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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
香霞の里編:結末

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まほろばの雫、星降る夜の約束

「えっ……」


 親友のあまりにも切ない願いに、私は言葉を失い、ただ呆然と彼女を見つめることしかできなかった。

 

 桂花ケイカは血の気の失せた顔で、けれど私の目を真っ直ぐに見つめ、一言一言を噛み締めるように伝える。


「このままじゃ助からないのは、自分が一番よく分かってるの。だからせめて……大好きな凛花リンカの作ったものなら、私、何も怖くないから」


 彼女の覚悟が、私の胸を激しく締め付ける。


 今、この瞬間に、私が親友にしてあげられることは、もう他に何もない。

 

 私は溢れそうになる涙をグッと堪え、深く頷いた。


「……分かったわ。あなたのために、世界で一番優しいお薬を作る」

「ありがとう、凛花!とっておきの笑顔、残せて良かった。じゃあ、凛花がお薬を準備してくれている間、私、ちょっと自分の部屋に行ってきてもいい?」

「え? でも、その身体で歩くなんて……!」

「大丈夫、まだ少しだけなら歩けるから。せっかく最期の時間を二人で過ごすんだもん。凛花に、一番可愛い私を見てもらいたいからね」


 桂花はいたずらっぽく笑ってみせる。


 私はせめて、移動の間に傷口が広がらないよう、手早く、しかし丁寧に彼女のお腹に応急手当てを施し、その背中を送り出した。


 私は一人、調薬室へと向かった。

 

 暗殺組織である黒蓮コクレンを抜け出すとき、私は心に誓ったはずだった。


「もう二度と、私の毒で人を死なせはしない」と。


 だが今、私はその誓いを自らの手で破ろうとしている。

 

 けれど、胸に宿る不条理な痛みのなかに、迷いはなかった。


 これは、私が一生をかけて背負うべき業になる。


 その覚悟を持たなければならない。


 桂花が自らの信念を貫いたのなら、私もまた、薬師としての、そして親友としての信念を貫くだけだ。

 

 虹のようにキラキラと神秘的な光を放つ、世界で一番優しいお薬を完成させた。


 一方、自室へと戻った桂花は、鏡の前でそっと息を吐いていた。


「ふふ、この格好を見たら、凛花はどんな顔をするかなぁ……」


 彼女が身にまとったのは、普段の侍女服じじょふくではなかった。


 それは、後宮こうきゅうへ入る前に、凛花と共に外の世界を旅していた頃の、懐かしい旅装束。


 しばらく袖を通していなかった布地が、あの他愛なくも眩しかった日々を思い出させる。

 

 桂花は鏡に向かい、丁寧に化粧を施し、髪を整えた。


 そして、そっと机の上から一本のかんざしを手に取る。


 それは、あの旅の途中で凛花と交換した、大切な簪だった。


 桂花はそれを愛おしそうに髪へと刺した。

 

 そして部屋を出る間際、残されていた大好物の『小さな丸い揚げ菓子』をいくつか皿に盛り、それを手に私の待つ部屋へと戻ってきた。


「お待たせー、戻ったよ!大好きな蜜霞草みつかそうのお菓子、まだ残ってたから持ってきちゃった!」


 扉が開いた瞬間、私はその場でカチリと時が止まったように固まった。

 

 目の前に立っていたのは、月光宮げっこうきゅうの侍女である桂花ではなかった。


 後宮に辿り着くまで、私と寝食を共にし、同じ星空を見上げて笑い合っていた旅仲間の――。


「……秋英シュウエイ……?なぜ、あなたがここに……?」

「えへへ、やっぱり驚くよね。ごめんね、凛花。秋英は、私だったんだよ。秋英は偽名なの。私の名前と、大好きな白英ハクエイの名前から一文字ずつ取って作ったの」


 桂花はにかむように笑った。

 

 その瞬間、初めて出会ったときの既視感、お祭りで感じたどうしようもない懐かしさ、そして彼女から漂う特有の『甘い匂い』。


 私の頭の中で、すべての記憶の断片がカチリと音を立てて繋がり、鮮明に蘇っていった。


「そういうことだったのね……。あのとき、旅の終わりに『いつか絶対にまた会える』って言ってくれたのは……」

「うん、やっと思い出してくれたんだね」


 桂花はくすくすと嬉しそうに笑う。


 ずっと、一番近くにいてくれたんだ。


 そしてお母様を命懸けで守ってくれた。


 それは、あの旅の時から両親を探していた願いを叶える、私のためでもあったのだ。


「その簪、今も持っていてくれたのね」

「当然だよ、私の宝物だもん」

「ふふ、私もよ。肌身離さず持っていたわ」


 私が懐から交換したもう一本の簪を取り出すと、桂花は「本当だ!」と目を輝かせ、私の手からそれを取ると、私の髪へと優しく刺してくれた。


「はい、できた!お揃いだね。……ねえ、お薬はできた?」

「ええ、できたわ」

「ありがとう。どうせなら、一番星空が綺麗に見える場所に行こっか」


 私たちは手を携え、屋敷で一番高い場所にある露台ろだいへと出た。

 

 外の戦場に目を向けると、あちこちで上がっていた煙や怒号はすっかりと収まり、静寂が里を包み込み始めていた。


「少し、静かになったかも……?」

「ええ。きっと、私のお父様が勝ったのね。もう心配はないわ」


 凛花は少し誇らしげに言いながら床に座った。


「やっぱり、凛花のお父さんは凄いねぇ」


 桂花は嬉しそうに微笑み、私の隣へと寄り添うようにして床へ腰を下ろした。


 そして、「はい、凛花」と、小さな丸い揚げ菓子を一つ、私に差し出した。

 

 口に含むと、蜜霞草の甘い香りが鼻腔を抜け、あの懐かしい旅の記憶がより一層鮮烈に胸を満たす。


「……今なら、あの頃の味をちゃんと思い出せるわ」

「ふふ、良かった」


 美味しそうに食べる私を見て安心したように微笑むと、桂花は静かに手を伸ばした。


「ねえ、凛花。……お薬、もらえるかな?」

「……ええ、これよ」


 私が取り出した瓶の中の液体は、月光を浴びて、まるで星屑を溶かし込んだかのように美しくきらめいていた。


 桂花は「わぁ、綺麗……」と声を漏らし、それを小さな揚げ菓子へと、一滴一滴、丁寧に振りかけた。


「桂花、それを使ったら、もう……」

「分かってる。大丈夫だよ、ただ、優しく眠るだけなんだから。……ねえ、このお薬に、名前はあるの?」


 桂花の真っ直ぐな瞳に見つめられ、私は彼女の手をそっと握り締めながら答えた。


「あなたがこれまで、里のため、大切な人のためにたくさん苦しんできた分、せめて最期は、最高の楽園へと往けるようにって願いを込めて作ったの。名前は……『まほろばの雫』よ」

「まほろば……素敵な名前だね。じゃあ、いただくね」


 桂花はお菓子に薬を振りかけ口に運んだ。


「んー!凄く美味しい!全然苦くないよ!」

「ふふ、薬味じゃないのよ」


 私は少しだけ笑った。


 桂花がお菓子を食べ終えるまで、私はその姿を、一瞬たりとも見逃さないように静かに見つめ続けた。


「美味しかった。最期に大好きなものが食べられて、本当に良かった。もう、何の後悔もないよ」


 桂花は満足そうに微笑むと、ふと夜空を見上げた。


「あ、見て凛花。星空がすっごく綺麗……!」


 私も誘われるように空を仰いだ。


 そこには、あの旅の夜と同じ、まるで宝石箱をひっくり返したかのような、満天の星々が瞬いていた。

 

 桂花が少し恥ずかしそうに、けれど慈しむように、私の手をギュッと握りしめてくる。


 私はその小さな手を、決して離さないように強く握り返した。


 互いの確かな体温が、掌を通じて伝わってくる。


「本当ね……凄く、綺麗」

「あの時から、すべてが始まっていたんだね、私たち」

「ええ。少しでも歯車が違っていれば、私たちは全く違う運命を辿っていたかもしれないわね。こんなに長い付き合いになるなんて、あの時は思わなかったけれど」

「ふふ、そうだね。同じ星空を、またこうして二人で見上げられるなんて、思わなかったなぁ……」


 私たちは、それから他愛のない思い出話に花を咲かせた。


 旅の途中で道に迷ったこと、後宮の月光宮で「おこげ」を追いかけ回したこと、明苺メイメイ小蘭シャオランと美味しいお菓子を分け合ったこと。


 どれだけ時間があっても、永遠に話し足りないと思えるほど、愛おしい記憶が溢れてくる。


「ふふ、まだまだ話し足りないかも……」

「私もよ。いくらでも話せるわ」

「でもね……なんだか、そろそろ、すっごく眠くなってきちゃった……」


 桂花は、眠そうに小さな手で目をこすった。


「……どこか、痛む?」

「ううん、全然痛くないよ。とっても温かくて、気持ちいいの……」


 彼女の呼吸が、徐々にゆっくりとしたものへと変わっていく。


 桂花は、私の手を握り直すと、ぽつりと静かに語り始めた。


「ねえ、凛花……。大切な人ってさ、いつも近くにいるのが当たり前になっちゃうじゃない?」

「ええ、そうね」

「だからこそ、普段は大切にしなかったり、ちゃんと想いを伝えなかったりする。いつでも会えるって思っちゃうから。……でもね、『会えなくなっちゃったら、もう想いを伝えることは、二度とできなくなるの』」


 私は、彼女の最期の言葉を、一文字も聞き漏らさないように静かに聞き入った。


「どれだけ後悔しても、その痛みをずっと心に抱えて生きていくことになるんだよ。だから……凛花の周りにいる大切な人たちのことを、これからも、ずっと大切に、想いはちゃんと言葉にしてあげてね」

「ええ……約束するわ、桂花」

「ふふ、凛花ってば自分のことには本当にうといからさ、周りからどれだけ好意を向けられても、全然気づかないでしょ?そこだけが、私は本当に心配だなぁ……」

「ちょっと、こんな時に……。……否定はできないけど」

「あはは、その向けられた気持ちも、ちゃんと大切にするんだよ……?」


(――叡明様。これで、この里の恩返し、少しはできたかな。あとは……凛花のことを、よろしくね)


 桂花は心の中でそっと呟き、私を見つめた。


「凛花。あなたがいてくれたから、私はお父様やお母様と揃って話せたし、里の未来も守れた。だから……」

「ええ。私の家族も、里のことも、全部私に任せて。安心して、ゆっくり休んでね、桂花」

「うん、安心だね……。私の大好きな家族は、もう向こうで待ってくれているから……。あとは、任せたよ……」


 桂花はそっと私の方へと寄りかかり、私の肩にその小さな頭を乗せた。


「ごめんね、凛花。凄く……眠いな……」

「ええ、もう無理をしなくていいのよ。ゆっくり、おやすみなさい」


 私は愛おしさを込めて、肩に預けられた親友の顔を覗き込んだ。


 桂花もまた、重い瞼を辛うじて持ち上げ、そっと顔を上げた。


 二人の視線が、静かに、優しく重なり合う。

 

 桂花は、潤んだ大きな瞳で、私の姿をその記憶の底へと永遠に焼き付けるかのようにじっと見つめ、最期の、世界で一番美しいひだまりのような笑顔を咲かせた。


「――ありがとう、凛花。おやすみ、また明日」


 私はその温かい眼差しを真っ直ぐに見つめ返し、震える声を必死に抑えて、最高に優しい微笑みを返した。


「――ええ、おやすみ、桂花。また明日」


 愛おしい親友の言葉を聞き届けると、桂花は深く、満足したように静かに目を閉じた。


 そして、引き寄せられるようにして、再び私の肩へとその頭を預けた。


 握りしめていた掌からは、まだ確かな温もりが伝わっている。

 

 私の肩には、命のすべてを燃やし尽くし、最期まで戦い抜いた、最愛の親友の重みが残されていた。

 

 宝石箱をひっくり返したような満天の星々の下、私たちは手を繋いだまま、静かに、静かに流れる時の中に佇んでいた。

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