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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
過去編:黒蓮の日常

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暗殺者の告白と、偽りの兄妹

 吐く息が白く染まる、初冬の夜。

 

 黒蓮こくれんの屋敷を囲む外壁の上で、私は蓮夜レンヤの隣に腰を下ろしていた。


 眼下には、王都の街明かりが星屑のように瞬いている。

 

 冷たい夜風が吹き抜ける中、蓮夜はしばらくの間、何も言わずにその景色を見つめていた。


「……お前の作る料理は、不思議だ」


 沈黙を破ったのは、蓮夜の方だった。

 

 彼は、かつての氷のように無機質な声ではなく、どこか戸惑い、自分の心の中を探り当てるような静かな響きで話し始めた。


「俺は今まで、任務をこなし、両親に完璧な結果を報告することだけが生きる意味だった。……いや、そう思い込もうとしていた。心を殺し、痛みを消し去らなければ、この暗殺一族の中で息をすることすらできなかったからだ」


 蓮夜は、自分の両手――これまで数え切れないほどの命を奪ってきた、その手のひらをじっと見つめた。


「だが、あの夜から……お前の作った温かい粥を食い、甘い菓子を口にするようになってから。俺の中で、殺し続けてきたはずの『感情』が、どうしても顔を出すようになった」


 彼の横顔には、純血の暗殺者としての冷酷さは微塵もなかった。

 

 ただ、暗闇の中で小さな灯火を見つけた、迷子の少年の顔だった。


「お前の料理を食う時だけは、腹の底が熱くなる。……美味いと感じる。明日もまた、任務を生き延びて、あの温かい飯を食いたいと……そう思ってしまうんだ」


 それは、感情を捨てることを強要されてきた彼にとって、致命的な弱さを認める告白だった。


 暗殺者にとって、死を恐れ、生に執着することは、刃の鈍りを意味する。

 

 同時に、それは彼が人間としての「心」を確実に取り戻し始めている証拠でもあった。


「……蓮夜様」


「俺にとって、お前の作る料理は……もう、ただの餌じゃない。この狂った屋敷の中で正気を保つための、唯一の救いなんだ」


 蓮夜の言葉は、冷たい夜風の中で、ひどく切なく響いた。

 

 私は、彼の孤独の深さに胸を締め付けられながらも、同時に、彼が私に向けてくれている不器用で純粋な「信頼」を、はっきりと感じ取っていた。


(……この人なら)


 私は、膝の上でぎゅっと拳を握りしめ、蓮夜の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「蓮夜様。……もし、私のお母様が安全で……私がもっと自由に安心して料理を作ることができたら。この屋敷の厨房で、誰の目も気にせず、世界中のあらゆる食材と薬草を自由に使える権限があったら……」


「……凛花?」


「私は、あなたに『本当に美味しいという感情』を、完全に思い出させてあげられるかもしれません」


 私の言葉に、蓮夜の目がわずかに見開かれた。


「あなたがずっと昔に忘れてしまった、ご両親の温かい手のひらの記憶。……心が満たされて、自然と笑顔になってしまうような、そんな最高の料理を。私が、必ず作ってみせます」


 それは、私の本心だった。


 お母様から教わった「料理で人を笑顔にする」という術を、この寂しい少年のために使ってあげたい。

 

 それと同時に――私の頭の中には、どこまでも冷徹で理詰め(りづめ)の『たくらみ』が働いていた。


(……黒蓮の次期当主である蓮夜様の後ろ盾(権力)があれば、お母様の安全を守りつつ私と小鈴ちゃんは『ただの道具』から抜け出せる。完全に自由な環境と材料が手に入れば……お母様と一緒にここを抜け出すための『仮死の毒』が、完璧に完成する……!)


 私は、純粋な同情と、脱出のための残酷な打算を、半々に織り交ぜて彼を見つめていた。

 

 蓮夜は、私の顔をじっと見つめ返し、やがて何かを決意したように、ゆっくりと立ち上がった。


「……道具の分際で、純血の俺に大口を叩く」


 彼はそう言って、皮肉げに口角を上げた。

 その瞳にはかつての虚無はなく、強い意志の光が宿っていた。


「よかろう。お前が俺に『本当の美味さ』を思い出させてくれると言うのなら、俺はお前に、そのためのすべての自由を与えよう」


 蓮夜は、夜空の月を背にして、私に向かって手を差し伸べた。


「凛花。今日からお前は、俺の『妹』だ」


「……えっ」


「黒蓮の教官どもにも、そう通達する。お前と母親、あの小鈴という娘は、俺の直属の庇護下に置く。厨房の権限も、食材の手配も、すべて俺の『妹』としての特権で自由に使えばいい」


 それは、私たちがこの地獄の底で、絶対的な「盾」を手に入れた瞬間だった。

 

 純血の暗殺者の妹。


 それは、使い捨ての道具であった私たちが、組織の中で誰も手出しできない『姫君』へと昇格することを意味していた。


「……俺はもう、お前の前でだけは、完璧な暗殺者を演じない。だからお前も、俺の隣で、俺のためだけにその腕を振るえ」


 差し出された彼の手は、相変わらず血の匂いが染み付いていたけれど、それでも、この屋敷のどんなものよりも確かな温もりを持っていた。


「……はい」


 私は、彼のその手を、両手でしっかりと握り返した。


「ありがとうございます……兄様にいさま


 私が初めてその呼び名を口にすると、蓮夜は一瞬だけ驚いたように目を見開き、そして、とても照れくさそうに、不器用な笑顔を浮かべた。


 月明かりの下で交わされた、暗闇の血族と、攫われてきた少女の『偽りの兄妹の契り』。


 脱出の可能性を極限まで引き上げるための、私の冷酷な打算。

 彼にとっての、心の底からの救済。


 二つの思いが交差したこの夜から、私は黒蓮の屋敷の中で、畏怖と羨望を込めて『黒蓮の姫君』と呼ばれるようになるのだ。


 そして――私と小鈴が蓮夜の庇護下に入り、季節が本格的な冬を迎えた頃。

 

 私は、ある大きな暗殺任務の席で、私の運命を決定づけるもう一人の『彼』と出会うことになる。

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