬がようやく終わりを告げ、再び僅かな春の気配が風に混じり始めようとしていた、ある日のこと。


 「凛花。小鈴」

 

 重い扉を乱暴に開けて現れた蓮夜が、一切の感情を読ませない冷たい声で私たちの名前を呼んだ。その手には、見慣れた任務の指示書が握られている。


「次の任務だ。今回はお前たちも同行しろ。……今回の標的は、厳重な警備を敷いている地方領主だ。お前たちのその見せかけの愛嬌で、懐に潜り込んでこい」

 

 蓮夜の冷たく鋭い眼光が、私たちを値踏みするように舐め回す。背筋が凍るようなその視線を受け流しながら、私たちは恭しく頭を下げた。


「はい、蓮夜様」

「くれぐれも、俺の顔に泥を塗るような真似はするなよ。失敗すればどうなるか……言わなくても分かっているな」

 

 彼が冷たい石の机の上にバサリと広げた見取り図と、標的の情報を記した書簡。

 

 それを一読して任務の全貌を理解した瞬間、私と小鈴ちゃんは、背後に立つ蓮夜に決して悟られないよう、ほんのわずかに視線を交差させた。


(……これだわ!)

 

 私の心臓が、誰にも聞こえないほどの大きな音で、早鐘のように鳴り始める。

 

 しかし、顔の筋肉は微塵も動かさない。

 ただ冷たい石の床を見つめたまま、私たちは従順な暗殺者の仮面を被り続けた。


 周囲の地形状況。

 標的となる領主の別邸を取り囲む深い森。

 警備の配置と巡回。


 私たちの役割。そして何より、私たちが倒れた後の『死体の処理』がどう行われるかという、外部の環境。

 

 領主の別邸の裏には、罪人や行き倒れを無造作に捨てるための寂れた林があるという情報が、見取り図の端に小さく記されていたのだ。


 これならば、死体は黒蓮ではなく領主の護衛たちによってそこへ投げ捨てられる可能性が極めて高い。

 

 私たちが頭の中で何百回、何千回と頭の中で思い描いてきた「完璧な条件」が、そこには見事に揃っていたのだ。

 

 四季が巡り、ついに運命の決断の時がやってきた。

 

 これが、私たちが黒蓮の暗殺者として受ける、正真正銘の『最後の任務』になる。

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