第5話:ギルドの報告は「世間話」ではありません
第5話:ギルドの報告は「世間話」ではありません
王都の街並みに夜の帳が下りる頃、冒険者ギルドの扉が再び開かれた。
戻ってきたのは、古びた木刀を下げた青年・有馬 閃と、死んだ魚のような目をしたハイエルフのアルウェン。
「ただいま戻りました。ルナさん、いらっしゃいますか?」
閃の声は、スーパーの閉店間際に滑り込んだ主婦のように切実だった。
受付カウンターでは、昨日の今日で胃痛に耐えていたルナが、引きつった笑みで顔を上げる。
「あ、有馬さん……。おかえりなさい。初クエストの薬草摘み、無事……でしたか?」
「はい。道に迷って少し遅くなりましたが、なんとか草も手に入りましたし、親切な方々にお肉まで分けていただきまして」
「……親切な方、ですか?」
ルナの脳裏には、街の裏山の穏やかな風景が浮かんでいた。せいぜい、気のいい薬草農家か、散歩中の老人に出会ったのだろう。
だが、隣に立つアルウェンが、震える手でカウンターに突っ伏した。
「ルナ……、聞かない方がいいわ。……私はもう、この世界の『強さ』の定義がわからなくなったの」
「アルウェンさん? 何を――」
「あ、これです。とりあえず薬草を」
閃がエコバッグから取り出したのは、赤黒く、血管のように脈打つ不気味な輝きを放つ草の束。
ギルド内の喧騒が、一瞬で凍りついた。
「…………これ。龍、血、草……?」
ルナの口から、掠れた声が漏れる。
それは、飛竜の巣にしか自生せず、伝説の錬金術師ですら「命と引き換えに一本手に入るかどうか」と謳われる神話級の霊薬。それが、スーパーのビニール袋に雑に詰め込まれている。
「……有馬さん。これ、どこで?」
「あ、看板の読み間違いで少し崖を登ったところに。トカゲさんが数匹いたので、少し大人しくしていただいてから摘ませてもらいました」
「トカゲ……。まさか、あの絶命の岩壁のワイバーンを、『しつけ』たんですか……?」
ルナの筆が、カタカタと音を立てて机に落ちる。
しかし、閃の「報告(世間話)」は止まらない。
「それと、こちらのお肉なんですが、換金とかできますか? 帰りがけに寄った市場のような集落で、皆さんから『どうか、これを食べて帰ってください』と泣きながら手渡されまして。……僕、そんなにお腹が空いた顔をしてたんでしょうか。修行不足ですね」
ドン、と置かれたのは、禍々しい魔力を放つ地獄猪の心臓。
そして、なぜか丁寧に「オーク族の家紋」が刻まれた献上用の木箱。
「…………オークの、集落……?」
ルナは、もう感情を処理することを諦めた。
「初心者向けの薬草摘み」に行ったはずの青年が、飛竜を峰打ちで沈め、狂暴なオークの軍勢を「スライディング土下座」させて略奪……ではなく、貢物を持ち帰ってきた。
(……この人、天然で世界のパワーバランスを破壊してる……!)
「おい、小僧……!」
背後から、低い声がした。
昨日、閃に手首を極められた「赤き咆哮」のリーダー、ガルドだ。
彼は右腕に包帯を巻き、殺気というよりは、得体の知れない化け物を見るような目で閃を凝視していた。
「……お前、本気で自分が何をしたか分かってねえのか。龍血草一本で、家が建つんだぞ。それをそんな、ネギみたいに……!」
「えっ、家ですか!? そんなに価値のあるものだったんですか……。すみません、ただの赤い薬草だと思って……じいちゃんの湿布にでもするつもりで……」
「じいちゃんだぁ!? その、お前の『有馬流』とかいう不気味な流派の主か!?」
閃は、ガルドの剣幕に少しだけ身を引いた。
「……はい。じいちゃんは、ハエの足だけを斬るような人ですから。僕なんて、飛竜の頭を叩くのが精一杯で。親父にも『お前はいつも詰めが甘い。一瞬の遅れは死だ』と毎日蹴り飛ばされていましたから……」
閃の口から語られる「実家の日常」。
それは、異世界の猛者たちにとって、魔王の軍勢よりも凄惨で絶望的な「地獄の風景」に聞こえた。
「(……ああ。だからこの男、飛竜の爪を見ても瞬きもしなかったのね……)」
アルウェンは悟った。
彼にとって、この異世界は「命のやり取り」の場ではない。
ただの「休日」なのだ。
「……有馬 閃さん。……特例中の特例ですが、ギルドマスターに報告の上、あなたのランクをFから一気に――」
「あ、すみませんルナさん! その話、明日でもいいですか!? 門限が……門限を過ぎたら、母さんの『シャイニングウィザード』が待ってるんです! それだけは、それだけは勘弁してください!」
時価数億エリスの素材をカウンターに放置したまま、閃は脱兎のごとくギルドを飛び出していった。
後に残されたのは、伝説の霊草と、震える受付嬢、そして、圧倒的な力の前にプライドを粉砕されたベテラン冒険者たち。
「……ねえ、ルナ」
アルウェンが、力なく呟いた。
「あいつの母親……『アルティマウェポン』って呼ばれてるらしいわよ。……この世界、終わるかもしれないわね」
夜の王都。
全速力で走る閃の背後には、彼にしか見えない「母・クリスティーナ」の鬼のような幻影に脅え走り回っていたが、ここは異世界だということを思い出し、閃は安堵した。
異世界のどんな魔王よりも、彼は実家のしつけを恐れていた。




