月夜の共犯者たちと、甘い逃避行
外壁の上で蓮夜と甘い木の実の菓子を分け合った翌日。
私は、冷たい石の部屋で身を寄せ合って眠る小鈴に、昨夜の出来事をすべて打ち明けた。
「……あの、氷みたいに冷たくて怖い、蓮夜様が?」
小鈴は信じられないというように目を丸くし、小さな両手で自分の口元を覆った。
「うん。……私たちと同じだよ、小鈴ちゃん。彼も、親に褒められたくて、愛されたくて、必死に心を殺して『完璧な道具』になろうとしていただけだったの。……だから、美味しいって感情も、笑い方も、全部忘れちゃってたんだよ」
私がそう言うと、小鈴の大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
花街で愛情深く育てられてきた彼女にとって、親からの愛情を得るために心を削り落とさなければならない蓮夜の境遇は、自分たちが黒蓮に攫われてきたことと同じくらい、悲惨で痛ましいものに映ったのだろう。
「……可哀想。蓮夜様、ずっと一人ぼっちで、冷たくて固いお肉ばっかり食べてたんだね……」
小鈴は、涙を手の甲で拭いながら、力強く頷いた。
「凛花ちゃん。今度、任務で蓮夜様と一緒になったら……わたしのおやつも、半分こしてあげようね。あんなに怖いところにいなくても、お菓子って美味しいんだよって、教えてあげよ?」
「うん。……ありがとう、小鈴ちゃん」
私と小鈴の間に、蓮夜という少年の孤独を共有する、新しい秘密が生まれた瞬間だった。
その日を境に、私たちの任務の風景は少しずつ、けれど確実に変わり始めた。
数日後、王都の裏社会を取り仕切る元締めの屋敷へ潜入した夜のこと。
無事に標的の始末(私たちが密かに解毒して逃がす裏工作)を終え、屋敷の裏口で合流した私たちの前 に、別の標的を仕留めてきた蓮夜が音もなく姿を現した。
黒装束には微かに血の匂いが染み付いていたが、私と小鈴は、もう彼を恐れることはなかった。
「……蓮夜様、お疲れ様でした」
私が深く頭を下げると、蓮夜は少しだけ気まずそうに視線を逸らし、「あぁ」と短く答えた。
帰還のための薄暗い夜道を、三人で一定の距離を保ちながら歩く。
教官や監視役の目がない、ほんのわずかな道程。
私は懐から、任務先の厨房でくすねた余り物の林檎と、蜂蜜で作った小さな焼き菓子を取り出した。
「蓮夜様。これ、任務の余り物で作ったんです。少し形は悪いですけど……甘くて、疲れが取れますよ」
私が包みを差し出すと、蓮夜の足がピタリと止まった。
彼は血塗られた自分の手袋を無言で外し、素手でその焼き菓子を一つ摘み取った。
そして、まるで宝物でも扱うかのようにそっと口に運び、ゆっくりと咀嚼する。
「……美味い」
ぽつりとこぼれたその一言に、隣を歩いていた小鈴が、花が咲くような満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ、蓮夜様、お菓子食べてる時、すっごく優しいお顔になりますね! 今度はわたし、お砂糖をまぶしたお団子の作り方、凛花ちゃんに教えてもらって作ってきますね!」
小鈴の屈託のない無邪気な言葉に、蓮夜は目を丸くし、やがて困ったように眉を下げた。
「……お前たちは、本当に暗殺組織の道具とは思えんな。俺が恐ろしくないのか」
「怖くないです。だって蓮夜様、美味しいものを食べる時は、私たちと同じだもん」
小鈴が明るく笑い、私もそれに同調して微笑んだ。
月明かりの下、血塗られた暗殺一族の少年と、攫われてきた二人の少女が、甘い焼き菓子を頬張りながら家路につく。
それは、この狂った地獄の中にあって、奇跡のように穏やかで、ただの「年相応の子供」に戻れる、唯一の甘い逃避行の時間だった。
蓮夜とのこの奇妙で温かい交流は、思わぬ形で私たちに『恩恵』をもたらすことになった。
黒蓮の純血であり、幹部たちからも一目置かれる次期当主候補の蓮夜。
彼が、私たち二人の道具(子供)を明らかに『特別扱い』し、時には任務の帰りに会話を交わしているという事実は、屋敷の教官や監視役たちの態度を『見違えるように』和らげた。
「……凛花。お前が最近要求している南方の薬草だが、手配できたぞ。蓮夜様もお前の腕を高く買っておられるようだからな。粗相のないように励め」
教官の声には、以前のような冷酷な響きはなく、むしろ腫れ物に触るような媚びた色が混じっていた。
私はこの状況を、最大限に利用させてもらった。
(……蓮夜様のおかげで、ついに『仮死の毒』の材料がすべて揃ったわ)
夜の厨房を自由に出入りする許可を得て、私は誰の目も気にすることなく、脱出のための切り札となる毒の調合の試行錯誤を繰り返した。
蓮夜という強大な「盾」を得たことで、私たち三人の絆は深まると同時に、私とお母様、小鈴が自由を掴むための歯車は、確実に前へと進み始めていた。
――そして、季節が秋から冬へと移り変わろうとしていた、ある凍てつくような夜。
翌日の任務の仕込みを終え、自室に戻ろうとしていた私の前に、蓮夜が音もなく姿を現した。
「……凛花。少し、付き合え」
彼はそれだけ言い残し、いつかのように外壁へと駆け上がっていく。
私は、その背中がかつての「氷のような暗殺者」のそれではなく、何か重大な決意を秘めた一人の少年のものだと直感し、静かに彼に続いて屋根へと上った。
吐く息が白く染まる、冷たい月の下。
蓮夜は、遠く王都の街明かりを見つめたまま、やがて振り絞るようにして、私にある「決定的な言葉」を告げることになるのだ。




