第8話:異世界の皇女は「お母さん」より怖くありません
第8話:異世界の皇女は「お母さん」より怖くありません
王都の広場が、一瞬にして戦場へと変貌した。
黄金の鎧を軋ませ、愛馬から飛び降りた軍事帝国の皇女フレイア。
その背後には、抜刀した重装騎兵たちが一糸乱れぬ隊列で控えている。
対するは、白銀の法衣を翻し、細剣の柄に手をかける聖教国の異端審問官イザベラ。
「……フレイア皇女。ここは聖教国の庇護下にある王都だ。他国の軍勢が、我が国が『調査中』の最重要案件に不躾に手を伸ばすなど、宣戦布告と受け取っても良いのだな?」
「ハッ、笑わせるな堅物女。教会がその男を『呪われた異端者』として幽閉するつもりなのはお見通しだ。このような至宝を、お前たちの陰気な地下牢で腐らせてなるものか」
バチバチと火花が散る二人の美女。
その中心で、有馬 閃は、右手にもった串焼き(タレ味)をどうすべきか、本気で悩んでいた。
「(……あの、これ、冷めるとお肉が硬くなっちゃうんですが……。あと、至宝って誰のことでしょう。僕が持ってるこのサランラップのことでしょうか……?)」
緊迫した空気を完全に無視してオロオロする閃。
だが、フレイアの目は誤魔化されなかった。
「(……やはり、只者ではないな。教会の審問官と、我が帝国の精鋭に囲まれながら、あの男の重心は微塵もブレていない。それどころか、あえて肉を喰らう姿勢を維持することで、こちらの『戦意』を削ぎに来ている……!)」
フレイアは不敵に笑み、大剣を閃に向けた。
「有馬 閃! 我が帝国は強者を裏切らない。お前がその『底知れぬ呪い』の力を我がために振るうなら、地位も、名誉も、私のすべてをも与えよう!」
「……私のすべて……!?」
閃の脳裏に、最悪のフラッシュバックが走る。
『閃、お前のすべてを私に捧げなさい。さあ、チョークスリーパーの刑よ』
夜の静寂の中、寝室に忍び込んできた母・クリスティーナの、あの冷徹な笑顔。
すべてを与えるという言葉は、実家においては「自由の完全な剥奪」を意味していた。
「い、嫌です! 誰かのものになるなんて絶対に嫌です! 僕はただ、静かに薬草を摘んでいたいだけなんです!」
悲痛な閃の叫び。
だが、それがイザベラの胸を激しく打った。
「聞いたか、略奪者め。この男は、己の力を利用しようとする者に魂の底から怯えている。もう二度と、誰の道具にもなりたくないと……そう言っているのだ!」
「(えっ、そんなことは一言も言ってないんですが……!?)」
「黙れイザベラ! ならば力ずくで奪うまで!」
フレイアが地を蹴った。
黄金の鎧を着ているとは思えないほどの神速。大剣に魔導の紅蓮が宿り、空間を焼き焦がしながら閃の脳天へと振り下ろされる。
「――有馬、危ないっ!」
イザベラが叫ぶ。
だが、閃の視界は、すでに別の次元で動いていた。
(……うわ、速い。でも、縦の一文字斬り。……親父が怒り狂って『今日の分のプロテインを飲んだのはお前かぁ!』って襲ってきた時の、あの理不尽なラッシュに比べれば……軌道が素直すぎる……!)
閃は無意識に、生存本能のままユニークスキルを発動させた。
『刹那の削り(タイム・トリミング)』――。
コンマ一秒の時間を世界から削り取る。
フレイアの大剣が閃の脳天を叩き割る――その「直前」の瞬間が消滅した。
「な――っ!?」
フレイアの驚愕。
彼女の視界から、閃の姿が掻き消えた。
いや、消えたのではない。閃は、大剣の刃が通り過ぎるわずかな隙間に、吸い込まれるように滑り込んでいた。
「……女性を殴ったら、本当に実家から追手が来ますから……!」
閃は、レディファーストの精神(※破ると母さんに骨を折られる)を徹底するため、一切の攻撃を行わず、ただフレイアの懐をすり抜けるようにして、背後へと「歩いて」抜けた。
ゴウッ! と虚空を切り裂いた紅蓮の炎が、広場の石畳を溶かす。
しかし、そこには誰もいない。
「ば、馬鹿な……。私の『烈火斬』を、残像すら残さずに回避した……!? カウンターの好機を、あえて見逃したというのか!?」
フレイアが戦慄しながら振り返る。
そこには、相変わらず情けない顔で、なぜか深々とお辞儀をしている閃の姿があった。
「すみません! 避ける時にちょっと袖が触れちゃいました! 弁償します、前の世界の通貨しかありませんが!」
「(……違う。この男、私を『殺す価値もない』と切り捨てたのだ。あえて無防備な背中を晒し、格の違いを見せつけるために……!)」
フレイアの頬が、屈辱と、それ以上の「未知の昂ぶり」で紅く染まる。
「素晴らしい……。これほどの男が、この大陸に隠れていたとはな……!」
「いや、隠れてないです。普通に迷子になってるだけで……」
そこへ、広場の人混みを割って、一人の青年騎士が血相を変えて飛び込んできた。
聖教国の超エリート騎士、カイルである。
「有馬殿――っ! やはり、あなたでしたか!」
「あ、カイルさん。こんにちは。ちょうどいいところに、この串焼きのタレが――」
「フッ、誤魔化さなくて結構です。先ほどの身のこなし、遠目からでも分かりましたよ。あえて相手の最大火力を誘い出し、それを『歩法』だけで無力化する。……相変わらず、反吐が出るほど完璧な心理戦だ」
「……はい?」
カイルは閃の前に立ち塞がり、フレイアを鋭く睨みつけた。
「フレイア皇女、これ以上の無駄な戦いはよせ。有馬殿のあの『卑屈な構え』は、すでに君の攻撃パターンをすべて見切ったという、絶対の自信の裏返しだ。これ以上踏み込めば、君の命はないぞ」
「カイルさん、僕、そんな物騒なこと考えてないです! むしろ僕の命が危ないです!」
「……ククッ、どこまでも底が知れない男だな、有馬殿。私のプライドをそこまでズタズタにして、まだ足りないというのか。……だが、私は認めざるを得ない。君という『壁』の圧倒的な高さをな……!」
カイルの瞳には、狂信的なまでのライバル心と、奇妙な悦びが混ざり合っていた。
「(……もうだめだ。この国の人たち、みんな日本語は通じるのに、話が全く噛み合わない……!)」
閃が頭を抱えた、その時。
「ちょっとおおおおお! 閃ぁーーーーっ!」
広場の向こうから、美しい金髪を振り乱し、凄まじい形相で走ってくるハイエルフの姿があった。元・特級冒険者のアルウェンである。
「あ、アルウェンさん! よかった、知ってる人が来てくれ――」
「よくないわよバカっ! あんたがギルドに置いていった、あの『トカゲの角』ね! ギルド長が鑑定したら『古龍の逆鱗(至高の魔力媒体)』だって判明して、今ギルドの上層部がひっくり返ってんのよ! なんであんたは、ちょっと薬草摘みに行っただけで世界を滅ぼしかねない遺物を持ち帰ってくるのよぉ!」
アルウェンは閃の胸ぐらを掴んで激しく揺さぶった。
「ト、トカゲの角……? いや、ただの邪魔な突起物だったんですが……」
「古龍……だと!?」
「神を屠る力……やはり、邪神の呪いか……」
フレイアとイザベラが、それぞれ異なる解釈で同時に息を呑んだ。
アルウェンは周囲の異常な雰囲気にようやく気づき、ハッと息を止める。
聖教国の審問官、帝国の皇女、そしてエリート騎士が、一人の「卑屈な青年」を巡って、ただならぬ視線を交わしている。
「……ちょっと、閃。あんた、私の目を盗んで、また何かとんでもないトラブルに首突っ込んだの?」
「違います! 皆さん、僕にすごく優しくしてくれて……」
「……ハイエルフの女よ」
イザベラが、一歩前に出た。その目は、どこか冷徹でありながら、異様な執念を孕んでいる。
「この男は、あまりに強すぎる力ゆえに、世界から拒絶され、過酷な宿命に縛られている。……私は、彼の『呪い』を解く義務がある。これ以上、彼をそそのかすな」
「はあ!? 何言ってんのよこの堅物! 閃は私が監視(面倒を)することになってんのよ! これ以上、このバカの方向音痴に巻き込まれる人間が増えたら、私の胃がもたないわ!」
「……面白い」
フレイアが大剣を鞘に収め、不敵に笑う。
「聖教国も、伝説のエルフも、その男の『本質』に囚われているわけか。……有馬 閃。ますます気に入った。私の国へ来い。お前のその乾いた魂を、戦いと勝利で満たしてやろう」
「……ですから、僕は、ただの……山梨の……」
閃の声は、三人の美女(と、一人で勝手に熱くなっているカイル)の熱量にかき消された。
明言されない信頼。
言葉にされない歪んだ執着。
それぞれの思惑が、閃という「無自覚な怪物」を中心に、深く、静かに絡み合っていく。
当の本人は、ただ実家の「魔境」を思い出し、青ざめるばかりだった。
「(……ああ。じいちゃん、親父、母さん。異世界の人たちは、みんな僕のくだらない話を真剣に聞いてくれます。……やっぱりここは、実家に比べれば、ただの『そよ風』みたいに優しい天国です……)」
ズレにズレた関係性の糸は、誰にも解けないまま、さらに複雑に縺れ合っていく。




