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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
香霞の里編:結末

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家族の絆と、託された背中

「桂花……本当に、ごめんなさいね。寂しい思いをさせて」


 弱々しくも、確かに力強い足取りで歩み寄る菊花。


 桂花は一瞬だけ呆然としたものの、すぐに我慢できずにその胸へと飛び込んで、強く抱きしめていた。


「お母様……!目を覚ましてくれたんだね、よかった……やっと、やっとちゃんとお話しできた……っ」

「ふふ、本当に大きくなって……良い子に育ってくれたわね」


 菊花は愛おしそうに娘の背中を撫で、微笑んだ。


 しかし、すぐにその表情を毅然としたものに変える。


「けれど、感傷に浸っている時間はないわ。私と泰恒で、里の者たちを率いて守備に向かいます」

「えっ、ダメだよ、危険すぎる!やっと目を覚ましたばかりなのに!」


 引き止める桂花の手を、泰恒がそっと包み込み、優しくその頭を撫でた。


「いいんだ、桂花。こういう時こそ、里の長としての務めを果たさねばならんのだよ。……それにな、お前には話しておかねばならないことがある」


 菊花は寂しげに目を伏せ、語り出した。


「桂花。そもそもなぜ賈鴆が、我が一族の権利の内容や、幻夢香の秘密を知っていたのか……。それはね、昔、私が幻覚状態に陥っていた頃、彼にすべてを話してしまったことが始まりだったのよ」


「え……お母様が……?」


 驚きに目を見開く桂花に、泰恒が苦渋に満ちた表情で言葉を重ねる。


「桂花にはずっと秘密にしていたんだ。菊花の言う通り、お前がまだ幼かった頃の失態だからな……。今まで話す機会がなかったわけではない。だが、お前が菊花を心配して、ずっと健気にそばで話しかけている姿を見ていたら……どうしても、話せなかった。私を、許してくれ」


 長の威厳を脱ぎ捨て、一人の父親として娘に深く頭を下げる泰恒。


 だが、桂花は迷うことなく首を振った。


「ううん、大丈夫。許すとか、許さないとかじゃないよ。だって、私たちは家族だもん」


 濁りのない、真っ直ぐな言葉。


 菊花は堪えきれずに再び桂花を抱きしめ、涙を流した。


「ありがとう、桂花……。だからこそ、私は自分が招いたこの状況に、責任を執らなければならないの。泰恒と一緒に往くわ。桂花、あなたはあなたのするべきことをなさい。あなたは私たちの、自慢の娘なのだから」

「ああ、そうだ。お前なら大丈夫だ」


 両親の強い眼差しを受け、桂花は涙を拭い、力強く頷いた。


 その様子を見守っていた凛花が、一歩前に出る。


「泰恒様、菊花様。お二人が守備に向かう場所は、きっと激しい戦いになります。罠は用意していますが、狂乱した敵はそれすら怯まずに押し寄せてくるはずです。ですから、罠の地点に近づく前に、弓を使って遠距離から応戦するのが最も効果的かと思います」


 的確な進言に、菊花は目を見開いた後、柔らかく微笑んだ。


「あなたが泰恒の言っていた、桂花の親友の凛花さんね。ふふ、ありがとう。うちの桂花を、よろしく頼みますね」

「はい、お任せください」


 さらに菊花は、明霞の方を向き、深く頭を下げた。


「そして明霞さん。私を救ってくださった恩人。今の私がこうして動けるのは、あなたのおかげです。あなたを無事に後宮へ逃がすため、今度は私が一役買えることを、心から嬉しく思います」

「いいえ、あなた方が私を匿ってくださったからこそ、私は今も生きていられるのです。こちらこそ、本当にありがとうございます」


 二人の母親が、固い握手を交わす。


 最後に菊花は、少し離れた場所に立つ華へと視線を向けた。


「そして、華」

「ハイっす!菊花様!」

「ずっと桂花の傍で、我が子のように見守ってくれてありがとう」

「いや、そんな!あーしは長年、この屋敷に返しきれないほどの恩がありますし!」


 ぶんぶんと手を振って恐縮する華に、菊花はクスリと笑う。


「ふふ、この後もきっと大変よ。桂花をよろしくお願いね」

「――お任せを」


 華は一瞬だけ、普段のお調子者の顔を消し、深く、美しく頭を下げた。


 そこへ、玄庵ゲンアンがゆっくりと菊花に歩み寄る。


「菊花様、お久しぶりですな。息災そうで何より」

「玄庵さん……娘を、よくぞここまで立派に育ててくださいました」

「はっはっは! いやいや、幼い頃の桂花様はお転婆でやんちゃで、手を焼きましたぞ?」

「ちょっと玄じい!恥ずかしいから今それ言わないで!」


 桂花が顔を真っ赤にして止めに入り、張り詰めていた庭の空気が一瞬だけ和んだ。


「では、後のことは頼んだぞ」


 泰恒は皆の顔を見ながら言う。


「よし、それじゃあ行こうか、菊花」

「ええ、行きましょう、泰恒」


 そして二人は里の守衛たちを率い、背を向けて戦火の待つ前線へと歩き出した。


 一同は、その毅然とした後ろ姿を静かに見送った。


「ここもじきに危なくなるわ。まずは屋敷に仕えている人たちと、玄庵さんを安全な隠れ家へ立ち退かせましょう」


 凛花の指示に、桂花が同意する。


「うん。それじゃあ華ちゃん、里の人たちの避難誘導をしながら、みんなを安全な場所へお願いできる?」

「あーしに任せてください!玄じい、早速行っちゃいましょ!」

「うむ、臨機応変に動きましょうぞ。……お三人方、それではまた後ほど」


 玄庵が歩き出し、華もそれに続く。


 しかし、華は少し進んだところでピタリと足を止め、振り返った。


 お面で表情は見えないが、その声には確かな重みがあった。


「お三方とも……どうか、お気をつけて」


 そう言って、華は闇の中に消えていった。


「みんな、行っちゃったね」

「ええ。ここには、私たち3人だけ」


 明霞の言葉通り、広い庭には静寂が戻っていた。


 しかし、遠くからは叫び声が響いている。


「あの人が来た方角から、灯りがたくさん見えるわ」

「かなりの数ね。お父様たちは私たちが入ってきた入り口の方からも、別動隊を動かしているはずよ」

「うーん、あっちからだと屋敷までは少し遠回りになるかな?でも、きっと確実に動いてると思う!」


 桂花は屋敷を見上げ、提案した。


「この屋敷、大きくて広いから、適すがすぐ来ないように、ひとまず上階に移動して外の様子を物見しない?どこから敵が来るか見極めなきゃ」

「そうね、動きましょう」


 凛花と明霞は頷き、3人は静まり返った屋敷の中へと急ぎ移動を開始した。

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