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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
過去編:黒蓮の日常

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密かな調合と目覚め

 お母様が忽然と姿を消したあの日から、さらに数ヶ月という長く重苦しい時間が経過した。


 季節は移り変わり、外の空気は少しずつ肌寒さを帯び始めている。

 

 その間も、私と小鈴シャオリンは決して黒蓮こくれんに疑われるような真似はしなかった。


 私は相変わらず蓮夜レンヤの最高傑作である『従順な妹』という仮面を完璧に被り続け、次々と下される暗殺任務を、冷徹な毒の調合によって感情を交えずにこなしていく。


 彼らの異常な監視の目と、連日のように続く任務の疲労。

 

 それは確実に私の心身を削っていたが、同時に、私たちの最大の目的を隠すための完璧な隠れ蓑にもなっていた。


「……凛花リンカちゃん。見張りの人、向こうの棟に行ったよ」


 深夜。

 冷たい石造りの自室で、扉の隙間から外の様子を窺っていた小鈴ちゃんが、声を潜めて合図を送る。

 

 私は床板の裏から、布に包まれた『それ』を慎重に取り出した。


「ありがとう、小鈴ちゃん。……ついに、基礎となる配合が完成したわ」


 手燭の微かな灯りに照らし出されたのは、小瓶に入った、ほんのりと青みがかった透明な液体だった。

 

 匂いはない。

 味も、おそらく水とほとんど変わらないように調整してある。


 この数ヶ月、任務の合間を縫って少しずつ薬草を盗み出し、一厘いちりんの狂いもなく配合を繰り返してようやく産声を上げた、私たちの命綱――『仮死の毒』の第一段階だ。


「これが……私たちを助けてくれる毒」

「ええ。心拍を極限まで落とし、体温を奪い、呼吸を止める。……でもね、料理と同じで、手順通りに作ったからといって、いきなり客に出すわけにはいかないの」


 私は小瓶を傾け、中身の粘度をじっと見つめながら言った。


「味見が、必要なのよ」

「味見……でも、凛花ちゃんが自分で飲んだら、そのまま本当に死んじゃうかもしれないんでしょ?」

「そう。だから、まずは彼らに手伝ってもらうわ」


 私は、部屋の隅に置いてあった小さな籠を布で覆い隠したまま、手元へ引き寄せた。

 

 中には、厨房の裏手で生け捕りにしてきた、丸々と太った数匹のドブネズミが入っている。


 私はそのうちの一匹を革手袋でつまみ出すと、水滴を落とすための細い竹筒を使って、ほんの一滴だけ『仮死の毒』を口に含ませた。


「……チュッ!?」


 毒を飲まされたネズミは、初めは元気に暴れていたが。

 

 ものの数秒で動きが鈍くなり、やがて糸が切れたようにコトリと床に倒れ伏した。


 小さな胸の上下運動は完全に止まり、体はみるみるうちに冷たく硬直していく。どこからどう見ても、完全な『死骸』だ。


「ああっ……死んじゃった……」

「まだよ。ここからが本番」


 青ざめる小鈴ちゃんの横で、私は砂時計をひっくり返し、手元の紙にネズミの推定体重と、投与した毒の量、そして『死亡』した時刻を細かく書き込んだ。

 

 静寂が部屋を支配する。


 一刻、また一刻と砂が落ちていく。

 

 もしこのままネズミが腐敗を始めれば、毒が強すぎたということ。

 逆にすぐに目覚めれば、効果が弱すぎる。


 絶妙な火加減を求める料理人のように、私は息を殺してネズミを見つめ続けた。


 ――そして、砂時計の砂がちょうど二度落ち切った、その時。


「……ピクッ」


 硬直していたネズミの尻尾が、微かに跳ねた。

 

 次いで、止まっていたはずの小さな胸が、ヒク……ヒク……と浅い呼吸を再開し、やがてネズミはパチリと目を開けて、何事もなかったかのように立ち上がったのだ。


「う、動いた……っ! 生き返ったよ、凛花ちゃん!」

「……ええ。成功ね」


 小鈴ちゃんが歓喜の声を押し殺し、私の服の袖を強く握りしめる。

 私は安堵の溜息を吐き出しながら、覚醒した時刻を正確に紙に書き留めた。


 それから数週間。

 

 私たちは、捕まえてきたネズミや小鳥を使い、何十回となく実験を繰り返した。

 

 体重の重いネズミには多めに。

 軽い小鳥にはごく微量に。


 投与する量によって『仮死状態が続く時間』がどれだけ変化するのか、その完璧な理を、一つ一つ手探りで導き出していった。

 

 調合の精度は日に日に上がり、動物であれば、狙った時間通りに寸分違わず仮死から目覚めさせることができるようになった。


 ――だが。

 完成に近づけば近づくほど、越えられない巨大な壁が、私の前に立ちはだかっていた。


(……足りない。これじゃあ、まだ不完全よ)


 ネズミの体重は、人間の何百分の一しかない。

 

 内臓の作りも、毒が抜ける速さも、動物と人間とでは根本的に異なるのだ。

 

 私と小鈴ちゃんがこの屋敷を抜け出す時、それは一発勝負であり、絶対に、何があっても失敗は許されない。

 

 もし毒の量が多すぎて、私たちが仮死状態から二度と目覚めなければ、それはただの『自殺』だ。

 

 逆に量が少なすぎて、棺桶で運ばれている途中で目覚めてしまえば、その場で黒蓮の者に確実に殺される。


 私と小鈴ちゃんの体重に合わせた、人間用の正確な致死量スレスレの境目。

 

 それを計算し尽くすためには、どうしても、どうしても避けられない道程みちのりが一つだけ残されていた。


(……本物の人間が使った時の、正確な効果と時間を計る必要がある)


 人体実験だ。

 しかし、黒蓮の暗殺者たちは日頃から微量の毒を摂取して耐性をつけているため、正確な記録は取れない。

 それに、身内で騒ぎを起こすわけにもいかない。

 

 毒を試す素体そたいとなるのは、完全に毒への耐性がない『外部の人間』でなければならないのだ。


 焦りが募り始めた、ある日のこと。

 蓮夜から、私と小鈴ちゃんに新たな暗殺任務が下された。


「……俺は別件で、北の山脈へ三日ほど出向く。凛花、お前と小鈴だけで、王都の裏で武器の横流しをしている愚かな商人を片付けてこい。毒の調合はお前に一任する」


 蓮夜がそう言って渡してきた標的の資料を受け取った瞬間。

 

 私は、前髪の奥で、ゾクッとするような酷薄な笑みを浮かべるのを止められなかった。


(あの蓮夜が同行せず、私と小鈴ちゃんだけで動ける暗殺任務……)


 それは、神が与えてくれたとしか思えない、奇跡のような好機だった。

 

 私と小鈴ちゃんの命を繋ぐための、最高の『実験台』が手に入ったのだ。

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