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実家が魔境の有馬くん 〜異世界が天国すぎて帰りたくありません〜  作者: あめたす


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第7話:聖教国の宿舎は「合宿所」ではありません

第7話:聖教国の宿舎は「合宿所」ではありません


 聖教国が管理する迎賓館――もとい、異端審問官の監視付き特別宿舎。

 高い天井に、緻密な装飾が施された大理石の壁。現世の高級ホテルのような内装に、有馬ありま せんは部屋の入り口で固まっていた。


「……あの、イザベラさん。ここ、僕みたいな素人が入って大丈夫なんですか? 汚すとじいちゃんの顔に泥を塗ることになりますし、何より親父に『身の丈を知れ』とまた滝に打たれる修行をさせられそうで……」


「身の丈だと? ……ふん、やはり相当な圧力を受けて育ったようだな。安心しろ、ここは神の慈悲の下にある。お前の不浄な過去も、今夜だけは忘れろ」


 イザベラは重厚な扉を閉め、背を向けた。

 彼女の目には、豪華な部屋を前にして怯える閃が「富や安らぎを奪われ、暴力のみで飼いならされてきた悲劇の天才」に見えていた。


「(……ああ、可哀想に。この男、ふかふかのベッドを知らずに生きてきたのか。……いけない、私は審問官。情に流されては……)」


「あの、すみません! 早速なんですが、掃除用具とかありますか?」


「……掃除? なぜだ」


「いえ、こんなに綺麗な床に、外を走り回った足で踏み入るなんて……。実家じゃ、帰宅して0.3秒以内に足を拭かなければ、母さんのローキックが飛んできましたから。せめて、廊下だけでも磨かせてください」


「…………。お前の母親は、悪鬼か何かなのか?」


「悪鬼だなんて! ただ、少し……いえ、かなり物理的に厳しいだけです。ポーランドの格闘技界隈では『アルティマウェポン』って呼ばれてたらしいですし」


 イザベラは内心で深く頷いた。アルティマウェポン――古の言語で「究極兵器」。おそらくは大陸の北方に潜む、強大な闇の勢力のコードネームだろう。その実験体、あるいは奴隷として、この青年は「0.3秒」という異常な反射神経を強制的に植え付けられたのだ。


「……もうよい。掃除は使用人がやる。お前は……そう、体を洗ってこい。湯浴みは許す」


「えっ、お風呂まで!? ……イザベラさん、あなた、本当に人間ですか? まさか、女神様の化身……?」


「く、口を慎め! 異端者が滅多なことを言うな!」


 イザベラは顔を赤らめ、逃げるように部屋を去った。

 扉の向こうで、彼女は自分の胸に手を当てた。


「(な、なんなのだ、あの純粋な目は。……邪神に呪われながら、あんなにも人を信じる心が残っているというのか。……私が守らねば。この男の魂が、闇に呑まれる前に……!)」


 一方、閃は脱衣所で歓喜に震えていた。


「(……すごい。蛇口をひねるだけでお湯が出る。薪を割らなくていい。しかも、風呂場に親父が隠れていて『水遁の術の練習だ』と言って沈めてくることもない……。ここがエデンか……)」


 翌朝。

 イザベラが監視のために部屋を訪れると、そこには驚くべき光景が広がっていた。


「……何をしている、有馬」


「あ、おはようございます! 朝のしつけ、じゃない、運動を少々」


 閃は、指一本で逆立ちをしながら、目にも止まらぬ速さで腕立て伏せを繰り返していた。しかも、背中には部屋にあった一番重そうな彫像(聖教国の国宝級の美術品)を載せている。


「なっ……!? その彫像は聖人ルカの……! 下ろせ! 今すぐ下ろせ!」


「えっ!? すみません、ちょうどいい重りだと思って……。いつもはじいちゃんが背中に乗って『殺す気で来い』と竹刀で突いてくるので、これくらいじゃないと目が覚めなくて……」


「…………」


 イザベラの理解が、再び崩壊した。

 神聖な彫像を「ちょうどいい重り」と言ってのけ、日常的に「殺し合い」を強要される環境。この男が言う「実家」とは、間違いなくこの世の地獄なのだ。


「有馬。……もう、そんな訓練はやめていいのだ。お前はもう、自由なのだぞ」


「え? 自由? ……あ、そうか。今日は買い出しの当番じゃないから、確かに自由ですね! じゃあ、午後のトレーニングまで王都の観光に行ってもいいですか!?」


「…………。ああ。私が同行する」


「本当ですか!? 現地のガイドまで……。イザベラさん、あなた、前世で僕に何か大きな恩でもありましたか? サービスが良すぎて怖いくらいです」


「……黙れ。早く準備しろ」


 二人は宿舎を出て、活気あふれる王都の広場へと繰り出した。

 聖教国の威信を背負う、凛とした美貌の審問官。

 その後ろを、どこか卑屈な態度で、しかしキラキラと目を輝かせて付いていく青年。

 街の人々は、その奇妙な組み合わせに足を止めた。


「おい、見ろよ。あのイザベラ様が、男を連れて歩いてるぞ」


「しかも、あの男……腰が低いが、歩き方に一切の隙がない。……もしや、聖教国が秘密裏に雇った『死神』か?」


 周囲の勘違いなど露知らず、閃は屋台の串焼きの匂いに鼻を躍らせていた。


「イザベラさん! あそこ、美味しそうですね! ……あ、でも、あの方はオークさんじゃないから、お肉をタダでくれたりはしませんよね」


「……当たり前だ。……食べたいなら、私が買ってやる」


「ええっ!? ……やっぱり女神様だ。間違いない」


 閃の無自覚な言葉に、イザベラはまた一つ、心の防壁を溶かしていく。

 

 だが、その平穏を破るように、広場に怒号が響いた。

 

「どけ! どけぇ! フレイア皇女殿下のお通りだ!」


 重装騎兵を引き連れ、黄金の鎧に身を包んだ女性騎士が、馬を走らせてくる。

 隣国・軍事帝国の皇女、フレイア。

 彼女の鋭い視線が、イザベラの隣にいる


「隙だらけに見えて、実は神域の歩法(縮地)で歩いている」閃に固定された。


「――見つけたぞ。我が軍の精鋭を『寝技』で倒したという、噂の異邦人。……貴様、私と戦え。勝てば、我が帝国の軍神として迎えてやる」


 閃は、串焼きを口に運ぼうとした姿勢のまま、固まった。


「……あの、フレイアさん。……僕、女性を殴ったら、母さんに『レディファーストの精神を叩き直す』と関節をキメられるので、お断りしてもいいですか?」


「……ほう。私を、女と侮るか」


 フレイアの瞳に、激しい戦意(恋の火種)が宿った。

 

 聖教国の「救済」、軍事帝国の「略奪」、そして実家の「トラウマ」。

 有馬 閃の望まない争奪戦が、今、幕を開ける。

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