軍の真の目的と、繋がる黒蓮の影
お母様と再会し、桂花も交えて三人で穏やかな時間を過ごしていると、やがて窓の外が茜色から深い藍色へと変わり始めた。
日もすっかり暮れた頃、バンッ!と勢いよく扉が叩かれた。
「明霞様ー!泰恒様が帰ってきましたよ!玄じいも一緒っす!皆で下の大部屋に来てくださーい!」
華の元気な声に急かされるようにして、私たちは揃って一階の広間へと向かった。
大部屋には、玄庵さんと並んで、大柄だがどこかひどく疲れ切った様子の男性が立っていた。
彼が、香霞の里を治める一族の長であり、桂花の父親である泰恒様だ。
「……お戻りになられたのですね、泰恒様。こちらは私の娘の、凛花です」
「初めまして。母を保護していただき、そして長年守り続けていただき、本当にありがとうございました」
お母様に紹介され、私が深く頭を下げると、泰恒様は慌てて首を振った。
「どうか気にしないでくれ。明霞さんがこの里に来てから、私たちの方こそ、彼女の作った薬でどれほど救われたか分からない。妻の症状がこれ以上悪化しなかったのも、明霞さんのおかげだ」
「……むしろ、私が事情を知らずに、あなたたち親子を長年離れ離れにしてしまったこと……本当に申し訳なかった」
泰恒様は苦渋に満ちた顔で、深く頭を下げた。
それから、ゆっくりと顔を上げ、傍らに立つ愛娘へと視線を移した。
「……桂花。まさか、この危険な里へ……この屋敷へ帰ってくる日が来てしまうとは。……白英が、うまく知らせてくれたのだね?」
その言葉に、桂花は静かに、だが真っ直ぐに父親の目を見つめ返した。
「うん。……でもね、お父様。白英は亡くなったの。自分の命を懸けて、私に知らせを届けてくれた。だから私、凛花にすべての真実を話して、ここに戻ってきたの。後悔はしてないよ」
「そうか……。お前は本当に変わったな。とても『強い目』になった」
泰恒様は、少しだけ眩しそうに目を細めた。
二人のやり取りを聞きながら、私はずっと気になっていたことを桂花に尋ねた。
「ねえ桂花。……白英さんのご両親は、今どちらにいらっしゃるの?」
「両親はね、もう亡くなってるんだ。……船の中で凛花に話したでしょ?昔、里を襲ってきた大規模な盗賊の話。あの時にね……。だから、あの日から白英は、ずっとこのお屋敷で私たちと一緒に住んでたんだよ」
私はハッとして、絶句した。
故郷と、育ててくれた恩人である泰恒様たちを守るため。
白英がどれほどの覚悟で、あの園遊会での大事件を引き起こしたのか。
その重さが、痛いほど胸に突き刺さった。
「……彼は、すべてを覚悟の上で向かってしまった。私には止めることができなかったのだ。彼にとっては、何よりも桂花、お前が大切だったからな」
泰恒様が重々しく口を開き、大部屋に沈痛な空気が漂い始めた――その時。
「はーい、ちょい待ち、ちょーい待ちっ!!」
パンッ!と大きく手を叩く音が響いた。華だ。
彼女は重い空気を強引にぶち破るように、とびきり明るい声を上げた。
「ちょっと空気が重すぎっすよ!ここはバシッと切り替えるしかないっしょ!というわけで、お夕食にしません?あーし、もうお腹すきすぎて超限界っす!」
「……ふっ。そうだな、華の言う通りだ。食べながら、今後のことを話すとしよう」
泰恒様が毒気を抜かれたように微かに笑うと、華は「任せてくださーい!」とあっという間に温かい食事を並べ終えた。
食卓を囲みながら、私たちは本題へと入った。
「賈鴆の手下が最近急激に増えているな。それなのに里の監視が不自然に緩くなっている。今のこの状況は、どうにも怪しいと睨んでいるのだが……」
「そうですね。私の見立てでは、彼らは『軍』を作っているのだと思っています」
泰恒様の言葉に私が答えると、隣でお母様も静かに頷いた。
「そして、監視がないのは、軍が完成した後に圧倒的な力で里全体を完全に『掌握』するためね」
「だからこそ、私たちには時間稼ぎが必要なんだよね?」
桂花の問いかけに、私は「うん」と頷く。
「もうすぐ始まる『星霞祭』を利用して、彼らの目を欺きながら時間を稼ぐの」
「そういえば、星霞祭は準備期間も含めて何日も続くガチでデカいお祭りっすからね!大勢の人が動くし、時間稼ぐにはマジでもってこいっしょ!」
「ほぉ……。皆、すでにそこまで考えていたとは、さすがだな」
華の援護射撃に泰恒様が感心して息を吐く。
私は、さらに踏み込んだ情報を引き出すために尋ねた。
「泰恒様。その……幻夢香を作らされている時に、彼らの動向で何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わりは特にないが……そういえば、蜜霞草の栽培地をもっと広げるとかどうとか、手下どもが話していたな。今思えば、里を掌握した後に、幻夢香の生産をさらに拡大するつもりなのだろう」
「ならば、軍を作っていることは確実でしょうな。……ただ」
玄庵さんが顎髭を撫でながら、低く鋭い声を落とした。
「軍を作っているとして……その『目的』は何ですかな?」
「……ええ。恐らく、この里自体の掌握だけではないのでしょうね」
お母様が、冷たい瞳で窓の外を睨む。
「軍を組織してまで一つの小さな里を掌握するというのは、あまりにも規模が大きすぎるわ。彼らには必ず、その先の『本当の目的』があるはずよ」
(確かに……お母様の言う通りだ。里を掌握するだけなら、今の規模の小規模な武装集団で十分に事足りる。わざわざ大軍を作る『その先』の目的……)
私が頭の中で必死に思考を巡らせていた、まさにその時だった。
「あと、そうだな。幻夢香を作っている時に、黒蓮の幹部らしき者が視察に来ていたぞ。名は確か……『蓮夜』と言ったか」
――ドクン。
その名を聞いた瞬間。私の心臓が、恐怖で跳ね上がった。
「え……っ!?」
「凛花?どうしたの、顔色が悪いよ?」
私が思わず椅子から立ち上がりそうになったのを見て、桂花が心配そうに覗き込んでくる。
だが、バラバラだったすべての断片が、最悪の形で繋がり始めていた。
(蓮夜……!彼がここに直接来ている?……待って。里の掌握だけなら、お母様の言う通り大軍は必要ない)
だが、もしその先があるとしたら。
もし、ここで作られている『軍』がただの兵士ではなく、あの吸えば肺が焼かれる幻夢香の猛毒を実戦で扱うための『毒の軍』だとしたら。
(……あの夜、お兄様は『正当な手段で襲撃する』そう言っていたわ)
「まさか」
私の口から、絶望的な呟きが漏れた。
もしその毒の軍を、黒蓮という暗殺が率いて戦に使うのだとしたら。
彼らが狙う標的は、もう一つしかない。
「狙いは……」




