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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
過去編:黒蓮の日常

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作業の食事と、温かな薬味

 あの背筋の凍るような合同任務から、さらに半年が経過した。


 秋風が冷たさを増し、黒蓮こくれんの屋敷に張り詰めたような冬の気配が漂い始める頃。

 

 私と小鈴シャオリンは、子供たちの中で完全にトップの成功率を誇る「最高の暗殺道具」として、揺るぎない地位を確立していた。


 私たちは与えられた任務を無慈悲に(しかし密かに誰も殺さずに)こなし続け、幹部たちからの信頼を勝ち取ることで、徐々に屋敷内での自由な行動範囲を広げつつあった。


 そんなある日の、深夜のことだ。


 私は翌日の任務に向けた毒の仕込みと、小鈴と一緒に食べるための「毒の入っていないお菓子」を作るため、誰もいない地下の巨大な厨房へと足を運んでいた。


 厨房の入り口に立った私は、薄暗い行灯あんどんの明かりの奥に、見慣れた漆黒の影を見つけて足を止めた。


(……蓮夜レンヤ


 黒蓮の純血にして、同世代の中で最も恐れられている暗殺一族の少年。


 彼は、厨房の片隅にある粗末な木の長机に一人で座り、遅い夕食をとっているところだった。

 

 私は、気配を殺したまま、物陰からそっと彼の食事風景を観察した。


 ……いや、それは「食事」と呼んでいいのかすら分からない、ひどく異様な光景だった。


 彼が口に運んでいるのは、黒蓮の任務用として支給される、干し肉と固い雑穀の塊だ。


 味付けなど一切されていない、ただ滋養の塊で腹を満たすためだけの「食事」。


 蓮夜は、それを無表情のまま口に放り込み、一定のリズムで顎を動かしている。


 そこに、味わうという行為はない。


 ただ生命を維持し、任務を遂行する肉体を保つために、炉にまきを放り込むように「栄養」を摂取しているだけだった。


 彼の目は虚空を見つめ、咀嚼音だけが冷たい厨房に響いている。


(……なんて、悲しい食べ方をするんだろう)


 私は、胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じた。

 あの光景は、その日一度だけのことではなかった。


 夜中に厨房へ通ううち、私は何度も、一人で暗闇の中、機械のように食事を詰め込む蓮夜の姿を目撃した。

 彼の中には、本当に「感情」が存在しないのだろうか。


 私は、彼が人を殺す時に何の快楽も抱いていないことを見抜いていた。

 そして今、彼が食事をする時にも、何の喜びも感じていないことを知った。


 お母様は言っていた。


「食事は、命を繋ぐための最も温かい心の触れ合いよ」と。


 味も匂いも感じないまま、ただ命を長引かせるためだけに固い肉を噛み砕く彼の姿は、私には、誰よりも深く傷つき、飢えているように見えたのだ。


「……あんなの、生きてるって言わないわ」


 数日後の夜。

 私はついに、見過ごすことができずに立ち上がった。


 厨房のかまどに火を入れ、任務の余りの食材を使って、小さな土鍋で鶏の出汁を引いた。


 そこへ白米を入れ、とろとろになるまで煮込む。

 ここまではただの粥だ。


 だが、私の真骨頂はここからだった。


 私は、自ら調合した『特製の薬味』を取り出した。


 すりおろした生姜、細かく刻んだねぎ、微かに焙煎した胡麻、そして、血流を良くし、冷え切った内臓を芯から温める効果のある数種類の山野草。


 それらを絶妙な配分で混ぜ合わせた、毒でも薬でもない、純粋に『食欲を刺激し、味覚を呼び覚ます』ための魔法の粉。


 熱々の鶏粥にその薬味を散らすと、鼻腔をくすぐるような、とびきり香ばしくて温かい匂いが厨房いっぱいに広がった。


 私はお盆にその土鍋と小さなさじを乗せ、暗がりでまた干し肉を齧ろうとしていた蓮夜の目の前へと、音を立てて置いた。


「……なんだ、お前は」


 突然の闖入者ちんにゅうしゃに、蓮夜が氷のような目を向ける。

 その手は、すでに腰の短刀の柄にかかっていた。


「夜食です。そんな石ころみたいな干し肉ばかり食べていたら、任務の前に胃が壊れますよ」


「……俺の食事に口出しするな。それに、お前は毒使いだろう。そんな出所の分からないものを、俺が口にするとでも思っているのか」


 蓮夜は、警戒心むき出しで土鍋を睨みつけた。


 当然の反応だ。暗殺一族の人間が、他人の作った料理を易々と口にするはずがない。


 私は引き下がらなかった。


「毒なんて入れていません。……いえ、もし私があなたを殺そうと思えば、匂いも味もさせずに致死の毒を盛れます。こんなにいい匂いをさせている時点で、これはただの『美味しいご飯』です」


 私は、蓮夜の顔を真っ直ぐに見つめ返した。


「騙されたと思って、一口だけ食べてみてください。……味がしない世界で生きるなんて、あまりにも退屈で、寂しすぎますから」


 私のその言葉に、蓮夜の瞳が微かに揺らいだ。


「寂しい」、という想いを突きつけられ、虚を突かれたようだった。

 

 蓮夜は、土鍋から立ち上る湯気と、稲妻が走るような食欲をそそる薬味の香りに、数秒ほど沈黙した。


 やがて、短刀から手を離し、不審げに匙を手に取った。


 ゆっくりと、匙が土鍋の粥を掬い上げる。

 

 蓮夜は、毒を確かめるようにほんの少しだけ口に含み――そして、ピタリと動きを止めた。


「…………っ」


 目が見開かれる。

 彼の中で、何かが弾けたのが分かった。


 鶏の濃厚な旨味。生姜と山野草が織りなす、舌の上で踊るような鮮烈な風味。

 

 そして、冷え切った胃の腑にじわじわと染み渡っていく、胸を打つほどの『温かさ』。


 それは、彼が幼い頃に忘れ去り、心の奥底に封じ込めていた「美味しい」という圧倒的な抗いがたい感覚だった。


「どうですか?」

 

 私が尋ねるよりも早く。


 カチャッ、カチャカチャッ……!


 蓮夜の手が、猛烈な勢いで動き始めた。

 機械のような一定のリズムではない。


 熱さを気にする素振りすらなく、無我夢中で、まるでかわき切った旅人が、湧き水を貪るように、匙を口へと運び続ける。


「お、おい……これ、なんだ……っ」


 その声は、もう氷のように冷たい暗殺者のものではなかった。

 

 初めて美味しいものを食べた子供のように、震え、熱を帯びていた。


 彼は、人が変わったように粥を頬張り続け、あっという間に土鍋を空にしてしまった。

 

 そして、最後の一滴まで飲み干すと、呆然とした顔で空になった鍋と私を交互に見つめた。


「……美味しい、でしょう?」


 私が、毒を盛る時の冷たい作り笑いではない、心からの笑顔でそう問いかけると。


「……あぁ」


 蓮夜は、自分の胸の辺りを強く押さえながら、信じられないものを見たような、泣き出しそうな顔で、小さく、けれどはっきりと頷いた。


 暗闇の血族に、人間としての温かい火が灯った瞬間だった。

 

 この一杯の粥が、私たちの運命を大きく変える歯車になることを、私は確信していた。

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