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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
上級妃編

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飾り紐と、夜更けの「花の雫」

 激動の夜が明け、深い霧が晴れた香霞コウカの里から戻って数日。


 後宮は驚くほどいつもの平穏を取り戻し、気づけば私は、元の波風の立たない日常のなかにいた。


 変わったことと言えば、私の家族の近況だろうか。


 あれほど焦がれ、ようやく再会を果たした私の大切な家族。


 その一人であるお母様――明霞メイカは、持ち前の優れた薬師としての腕を活かし、現在は後宮の医務室で瑞祥ズイショウさんと共に働いている。


 長年、里で過酷な環境に耐えながら薬を作ってきたお母様の知識と技術は本物だ。


 噂によれば、新入りでありながら、すでに医務室における信頼度は瑞祥さんを脅かすほどに高いらしい。


「まぁ、私のお母様なんだから、それくらい当たり前かな」


 調薬室で薬草をすり潰しながら、私は心の中で少しだけ鼻を高くする。


 一方、お父様である梟仙キョウセンに関しては、相変わらずといったところだった。


 今はまた外へ任務に出ていってしまっている。


 けれど、あのお父様のことだ。


 どこにいても元気に暴れ回っているのだろう。


 今度はちゃんと連絡をくれると言っていたし、不思議と心配はしていなかった。


「ふぅ、これでひとまず、今日届ける分の丸薬は完成ね」


 私が額の汗を拭ったそのとき、月光宮げっこうきゅうの調薬室の重い扉が静かに開いた。


 入ってきたのは、見慣れた二人の男性。


 叡明エイメイ様と、その優秀な補佐官である高星コウセイ様だ。


「失礼するよ、凛花リンカ。少し良い報告を持ってきた」


 叡明様が整った顔に柔らかな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。


 その後ろで、高星様がいつも通り几帳面な一礼を捧げた。


「叡明様、高星様。良い報告、ですか?」


 私が手を止めて首を傾げると、高星様が手元の書状に目を落としながら口を開いた。


「はい。留守中に体調を崩していた、月光宮の本来の毒味役ですが、無事に体調が万全に戻ったとの連絡がありました。それに伴い、凛花殿の臨時の毒味役としての任務は、本日をもって終了となります」

「あら、そうなんですね。それは良かったです」


 ほっと胸をなでおろした私の横から、部屋の奥で優雅に寛いでいた芙蓉フヨウ様が、すっと立ち上がってこちらへ歩いてこられた。


 芙蓉様は不満げに美しい眉をひそめ、叡明様をジロリと睨みつける。


「あら、全然良くないわ。毒味役の任務が終わるなら、凛花にはこのまま、正式にうちの月光宮の侍女になってもらえばいいじゃない。ねえ、凛花?」

「えっ、私がですか?」


 突然の勧誘に目を丸くする私を遮るように、叡明様が慌てた様子で一歩前に出た。


「待て待て、芙蓉妃!凛花は元々、私が直々に雇い入れた私の女官だぞ。月光宮にそのまま置いていくなど、私が許すわけがないだろう!」

「何言っているのよ。あなたのところ、ただでさえむさ苦しい男ばかりじゃない。凛花のような優秀で可愛い女の子は、うちのような華やかな宮にいる方が絶対に幸せよ」

「だいたい、あなたは凛花をこき使いすぎなの。執務室に縛り付けておくなんて勿体ないわ」

「こき使ってなどいない!私は凛花を正当に評価し、大切に扱っている!」


 目の前で子供のように言い合いを始めてしまった上級妃と若き執政官。


「やれやれ……」


 私は大きなため息をつきながら、両手を軽く上げてお手上げといった風に首を振る。


 いつものことながら、この二人が揃うと威厳も何もあったものではない。


 すると、芙蓉様はふっと悪戯っぽい笑みを浮かべ、話を切り替えた。


「まぁ、冗談はさておき。月光宮の侍女の手が足りていないのは確かなのよね。特に、桂花ケイカがいなくなってからは……。だからハナ、あなたにはもう少し、ここに残って私を助けてほしいの。近々、私の仲の良い人をここに連れて来る予定があるから、それまでの間で構わないわ」


 部屋の隅で、おとなしく話を聞いていた華が、自分の名前を呼ばれて「ひゃい!」と一瞬、変な声を上げた。


 華は頭を掻きながら、私と叡明様を交互に見つめる。


「あーしは別に、芙蓉様のお手伝いをするのは全然大丈夫っすけど……どうしましょ、凛花様?」


 私は少し考えてから、叡明様に向き直った。


「叡明様。私が元の執務室に戻ったとして、これからの主な仕事は、叡明様の毒味と食事のご用意になりますよね?」

「ああ、基本的にはそうなるな。……だが、実はそれ以外にも、お前に一つ頼みたいことができてな」

「頼みたいこと、ですか?」

「詳しい話は、明日、執務室に戻ってからゆっくり話そう」


 叡明様の言葉に、私は頷いた。


 それなら、今のうちに月光宮の引き継ぎと配置を綺麗にしておいた方が良さそうだ。


「分かりました。それじゃあ華、しばらくの間、私の代わりに芙蓉様のお側をお願いね。華の明るさなら、きっと芙蓉様も退屈しないと思うわ」


 私の言葉に、華は満面の笑みを浮かべて胸をドンと叩いた。


「了解っす!凛花様のお留守は、このあーしがバッチリ守ってみせるっすから、安心して叡明様のところへ戻ってください!」

「ええ、頼んだわよ」


 そんな私たちのやり取りを見届けるように、調薬室の扉が再び賑やかに開いた。


「みんな、どうしたのー?」と、元気な声を響かせて入ってきたのは明苺メイメイだ。その後ろには、シズカ小蘭シャオランも心配そうな顔をして続いている。

「あ、明苺。ちょうど良いところに。実は、私の月光宮での毒味役の任務が、今日で終わることになったの」

「ええっ!?そっかぁ、そもそも臨時の毒味役だったんだもんね……。じゃあ、凛花、明日からもうここには来なくなっちゃうの?」


 明苺が目をごしごしと擦りながら、あからさまに寂しそうな声を上げる。


 小蘭も私の衣服の袖をぎゅっと握りしめて、潤んだ目で私を見上げてきた。


「凛花がいなくなっちゃうの、寂しい……。あ、でも、時間ができたら、また一緒に美味しいお菓子食べようね!約束だよ?」

「ふふ、もちろんよ、小蘭。私は後宮の外に出るわけじゃないもの。それに、華がここに残ってくれるから、いつでも様子を見に来るわ。明苺も、華と一緒に頑張ってね。何か困ったことがあったら、いつでも私のところへ相談しに来て頂戴」


 私の言葉に、静がふっと優しい笑みを漏らし、腕を組んで一歩前に出た。


「まったく、あなたったら……。自分の心配より先に、私たちの心配ばかりするのね。でも、そうね。凛花、あなたが少しでも無理をしていると思ったら、私たちがいつでもあなたの部屋に押し掛けるから。覚悟しておいて頂戴ね」

「ありがとう、静。本当に心強いわ」


 私は心からの笑顔をみんなに返す。


 そして、その場の空気を和ませるように、芙蓉様が私に言ってくれた。


「凛花、何かあったら遠慮なく言ってね。凛花は私の作った、特製の『飾り紐』を持っているんだから。もしそちらの執政官様が、何か理不尽なことを言ってきたら、いつでも私のところへ逃げてきて良いからね?」

「待て!芙蓉妃、私が凛花に何か理不尽なことをするとでも言うのか!?」


 叡明様が額に青筋を浮かべて抗議の声を上げる。


 しかし、芙蓉様はクスクスと嬉しそうに袖で口元を隠しながら、叡明様ではなく、その後ろに控える高星様へと視線を送った。


「ふふ、どうかしらねぇ?叡明ってば、たまに突拍子もないことを言い出すから、とっても怪しいのよね~?ねぇ、高星?」


 振られた高星様は、すっと視線を斜め上へと逸らした。


「私からは、申し上げることは何も……」

「高星!お前までなぜ目を逸らす!」


 叡明様のタジタジな様子に、調薬室はドッと大きな笑い声に包まれた。


 先ほどまで隅で緊張していた華も、すっかりいつもの調子を取り戻し、楽しそうに笑っている。


「あーしは、凛花様から呼んでくれれば、いつでもどこへでも飛んでいくんで!寂しがる暇なんてないっすよ!」

「うん、ありがとう、華。じゃあ、ひとまず今日の残りの仕事を片付けちゃいましょ。叡明様、私は明日から元の執務室へ戻るということで、よろしいですか?」

「ああ、構わないさ。明日からは、後宮の他の上級妃たちの様子も、少しずつ見て回る予定だからな。お前の薬師としての知恵を、また大いに貸してもらうぞ」


 叡明様がそう言って満足そうに頷くと、すかさず高星様が、懐からずっしりと重そうな書類の束を取り出した。


「それでは叡明様。凛花殿が戻られる前に、まずは留守中に溜まりに溜まったこちらの『書類の山』の処理をお願いいたします。明日の朝までに、すべて目を通しておいてくださいね」

「うっ……。そ、それを今、出すのか、高星……?」

「当然です。さぁ、戻りましょう」


 引き攣った顔の叡明様は、高星様に背中を押されるようにして、ほうほうの体で調薬室を後にした。


 その情けない後ろ姿を見送りながら、私たちはまた声を合わせて笑い合った。


 その日の夜。


 月光宮での最後の夜を惜しむように、私と華、そして明苺、静、小蘭の五人は、食堂で賑やかな夕食を共にした。


 香霞の里での出来事や、お母様が医務室で瑞祥さんを圧倒している話など、話題は尽きることがなかった。


 お腹いっぱいになり、それぞれが笑顔で自室へと戻っていった後。


 私は、昼間のうちに用意しておいた小さな硝子瓶を手に取り、廊下を渡って隣の華の部屋の扉を軽く叩いた。


「華、起きてる? 少し入っても良いかしら」

「はーい!どうぞっす、凛花様!」


 扉を開けると、華はすでに寝間着に着替えており、寝台の上で足をパタパタとさせていた。


「どうしたんすかー、こんな夜更けに?」

「はい、これ。これを華に渡しておきたくて」


 私が差し出した硝子瓶には、ほんのりとしたピンク色の、美しい液体が満たされていた。


 それを受け取った華は、瓶を月明かりに透かしながら目を輝かせる。


「うわ、すっごいいい匂い……!桃と、何かほんのり甘くてすっきりした、お日様みたいな匂いがするっす!」

「『花の雫』よ。前にね、桂花と明苺と、みんなで一緒に作ったの。お肌にとても良い生薬が配合されていて、夜、寝る前に顔に少し塗ると、次の日の朝にはお肌が驚くほどツヤツヤになるのよ。華は、お洒落が大好きだって言っていたでしょう?」


 私の言葉に、華は一瞬だけ、息を呑むように瓶を見つめた。


 その瞳に、桂花の名前が出たことへの、深い愛おしさと切なさが過る。


 けれど、華はすぐにいつもの満開の笑顔を咲かせ、瓶を大事そうに胸に抱きしめた。


「よっしゃーーー!凛花様、ありがとうございます!これ、マジで欲しかったやつっす!大事に使わせてもらうっすね!」

「ふふ、喜んでもらえて良かったわ。もし使い切ったら、またいつでも言ってね」

「えっ!これ、他にも作れるんすか!?」


 華が身を乗り出して聞いてくる。私は人差し指を顎に当て、少し楽しそうに微笑んだ。


「そうね。今回は手持ちの材料で作ったけれど、また時間ができたら、新しい配合で別の化粧水や香油を作ってみるのも良いかもしれないわね」

「その時は、あーしが絶対にお試し係をやりますよ!どんなに怪しい試作品でも、凛花様のためなら喜んで顔を差し出すっす!」

「もう、怪しい試作品だなんて失礼ね。私の薬に間違いはないわよ」


 二人の間で、小さな、けれど心からのくすくすという笑い声が響く。


 窓の外には、静かで美しい星空が広がっていた。


 かつて、親友と共に見た星空。


 その光は今も変わらず、私たちの進むべき未来を、優しく照らし出してくれているようだった。

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