8 押しに弱いハリエッタ
「ハリエッタちゃんと結婚するためには私が選ばれればいいんだよね?それなら口説いていいってことだよね?…ずっとこの時を待ってたんだ!ふふふ、私の聖女、覚悟してね」
それからのハリエッタの生活は一変した。今まで比較的自由に静かに暮らしていたのに、王室預かりの聖女となったのである。地獄耳はここでも色々なうわさや憶測を拾ってしまう。だがそれよりも何よりも…。
「ハリエッタちゃん、今日はどこにデートに行こうか?」
「ハリエッタちゃん、それ新しいドレス!?かわいい~」
「ハリエッタちゃん、あ、フォンス君もいる?ティータイムにしよう!」
「ハリエッタちゃん、ダンスの練習しろってパーシー君に言われたんだけど一緒にやろう!」
これである。
深窓の令嬢であり、聖職者を目指して学んできた少々人間嫌いのハリエッタには正直言って異性に対する耐性が低い。あの絵本に載っていた天使の姿によく似た守護神に常にエスコートされ、甘やかされるのは何とも居心地がいいような悪いような、不思議な気持ちだった。
つまり早い話、ハリエッタは好みのタイプに押し切られほだされたのである。
それが恋とか愛とか呼べるようなものではないかもしれないが、聖女として指名された時点でそもそも外堀が埋まっているのだから、婚約者候補から婚約者となるのは時間の問題だったのだ。
「あの、そういえば、今聞くのもすごく変なんですけど…」
「ん?なぁに?」
にこにこ。金の長い髪が陽光を反射して幻想的な輝きを淡く放っている。首をかしげたことでさらりと肩から流れた髪は、黙ってさえいれば物憂げな美青年である守護神の鋭角的な美貌を引き立てる、豪勢な額縁のようだ。優しげなまなざしに見つめられることに、まだまだハリエッタは慣れていない。
「ええと、その、いつも神様のことを神様とお呼びしていますが、その、神様には神様の世界ではお名前があるんでしょうか?人間には名乗ってはいけないのか、あるいは神様は神様であって個人としてのお名前はないのかなと思いまして…」
対面に座り優雅ハーブティーのカップを傾けていた守護神はそのままの姿勢で固まっている。その表情はぽかんとしていて、意表を突かれたことを表していた。
「名前…、すっかり忘れてた!神様は神様同士では名前はないんだよ。守護神の場合は国の名前で呼ぶこともあるけど。ねぇハリエッタちゃん、私に名前を付けて!」
「ええ?」
「神様は、聖者聖女を選んで相手から名前を付けてもらって初めて人間として認められるんだよ。聖女(婚約者)につけてもらった名前は特別だよね!」
ばちん!とウィンクを決めてそう言われたが、ハリエッタからしてみたら責任重大である。軽く雑談を振ったつもりだったのに、神様の名付け親になるというのは結婚するよりも重い役割な気がした。
何より、彼女はあまりネーミングセンスに自信がないのだ。
「(子供の頃庭によく来ていた小鳥さんに名前を付けたらフォンスに微妙な顔されたのよね。神様に変な名前を付けてしまったら大変だわ!)それは…責任重大です!すぐに決めるのは難しいですわ。神様のお名前だもの」
守護神は無言でハリエッタを見つめたまま何かを考えこむような顔をした。エメラルドのような妙にキラキラした瞳で真剣に見つめられるのはなんだかこそばゆく、落ち着かない。
「…もしかしてピーヒャラちゃんのこと思い出しちゃった?」
「そ、れは…!?」
フォンスに微妙な顔をされた小鳥のことである。鳴き声がかわいくてそのまま名付けたが、弟からの共感は得られなかった。持ち前の地獄耳は「お嬢様の感性は独特だ」という使用人の言葉を拾ってしまい、ハリエッタは自分のセンスがいまいちなんだろうなと察したのである。
「あ、なんかごめん!ええっとぉ…。ほら、あの頃パーシー君の近くにいたから、ハリエッタちゃんとフォンス君のことも見てたんだよね。だから実は、ハリエッタちゃんのことは、その、色々知ってるんだよ」
以前同じようなことを言ってパーシーに「ストーカーきもいでーす」とはたかれたのを思い出した守護神は妙に子供っぽい仕草で両手をばたつかせた。
「でもでも!安心して!お部屋の中とかは覗いてないから!礼拝堂とかお庭とか食堂とか、共用部分?だけだから!」
「そんなに気にしてないので大丈夫ですわ」
遊び歩いていたパーシーと違って日々大人しく敬虔に過ごしていたハリエッタには別に探られて困るような生活は送っていないので気にしていないのは本当である。実際は社交界では耳が良すぎて聞きたくもないことまで聞こえるために、必要最低限しか出なかっただけだ。
「わたくしのことより、もっと守護神様のことを教えてください。わたくしにとっては知らないことばかりですもの。それでお名前をじっくり考えた方がいいと思いますわ」
「もちろん!なんでも聞いてほしいな!呼びかけるのに名前がないのが不便だったら、旦那様とか?婚約者とか?でいいんじゃない?」
「なるほど。では正式な名前ではないですが、当面は愛称とかお役目で呼びかけることにしますね」
守護している国の名前で呼ぶこともある、と聞いたが、そうなると国名が「ガルタ王国」なので対外的には「ガルタ」ということになりそうだが、王城でそれをいうのははばかられる。
そういえば守護神は地上に降りたことによりその身は大神殿の所属となっている。国王は大神殿のトップである教王に据えてはどうかと言ったが、守護神自身が実務的な執務をこなせないというので神官のトップという扱いに置くことになったのだ。現在は天上にいたころからやっていたという守護の祈りや祈禱など、いかにもな仕事をしているがどちらかと言えば象徴的な存在意義が大きい。
「神官の筆頭ということで『大神官様』とお呼びしますね。これなら信徒たちも少し身近に感じられると思いますの」
「役職呼び…いまいち色気がないけど…まぁハリエッタちゃん以外の人にも呼ばれるならしょうがないか~。結婚する時までに私の名前決めてね」
「はい、そのためにも、もっと大神官様のことを知りたいです!」
「んんんんっ、聖女に呼ばれるとどんな呼びかけでも悪くないんだな…。ふふふ、私のこと、色々教えてあげるよ。けど、その口調、パーシー君やフォンス君と話すときと同じようにしてほしいな?だって婚約者だよ?」
ね?と首をかしげて上目遣いでハリエッタを見上げるしぐさは、あざとい。中性的な美貌は暴力的な効果があるのだとハリエッタは体感した。
「わかりま…わ、わかったわ」
「ふふふ、何でも聞いて!何からお話ししようか?」




