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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
香霞の里編:結末

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友の慟哭と、裏道の邂逅

 ドグオオォォォン……!

 

 遠く霧鳴り谷の方角から響いてきた、天地を揺るがすような大爆音と、夜空を不気味なほど赤く染め上げる爆炎。

 

 屋敷の上階の窓辺で、それらを目撃した桂花ケイカは、まるで糸が切れた人形のようにその場に激しく膝をつき、崩れ落ちた。


「お父様……お母様……っ」


 大粒の涙が堰を切ったように溢れ出し、彼女の小さな身体を震わせる。その悲痛な背中を、凛花リンカは迷うことなく抱きしめ、強い力で支えた。


「しっかりして、桂花! まだ、泰恒タイコウ様と菊花キッカ様があの場所にいたと決まったわけじゃないわ!諦めちゃダメ!」

「う、うあぁ……っ」

「でも……もし、もしそうだったとしても、あなたはあの二人から未来を託されたの。まだ戦いは終わっていないわ。ここで立ち止まっちゃいけないのよ!」


 凛花の厳しくも温かい叱咤が、桂花の胸に突き刺さる。


 桂花はぎゅっと目をつむり、肺が破れるほどの深い呼吸を一つ、繰り返した。


(私の大切な人たちが、目の前で散っていった……。私だけを、この世界に残して。……辛い。胸が張り裂けそう。でも、里のために、皆のために、私にできることをやり遂げなきゃ……!)

 

 桂花は乱暴に涙を拭うと、親友を見つめ返した。


「……そうだね。ごめんなさい、凛花。私はもう、大丈夫」


 その二人を、明霞メイカは切なげに、しかし信頼を込めた目で見守っていた。


 だが、ふと窓の外の別の防衛線である『落差の崩れ橋』の方へ目を向けた瞬間、その表情が険しく強張る。

 

 激しい怒号と金属音が遠くから響いていた。


 里の守衛たちが圧倒的な物量に押され、そこから漏れ出た敵の手下たちが、こちら側――つまり、この屋敷の方角へと多数流れてきているのが見えたのだ。


「二人とも、聞いてちょうだい。落差の崩れ橋の方から、敵の集団がここへ向かって押し寄せてきそうだわ」


 明霞の言葉に、凛花と桂花も弾かれたように立ち上がり、不穏な光が蠢く夜の闇を睨みつけた。


 ――同時刻。


 屋敷へと続く深い林の裏道。

 

 頭に兎のお面をずらしたハナが、草むらに身を潜めながら、近づいてくる足音を鋭く捉えていた。


「ん? 逃げ遅れた里の人……じゃないっすね。賈鴆カチンの手下の一部が、こっちの裏道からも回り込んできてたってことか。ふふん、なら先手を打つまで――」


 華が冷酷な笑みを浮かべ、指先に細い鋼糸を絡めて暗器を構えた、その時だった。

 

 裏道の入り口から、大地を揺らすような、しかし極めて統制された見事な足並みが響いてきた。


叡明エイメイ様! 隊は完全に整っております!」

「ああ、行くぞ! 遅れるな!」


 闇を切り裂いて突進してきたのは、叡明が率いる数十名の禁軍の精鋭たちだった。


 先陣を切って裏道へ突入した叡明だったが、里の内部に入った途端、不自然なほどの静寂に包まれていることに気づき、鋭い眉をひそめる。


「……やけに静かだな。争いの形跡がない。里の者はすでに逃げ出したのか?」

「そのように見えますね。正面では梟仙キョウセン様が凄まじい大立ち回りを演じておられますし、敵の意識もあちらに集中しているのでしょう」

「分からん。だが油断するな。あの大きな屋敷まで一気に進むぞ」


 叡明の驚異的な勘が、空気の微かな震えを察知した。


「……待て、下がれッ!」

 

 叫び声と同時に、先頭を進んでいた兵の足元に、ヒュンと風を切る音を立てて鋭い暗器が突き刺さる。


「っ!」


 直後、暗闇のあちこちから、容赦のない銀光の雨が禁軍へと降り注いだ。


 しかし叡明は怯むことなく剣を引き抜くと、目にも留まらぬ神速の剣技ですべての暗器を火花を散らして完璧に弾き飛ばしてみせた。


 パチパチ、と闇の奥からどこか気の抜けた拍手の音と、鈴を転がすような含み笑いが響く。


「へぇ……やりますねぇ〜。軽く小手調べのつもりだったんすけど、あれを全部防いじゃうなんて。さっきのやつらよりできる系?」

「何者だ。賈鴆の手下か?これほどの手練れを裏道に配していたとはな」


 叡明が剣を構え、冷徹な視線で暗闇を射抜く。


 すると、大樹の陰から、ゆらりと一人の人影が姿を現した。


「あんな下品で薄汚いネズミどもと一緒にされると、あーし、すっごく傷つくなぁ〜」

「口の減らない奴だ。……いくぞ!」


 叡明が地面を爆ぜるように踏み込み、一瞬にして間合いを詰めて斬りかかる。


 兵たちもそれに続いた。

 

 しかし、その人影はまるで木の葉が舞うかのようにひらりと身を翻し、叡明の猛烈な一撃を紙一重でかわしてみせた。


「ちょ、ちょい待ち!ストップ、ストップっす!」


 人影は素早く距離を取ると、両手を前に突き出して降参のような仕草を見せた。


「降参か?」

「いや、ん〜? ちょい待ってね?」


 影は頭にのせていた兎のお面を不意にずらした。


 月光に照らされたのは、ひどく見覚えのある、そしてこの戦場にはあまりにも不釣り合いなほど明るい少女の顔だった。

 

 華は、叡明の豪奢な禁軍の印をじっと見つめ、ポンと手を叩いた。


「見たところ、その立派な身なり、やっぱりあの手下たちじゃないっすね。もしかして、禁軍の方?」

「ああ。それがどうしたというのだ」

「ってことは――凛花様を探してますよね?あのでっかい屋敷にいますよ」


 華は屋敷を指した。


 そしてその言葉に、叡明の動きがピタリと止まり、目を見開いた。


「何……!?いや待て、お前、なぜ凛花の名を知っている!何者だ!」

「あーしは桂花様の侍女。華って言いまーす」

「あの者の侍女か……!やはり、桂花はただの下女ではなかったか。……私は叡明だ」

「えっ、叡明様!?本物っすか!凛花様がいつも言ってた……じゃあ話が早いや!早速屋敷へ案内したいところなんすけど、その前に、里の人たちをここから逃がしてもらえませんか?」

「里の者は、まだ避難していなかったのか?」

「そうなんす。少し先の大きな家に、みんな怯えて隠れてて。でも、ちょうどよかったっす!禁軍の皆さんがいれば百人力じゃん!」


 華の言葉に、叡明はフッと口元を緩め、背後の兵たちに鋭く命じた。


「……分かった、保護しよう。お前たち、すぐにこの者の指示に従い、里の者を安全な後方へ避難させろ!」

「はっ!」


 禁軍の半分が素早く動き出し、華の案内で民家へと向かっていく。


 里の人々が安全に保護され、避難を始めるのを見届けながら、叡明は焦燥を滲ませて華に問いかけた。


「それで、屋敷の方は無事なのか?凛花は……」

「今のところは無事、としか言えないっす。ただ、さっき言った通り手下たちがこっちに攻め込み始めてる。一刻も早く向かった方がいいかと――」


 華がそう言いかけた、まさにその瞬間だった。


 ――ズズズン……ッ!!


 天地を裂くような、凄まじい大爆音と激しい地鳴りが、里の反対側から響き渡った。


 霧鳴り谷が崩落した、あの音だった。

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