心なき人形たちと、完璧な毒の器
陽だまりの庭園での「飼育期間」が終わり、黒蓮の苛烈な暗殺教育が始まってから、およそ一年の歳月が流れた。
季節が巡り、再び初夏の日差しが屋敷に降り注ぐ頃には、私と小鈴の背丈は少しだけ伸びていた。
だが、変わったのは背丈だけではない。
私たちの身を取り巻く環境と、何より周囲の子供たちの『目』が、一年前とは決定的に変わってしまっていた。
「……次。この『紫斑茸』の毒性を最も高める抽出法を答えろ」
冷ややかな石造りの講義室。
教官の低い声が響く。
三十人ほどいる子供たちの中で、迷うことなく、そして一切の感情を交えずにスッと手を挙げたのは、私だった。
「日陰で三日干した後、微量の石灰水に浸してすり潰します。水や酒で煮出すと成分が飛んでしまい、人を殺めるに足る量が半減するためです」
「正解だ。……相変わらず、完璧な知識だな」
教官の気味の悪い称賛の声にも、私は顔色一つ変えずに小さく頭を下げるだけだ。
この一年間、私は黒蓮が与えるあらゆる知識――毒の調合、解毒、食材の性質、そしてそれらを組み合わせた調理法を、まるで乾いた砂が水を吸い込むように吸収し続けてきた。
お母様から受け継いだ天性の味覚と薬学の素養。
そして何より「絶対に生き延びて、いつかここを抜け出す」という執念が、私を子供たちの中で『一番の優等生(毒料理人)』へと押し上げていた。
「おい、そこのお前。紫斑茸の死に至る量を言ってみろ」
「あ……えっと、その……一欠片、くらい……っ」
「遅い!」
教官の鞭が、答えに詰まった男の子の背中を容赦なく打ち据える。
ただ、恐ろしいのは鞭の音ではない。
その光景を目の前で見ている他の子供たちが、悲鳴を上げることも、怯えることもなく、ただガラス玉のように虚ろな目で宙を見つめていることだった。
(……みんな、心が壊れてしまった)
私は、感情のない仮面を顔に張り付けたまま、内心で唇を噛み締めた。
過酷な訓練と、少しでも反抗すれば容赦なく別棟(毒の実験場)へ送られるという恐怖。
極限の重圧の中で生き延びるため、子供たちは自らの感情を切り離し、黒蓮の命令にだけ従う『心なき人形』へと染まりきってしまったのだ。
そんな中で、辛うじて人間としての心を保ち続けているのは、私と、隣の席に座る小鈴だけだった。
「……よし、午前の講義はここまでだ。午後は給仕と所作の実技訓練に移る」
教官の言葉で、子供たちが機械のように一斉に立ち上がる。
私と小鈴も無言でそれに従い、足音を立てずに別室の広間へと移動した。
午後の広間では、標的に毒を盛るための『最終工程』――すなわち、相手の懐に入り込み、警戒心を完全に解かせるための所作の訓練が行われる。
「小鈴、前へ出ろ。貴族の宴の席を想定し、酌をしてみせろ」
「はい」
呼ばれた小鈴は、滑らかな足取りで広間の中央へと進み出た。
彼女は、毒の知識こそ私には及ばなかったものの、包丁の扱いなどの料理の腕はめきめきと上達していた。
しかし、彼女の真の才能は、花街で培われた『誰かを魅了する技術』にあった。
教官を標的の貴族に見立て、小鈴が酒器を傾ける。
絹の袖がふわりと揺れ、ふっくらとした桜色の唇から、とびきり甘くて、無邪気で、しかしどこか色を帯びた完璧な微笑みがこぼれた。
「旦那様、遠方からの長旅、誠にお疲れ様でございました。ささ、特別なお酒をご用意いたしましたので、どうかお疲れを癒やしてくださいませ」
鈴を転がすような、心地よい声。
その完璧な美しさと愛らしさに、冷酷な教官でさえも一瞬、毒気を抜かれたように目を細めた。
もしあの酒器に致死の毒が入っていたとしても、相手は小鈴の笑顔に見惚れたまま、喜んでそれを飲み干すだろう。
小鈴は、給仕や接待の技術において、子供たちの中で右に出る者がいない『最高の華』として認められていた。
「見事だ。お前のその笑顔は、どんな猛毒よりも確実に標的の喉をこじ開けるだろう」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
小鈴は優雅に一礼し、私の隣へと戻ってきた。
周囲の子供たちは、小鈴のその見事な演技を見ても、嫉妬も羨望も浮かべない。
ただ、無機質な目玉が彼女の動きを追っているだけだ。
「……凛花ちゃん」
袖の陰で、小鈴の冷たい指先が私の小指にそっと触れた。
彼女の完璧な笑顔の裏側で、その手が微かに震えているのを、私だけが知っていた。
人を喜ばせるための花街の作法で、人を殺さなければならない。
その絶望に耐えながら、彼女もまた必死に「使徒(道具)」を演じきっているのだ。
(大丈夫だよ、小鈴ちゃん。私が、絶対にお母様と小鈴ちゃんを連れて、ここから逃げ出すから)
私は、教官たちに気づかれないように、ほんの少しだけ彼女の小指を握り返した。
毒を調合し、気配を消して料理に混ぜ込む『影』の私。
完璧な笑顔と所作で標的の懐に入り込み、毒を口に運ばせる『光』の小鈴。
私たちは、互いの足りない部分を補い合うようにして、黒蓮の求める「暗殺の道具」としての価値を極限まで高めていた。
私たちが生き残るための、狂気に満ちた共犯関係。
その歪な訓練の日々も、いよいよ終わりの時を迎えようとしていた。
一ヶ月後。
黒蓮の幹部から、私と小鈴を含む数名の優秀な子供たちに、ついに下知が下されたのだ。
それは、本物の標的の命を奪いに行く――決して失敗の許されない『初めての暗殺任務』への出陣の合図だった。




