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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
過去編:黒蓮の日常

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雪降る夜の任務と、無垢なる美食家

 黒蓮こくれんの屋敷に、その年初の雪が舞い降りた。

 

 灰色の空からしんしんと降り積もる雪は、血塗られた暗殺一族の庭園を、まるで何事もなかったかのように純白に染め上げていく。


 私が蓮夜レンヤの『妹』、すなわち黒蓮の姫君としての特権を得てから、季節は完全に冬へと移り変わっていた。


「……凛花。少し火が強い。焦げるぞ」

「あ、本当だ。ありがとうございます、兄様にいさま!」


 深夜の厨房。


 私は、かまどの火力を調整しながら、隣で不器用に野菜を切る蓮夜に微笑みかけた。

 

 純血の暗殺者である彼が、刃物ではなく包丁を握り、私の料理を手伝っている。

 

 半年前には想像もできなかった、奇跡のような光景だ。


 小鈴シャオリンも、少し離れた台で楽しそうにお団子を丸めている。


「兄様、味見をお願いしてもいいですか?」

「……あぁ」


 私が小皿に取り分けた根菜の煮込みを差し出すと、蓮夜は以前のような警戒心を微塵も見せず、ごく自然にそれを受け取って口に運んだ。

 

 彼の頬が微かに緩み、「美味い」と短く呟く。


 そのたびに、彼の中に人間としての温かい感情が確実に根付いていくのが分かった。


 私たちは、この狂った地獄の中で、まるで本物の兄妹のように、ささやかで温かい時間を共有し続けていた。

 

 蓮夜という絶対的な後ろ盾のおかげで、私が要求する世界中の珍しい食材や薬草は、教官たちから何の疑いもなく厨房に届けられるようになっていた。


 私は、蓮夜に美味しい料理を作る傍らで、着実に、完璧な『仮死の毒』を完成させるための調合の試行錯誤しこうさくごを最終段階へと進めていたのだ。


 ――だが、暗殺一族の現実は、私たちにいつまでも温かい厨房にいることを許してはくれなかった。


「……凛花、小鈴」


 ある雪の夜。

 

 いつものように三人で夜食を終えた後、蓮夜はふと真剣な表情になり、声を落とした。


「三日後。王都の中心にある、王族の血を引く大貴族の屋敷で、盛大な冬の宴が開かれる。……お前たちにも、その給仕としての任務が下った」


 蓮夜の瞳に、かつての暗殺者としての鋭い光が宿る。


「今回の標的は一人じゃない。黒蓮と敵対する勢力の頭目とうもくたちが、その宴に一堂に会する。組織の幹部も複数人潜入する、絶対に失敗の許されない大規模な任務だ」


 私は小鈴と顔を見合わせ、静かに頷いた。

 

 大規模な任務ということは、それだけ監視の目も厳しく、私たちが『誰も殺さないための裏工作(解毒)』を行う隙が少なくなるということだ。


「お前たちは優秀だが、今回は勝手が違う。油断すれば、標的ごと幹部たちに始末されるぞ。……俺も別室の標的を担当する。終わったら、必ず裏口で合流しろ」


「はい、兄様。……気を付けて」


 蓮夜の不器用な優しさに満ちた忠告を胸に刻み、私たちは三日後の『大任務』へと臨むことになった。


 ――そして、運命の夜。


 大貴族の屋敷は、外の吹雪が嘘のように、むせ返るような熱気と香の匂いに包まれていた。

 

 黄金の燭台が広間を煌びやかに照らし出し、着飾った貴族たちが、己の欲望と権力欲を丸出しにしながら、高価な酒と料理を貪っている。


(……醜い)


 私は、下女の衣装に身を包み、広間の壁際で静かに息を潜めていた。

 

 広間の中央では、小鈴が完璧な笑顔で舞を披露し、大人たちの視線を釘付けにしている。


 その隙に、私は標的である数名の貴族の膳に、指定された『遅効性の毒』を仕込んだ料理を配り終えていた。

 

 あとは、彼らがそれを口にし、苦しみだす寸前に『胃薬』と称して解毒剤を飲ませるだけだ。


 貴族たちは、私たちが命を狙う暗殺一族の道具であることなど露知らず、下品な笑い声を上げながら、毒の仕込まれた肉や魚を胃袋に流し込んでいく。


 権力、金、保身。彼らが食事をする理由は、それらを満たすためのただの『見栄』であり、純粋に料理を楽しむ心など、そこには一切存在しなかった。


(お母様。やっぱり、こんな人たちのために料理を作るのは……少しも、嬉しくありません)


 私は、懐の解毒剤の小瓶を強く握り締めながら、氷のように冷めきった目で広間を見渡した。

 ――その時だった。


 広間の喧騒から少し離れた、下座に近い柱の陰。

 

 権力闘争に明け暮れる大人たちの醜悪な群れの中で、たった一人だけ、まったく異質の空気を放っている『小さな影』が、私の視界の端に引っかかった。


「……えっ?」


 上等な絹の服を着た、私より少し年上に見える、少年だった。

 

 彼は、大人たちの騒ぎ声にも、小鈴の美しい舞にも一切目もくれず、ただひたすらに、目の前の膳に並べられた料理に向き合っていた。


 彼が小さな手でさじを持ち、汁物を口に運ぶ。

 

 その瞬間。少年の顔に、まるで世界中の光をすべて集めたような、『陽だまりのように』に花が咲くような笑顔が広がった。


『――美味しいっ!』


 声は聞こえなかった。

 

 しかし、その全身から溢れ出るような歓喜の表情が、はっきりとそう語っていた。


 少年は、誰の目も気にせず、ただ純粋に、目の前の料理がもたらす喜びに完全に没頭し、一心不乱に頬張り続けている。


(……あぁ)


 私の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。

 その顔だ。その表情だ。

 私が、ずっとずっと、見たかったもの。


 お母様と一緒に厨房に立ち、「人を笑顔にする料理」を作っていた、あの温かい記憶。

 

 黒蓮に攫われ、毒を盛るための道具に成り下がり、大人たちの醜い欲望ばかりを見せつけられてきた私にとって、その少年の純粋すぎる「美味しい」という笑顔は、あまりにも眩しく、圧倒的な救いだった。


(……私の作った料理を、あんなに美味しそうに食べてくれるなんて)


 私の胸の奥から、忘れていた熱い涙が込み上げてきそうになった。


 ただ、その至福の感情は、次の瞬間、背筋も凍るような『最悪の事実』によって無残に打ち砕かれることになる。


(……待って)


 私は、少年の食べている膳の『位置』と、そこに乗っている料理の『種類』を見て、血の気が完全に引いた。


 あれは。

 

 あの少年が今、満面の笑みで飲み下したあの肉料理は。


(嘘……。なんで、あの子が、あの席に……!?)


 今回の任務の標的は、大人だけだと聞かされていた。

 

 だからこそ、あの席の料理には、致死量の猛毒を仕込んだ。


 なぜ、標的の席に、あんな幼い子供が座って、私の作った『毒入りの料理』を食べているのか。


 ドサッ……!


 私の思考が真っ白に染まった直後。

 広間の中央で、毒を口にした一人の貴族が、激しく血を吐いて倒れ込んだ。


 それを合図にしたかのように、広間のあちこちで次々と悲鳴が上がり、大人たちが喉を掻き毟りながら床をのたうち回り始めたのだった。

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