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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
過去編:黒蓮の日常

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『鈴蘭の砂時計――幻の毒「鏡花の雫」』

 蓮夜レンヤが別任務で不在となった、その夜。

 

 私と小鈴シャオリンは、王都の裏で武器の横流しをしているという悪徳商人の屋敷へと潜入していた。


 標的の商人が、私たちが微量の『仮死の毒』を仕込んだ酒を飲み干す。

 

 数分後。商人は苦しむ素振りすら見せず、ふっと糸が切れたように卓に突っ伏し、そのまま完全に呼吸を停止した。


「……終わったわ。見事なものね」

「待って! 触らないで!」


 護衛を始末し、商人の死体を確認しようと近づいた黒蓮の暗殺者たちを、私は鋭い声で制止した。

 

 驚いて振り返る男たちを他所に、私は手袋越しに商人の首元に触れ、襟元を少しだけ引き下げる。

 

 そこには、毒を飲ませる前には絶対に存在しなかった、青白い痣のような『模様』がくっきりと浮かび上がっていた。


「これは……鈴蘭すずらんの花……?」

「ええ。最近、裏社会の商人の間で密かに流行っている奇病よ。伝染うつる力が異常に高く、死体に触れただけでも発病して、同じように全身に鈴蘭の模様が浮かび上がって死に至るそうよ。……まさか、標的がすでに罹患していたなんて」


 私のそのもっともらしい嘘に、暗殺者たちは弾かれたように遺体から飛び退いた。

 

 彼らは刃物での殺しには慣れているが、目に見えない病や毒にはひどく怯える性質がある。


「な、ならばどうする!? このままでは我々にも感染の恐れが……」

「私が責任を持って、深い山奥で遺体を燃やして処理してくるわ。小鈴ちゃん、手伝って」

「は、はいっ!」


 私と小鈴は、恐れおののく男たちを屋敷に残し、商人の体を布で厳重に包んで、誰も寄り付かない深い山奥へと運び出した。


 もちろん、燃やすためではない。

 

 純粋な人間での『効き目を見極める』ためだ。


 月明かりだけが頼りの静かな森の中。

 冷たくなった商人の首元に浮かんだ青白い鈴蘭の模様は、全部で『三輪』だった。


「まさか……人が使用すると模様が出るなんて」

「この模様って鈴蘭かな?お花が咲くんだね」

「ええ、そうね」


 私は商人の脈と呼吸が完全に止まっているのを確認し、砂時計をひっくり返してじっとその模様を観察し続けた。

 

 そして、きっかり一時間が経過した時。

 

 三輪あった鈴蘭の模様のうち、一番端の一輪が、まるで風に吹かれた花びらのように、スゥッと肌に吸い込まれるように消えてなくなったのだ。


「……消えた。一時間で、一輪」

凛花リンカちゃん、これって……」

「ええ。この鈴蘭の模様は、仮死状態から目覚めるまでの『砂時計』よ。一時間ごとに一輪ずつ散っていき、全ての模様が消えた時、恐らくこの人は息を吹き返すわ」


 私の予想通り、さらに二時間が経過し、最後の鈴蘭の模様が完全に消え去った瞬間、 商人は「カハッ!」と大きく息を吸い込み、ビクッと体を震わせて目覚めたのだ。

 

 混乱し、怯える商人に対し、私は冷たく、しかし慈悲を含んだ声で告げた。


「あなたは今夜、黒蓮の毒によって死んだことになっています。このままここから逃げて、二度と王都には戻らないことね。そうすれば、あなたの命は助かるわ」


 這うようにして暗い森の奥へと逃げていく商人の背中を見送りながら、私は確かな手応えを感じていた。

 

 人間にも完璧に効く。

 そして何より、目覚めるまでの時間を『鈴蘭の模様』という形で正確に把握できる。


 これは、脱出計画においてこれ以上ないほどの『決定的な切り札』だった。


 ――ただ、本当の試練はここからだ。

 

 屋敷の自室に戻った私は、全ての準備を整え、小鈴ちゃんを正面に座らせた。


「……小鈴ちゃん。今から、私の体を使って『最後の試し』をするわ」

「えっ……!? 駄目だよ! 凛花ちゃんは、他の人よりずっと毒が効きにくい体質なんでしょ!? もし量がわからなくて、そのまま本当に死んじゃったら……!」


 泣きそうにすがりついてくる小鈴ちゃんの手を、私は優しく握り返した。

 

 幼い頃から少しずつ様々な毒を摂取し続けてきた私の体には、母の飲ませてくれたあの薬のおかげもあって、いかなる毒も『退ける体』ができあがっている。

 

 先ほどの商人と同じ量では、おそらく仮死状態にすらならない。

 

 私自身が確実に仮死状態に陥り、そして指定した時間通りに目覚めるための「私専用の致死量」を導き出すためには、どうしてもこの体で試さなければならないのだ。


「大丈夫よ、小鈴ちゃん。私の計算通りなら、この量で二時間……鈴蘭の模様が二輪分だけ、私は仮死状態になる。もし三時間経っても私が目覚めなかったら……その時は、私が用意した解毒剤を飲ませてちょうだい」


 私はそう言って、小瓶に入った致死量ギリギリの毒を一気に飲み干した。


「あっ、凛花ちゃん……っ!」

「……待ってて、ね……」


 数秒後、急激な寒気と眠気が全身を襲い、私の意識は深い暗闇の中へと沈んでいった。


 ――それから、どれくらいの時間が経っただろうか。

 重い泥の底から引き上げられるような感覚と共に、私はゆっくりと目を開けた。


「……っ、凛花ちゃん! 凛花ちゃん……っ!!」


 視界が晴れると、ボロボロと大粒の涙を流しながら私の顔を覗き込んでいる小鈴ちゃんの顔があった。

 

 彼女の手には、完全に砂が落ち切った二時間用の砂時計が握られている。


「……成功、したみたいね」

「よかった……っ、本当によかった……っ! 凛花ちゃんの首元に、ちゃんと鈴蘭のお花が二つ咲いて……時間通りに消えたよ……!」


 私に抱きついて号泣する小鈴ちゃんの背中を撫でながら、私は大きく、深く安堵の息を吐き出した。

 

 これで、全ての準備が整った。

 人間での効果も、私自身の耐性を計算した投薬量も、そして覚醒までの時間を計る法則も、全てを手に入れたのだ。


「凛花ちゃん。この奇跡みたいな毒……なんていう名前なの?」


 涙を拭いながら尋ねる小鈴ちゃんに、私は小瓶を月明かりにかざしながら、静かに微笑んだ。


「……『鏡花きょうかしずく』よ」


 水面に映る花のように、そこにあるのに触れられず、死に酷似していながら命を繋ぐ、美しくも恐ろしい幻の毒。

 

 私と小鈴ちゃんを、この血塗られた鳥籠から解放するための、たった一つの希望の雫だった。

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