黄色いベンチ
「どうしたんだい?もしかしてレヴィン爺に泣かされたりしたのかい?」
俺の顔を見たルミアは少し驚いたような表情になったが、すぐいつもの調子に戻った。
「まぁ、そんなところ。遅くなってすまない。すぐに帰るよ」
「大丈夫かい?なんなら僕が送って行って…」
「大丈夫。今日は歩いて帰りたいんだ。」
「ふむ…なら、暗いから気を付けて帰りたまえ。」
事務所のドアを開けると、もうすでに人の姿はなく、ひっそりと街は静まり返っていた。
そんな中、地面の感覚を確かめながら家に向かって歩く。
アリスに初めて連れて来られたのは二ヶ月前
のことだが、まるで昨日のことのような感覚だ。
「……おっ」
道端に置いてある小さなベンチ。俺とアリスが座れそうな黄色いベンチから、何故か目が離せなかった。
××××
「お、恭弥は今日は休みなのか。」
銀髪赤眼の彼女は黄色いベンチに座っている。俺に気がついたらしく手招きをして隣に座るように促す。
「王国騎士団はどうだ?」
「ルリディア王国は平和で助かっている。私達の出番があまりないのは良いことだな。」
街行く人たちを眺めながら彼女は話す。
「そっちこそ、何の仕事をしているんだ?」
「秘密。」
「むぅ、ずるいではないか。」
彼女は幼い子供のように頬を膨らませて拗ねた。
「まぁ、仕事が落ち着いたら話すよ。」
「……そうか。で、最近…落ち着いたら…誰かと結婚する、って聞いたんだが…」
彼女は不自然に俯き、そっぽを向いて聞いてくる。声はだんだん小さくなっていき、最後の方は聞き取るのがやっとだった。
「うん、まだプロポーズもしてないけどね。頑張るつもりだよ」
「そうか…頑張ってくれ」
心なしか、彼女の声が弱くなった気がした。
「なぁ、アリス。」
「…何だ?」
「一週間後、このベンチに来てくれ。」
××××
「おかえりなさいませ、恭弥さん。夕食できてますよ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
「…どうしました?目が赤いですよ?」
「…いや、何でもないですよ。」
苦しい言い訳だ、と自分でも分かっているが、今はとにかく一人になりたかった。
すれ違いざま、
「お話、聞きますから。」
と聞こえたのは気のせいだったのだろうか。
××××
部屋に戻ると、アリスが俺のリュックを漁っていた。
「き…恭弥⁉…違うんだ、これは片付けをしていただけで…」
「別にいいよ。何か珍しいものでもあった?」
アリスが新しい玩具を見つけた子供のように目を輝かせる。
しかし、彼女は俺の顔を見て少し悲しそうになる。
「どうしたんだ?…何かあったのか?」
「いや…ちょっと。何でもない。」
少しの沈黙。それを破ったのはアリスだった。
「…もし恭弥が何か苦しんでいるなら…力になりたい。…ただ、無理に話す必要は無いからな…?」
途切れ途切れの言葉。それは紛れもない彼女の、心だった。
「恭弥が苦しいのを見るのは…私だって苦しいんだ。何か…できることはないか?」
一度は止まっていた涙が溢れ出した。心から彼女を守りたい、と思った。
俺は全てを話した。レヴィン爺さんから聞いた話、黄色いベンチの話、記憶が戻らない苦しさ。
彼女は俺の目を見据え、何度も頷きながら聞いてくれた。
そして、俺の話が終わると、優しく微笑んだ。
「記憶がなくても…別に気にする必要はない。今から三ヶ月、なかなか時間がある。思い出なんかいくらでも作れるだろう。」
「何故…そこまで俺のことを?」
アリスは顔を真っ赤にしながらも恥ずかしがることなく、
「例えどんなことがあろうと、私は貴方を愛しているからだ。」
そして慌ててアリスは言葉を継ぎ足す。
「べ、別に今返事はいらないからな?…さ、三ヶ月経ってから…い、いやいつでも良いんだが…」
あたふたしながら必死に言葉を絞り出す。
「ああ、これからじっくり思い出を作っていこう。記憶も多分戻るさ。返事はその後で良いか?」
彼女は熟れたトマトのように紅潮した顔で頷き、部屋を飛び出していった。
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