残された手紙と、青空への祈り
翌朝。
明苺はいつも通りの時間に目を覚まし、身支度を整えて自室を出た。
月光宮の回廊へ出ると、頭上には雲一つない、吸い込まれそうに澄み切った青空が広がっている。
「うん、すごく気持ちのいい朝だねぇ」
明苺は両腕をぐーっと上に伸ばして背伸びをすると、ふと首を傾げた。
「凛花、まだ起きてないのかな?いつもなら、もうとっくに起きて水汲みとかしてるはずなんだけど……」
少し嫌な予感がして、明苺は足早に凛花の部屋へと向かった。
扉の前に立ち、「こんこん」と軽く叩く。
「凛花ー?起きてるー?」
しかし、中からは何の返事もない。
寝坊なんて凛花らしくないなと思いながら、「開けるよー」と声をかけてゆっくりと扉を押し開けた。
だが、部屋の中には誰の姿もなかった。
寝台の毛布は綺麗に畳まれており、昨夜、人が寝たような温もりすら感じられない。
「あれ?もうどこかお仕事に行ってるのかな?……ん?」
きょろきょろと部屋を見回した明苺の視線が、小机の上に置かれた『二つの手紙』でピタリと止まった。
近づいて見てみると、一つは自分――『明苺へ』と宛名が書かれている。
「なになにー?凛花ったら、口で言えばいいのに、隠れて私にお手紙でも書いてたのかな?」
明苺がくすくす笑いながらもう一つの手紙を見ると、そこには『凛花へ』と宛名が書かれていた。
「……え?自分宛てにお手紙書いてたの?……んなわけないか」
一人ノリツッコミをしてから、明苺はハッとした。
この丸みを帯びた可愛らしい文字。
凛花のものではない。
桂花の筆跡だ。
「桂花がここに置いていったのかな……」
明苺は二つの手紙を手にしたまま、今度は慌てて桂花の部屋へと向かった。
しかし、勢いよく開けた桂花の部屋にも、彼女の姿はなかった。
凛花の部屋と同じように、綺麗に整頓されたまま、主の気配だけがすっぽりと抜け落ちている。
「あれ……?二人とも、いない?」
言い知れぬ不安が胸に広がり始める。
明苺は凛花の部屋に戻ると、震える手で自分宛ての封筒を開けた。
封を切った瞬間、ふわっと、桂花がいつも身につけていた、あの少し甘くて優しい香油の匂いが漂ってきた。
あの、不思議な魅力を持った南方の香辛料の香りだ。
中には、手紙が何枚も重なって入っていた。
明苺は息を詰め、その文字を目で追い始めた。
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『明苺へ。
急にいなくなってごめんね。
直接顔を見たら、絶対に泣いちゃって離れられなくなると思ったから、手紙でお別れを言うこと、許してね。
月光宮で、明苺や小蘭、静さん、そして凛花と一緒に過ごした日々は、私にとって本当に夢みたいに楽しくて、幸せな時間だったよ。
配膳の後にこっそり余ったお菓子を分け合って食べたり、夜更かししてヒソヒソ声で恋バナで盛り上がったり、時にはちょっと失敗して二人で叱られたり……。
私は、明苺の裏表がなくて、いつもニコニコしていて、誰にでも真っ直ぐぶつかっていくところが本当に大好きだった。
色々あって後宮に来た私を、ただの普通の女の子として、本当の「友だち」として扱ってくれたこと。
明苺が私に向けてくれたその明るさに、私がどれだけ救われていたか、きっと明苺には分からないだろうな。
私ね、明苺には絶対に、世界で一番幸せになってほしいの。
明苺のその優しさと可愛さを、ちゃんと分かって、ずっと大事にしてくれる素敵な人といつか出会ってね。
美味しいものをいっぱい食べて、いっぱい笑って、誰もが羨むような温かい家庭を築いてほしいな。
明苺なら、絶対に大丈夫。
だってあなたは、私の一番の自慢のお友だちだもの。
今まで、本当にありがとう。
明苺のこと、大好きだよ。
桂花より』
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手紙をめくる明苺の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
重なっていた最後の一枚には、凛花宛ての手紙に関する短い伝言が添えられていた。
『追伸。
一緒に置いてある凛花への手紙は、もし私たちが帰ってきたら、明苺から直接私に返してね。約束だよ』
手紙を読み終え、明苺はその場にへたり込んでしまった。
「この手紙、桂花が書いたのね……。でも、なんでこんな内容を書くのよ。こんなの……まるで、もう二度と会えない『お別れ』みたいじゃない……っ」
誰もいない部屋に、明苺の嗚咽が響く。
二人がいない。
荷物も少し減っている。
ということは、二人は一緒に、どこか遠くへ行ってしまったのだ。
「私に黙ってなんて……ひどいよ、桂花、凛花……っ」
とめどなく溢れる涙を、明苺は手の甲で乱暴に拭った。
「ううん、泣いてちゃダメだね。……すぐに芙蓉妃様に知らせないと!」
明苺は立ち上がり、桂花からの手紙と、凛花宛ての手紙を自分の部屋の引き出しに大切にしまい込むと、芙蓉妃の私室へと駆け出した。
「――二人が、いなくなった!?」
明苺からの報告を聞き、椅子に座って優雅にお茶を飲んでいた芙蓉妃が、弾かれたように立ち上がった。
その顔には、隠しきれない驚きと焦燥が浮かんでいる。
「で、でも、まだ二人が自分からいなくなったと決まったわけではないのよね?神隠しにでも遭ったとか……」
「芙蓉様。確かに昨夜までは月光宮におりましたし、何らかの事件に巻き込まれた可能性も捨てきれません」
静が冷静に分析するが、小蘭が悲しそうな顔で首を振った。
「でも、手紙の内容からすると……自分たちの意思で、いなくなったとしか思えないよ」
「とにかく、私、叡明様へ報告してきます!!」
居ても立っても居られず、明苺が再び部屋を飛び出していく。
残された芙蓉妃は、唇を噛み締めながら指示を出した。
「静、小蘭。あなたたちも他の女官を何人か連れて、後宮内をくまなく探しに行ってくれるかしら?どこかに手がかりが残っているかもしれないわ」
「「承知いたしました」」
二人が足早に部屋を出ていくと、芙蓉妃は一人残された私室で、窓から見える抜けるような青空を見上げた。
「……どうか、二人とも無事でいてちょうだい……」
その細い手が、祈るように胸の前で組まれていた。
同じ頃、叡明の執務室。
「――なんだって!!?凛花が、いなくなった!?」
息を切らして駆け込んできた明苺から事情を聞き、叡明は机を叩いて立ち上がった。
その顔は、かつてないほどの狼狽と焦りに満ちていた。
「はい!今、芙蓉妃様たちも手分けして探しているのですが……」
「くそっ、なぜ黙って……!高星!今すぐ芙蓉妃の元へ急ぐぞ!!」
「はっ!」
叡明は明苺の言葉を最後まで聞く前に、高星を従えて、恐ろしいほどの剣幕で月光宮へと向かって駆け出していった。




