第4話:オークの集落は「市場」ではありません
第4話:オークの集落は「市場」ではありません
有馬 閃は、自身の鼻を信じていた。
漂ってくるのは、香ばしく肉を焼くような匂いと、どこか野性味のある脂の香り。
「アルウェンさん、あそこですよ! あの煙の上がり方、絶対に賑やかな屋台街かバーベキュー会場です」
「待てと言ってるでしょ! その『賑やか』の意味が、この世界とあんたの常識じゃ致命的にズレてるのよ!」
アルウェンの静止も虚しく、閃は軽やかな足取りで茂みをかき分けた。
そこは、切り立った岩壁の麓に広がる、巨大な集落だった。
ただし、並んでいるのは清潔な屋台ではなく、泥と骨で塗り固められた歪な住居。
そして、楽しげに談笑する町人の代わりにいたのは、身長2メートルを超える筋骨隆々の豚頭の怪人――オークの群れだった。
「……あれ。なんだか、皆さん随分とガタイがいいですね。プロレスの巡業先でしょうか?」
「オークの集落よ! どこをどう見たら屋台街に見えるのよ!」
集落の中心では、巨大な猪が丸焼きにされていた。
閃の侵入に気づいたオークたちが、手にした粗末な斧や棍棒を握り直し、低い唸り声を上げる。その数は、ざっと50体。
「グルルッ……人間か。ちょうど肉が足りなかったところだ」
最前列にいた一際大きなオーク――集落の長が、涎を垂らしながら一歩踏み出す。
その殺気は、並の冒険者なら膝が震えて動けなくなるほど。
だが、閃は至って冷静に周囲を観察していた。
「……なるほど。なるほど。……アルウェンさん、失礼ですが、あの方たちの足腰、見てください」
「は? 足腰?」
「重心が常に親指の付け根にあります。あのアゴの引き方、拳の握り込み……。間違いありません。彼ら、相当やり込んでいますよ」
閃の脳裏には、父・将に連れられて行った、山奥にある「野良熊とのスパーリング会場」の光景が重なっていた。
彼にとって、オークの群れは「魔物」ではなく「筋肉の練度が極めて高い格闘家集団」に見えていた。
「(……この状況で、敵の動作を分析してるの!?)」
「グルァッ!」
オークの長が、閃の頭上から巨大な棍棒を振り下ろす。
空気が爆ぜるような重圧。
ユニークスキル【刹那の削り(タイム・トリミング)】。
閃は、0.1秒を削り、その「懐」に入り込んだ。
棍棒が閃の残像を粉砕する間に、彼の掌が集落の長の腹部にそっと添えられる。
「……失礼。その突き出し方、少し脇が甘いです。親父なら、ここから肋を三本持っていかれますよ」
「なっ……!?」
「有馬流・古武術――『浸透』」
パシッ。
と、静かな音がした。
閃の突きは、まるで叩くような軽やかさ。
しかし次の瞬間、オークの巨体は背後の住居を三つ突き破り、そのまま森の奥まで吹き飛んでいった。
「グル……? 長が……一撃……?」
静まり返る集落。
閃は、木刀を構えることすらせず、丁寧な姿勢で残りのオークたちに向き直った。
「皆さん、申し訳ありません。僕はただ、この『薬草』を換金して、夕飯の材料を買いに行きたいだけなんです。道を譲っていただけませんか?」
「ヒッ……モ、モン、モンスター……!!」
50体のオークたちが、一斉に武器を投げ捨てて土下座を披露した。
彼らもまた「強者」だったからこそ、理解してしまったのだ。
目の前の青年が放った一撃が、魔法や加護などという生易しいものではなく、何万、何十万回の反復練習によってのみ到達できる「技術の極致」であることを。
「えっ? あ、皆さん並んでくださるんですか? 行儀がいいですね。ありがとうございます」
にこやかにオークたちの間を通り抜ける閃。
その後ろを、アルウェンが魂の抜けたような顔で付いていく。
「(……オークの集落を……。私の常識、返して……)」
結局、集落の出口で見つけた「一番上等な肉」を、オークたちが泣きながら献上(貢物)してきたため、閃はホクホク顔で王都への帰路につくことになった。
「いやあ、親切な方々でしたね。皆さん、僕の技術を熱心に見てくれましたし」
「……あれは恐怖で動けなかっただけよ。というか、その肉……それ、地獄猪の最高級部位じゃない。王族でも滅多に食べられないわよ」
「そうなんですか? まあ、何でもいいんですけどね。でも、ここは本当に別の世界なんですね…」
夕焼けが、二人の背中を照らす。
閃はふと、遠い空を見つめた。
「……それにしても、アルウェンさん。この世界は本当に平和ですね。誰も竹刀でいきなり殴りかかってきませんし、森を歩いても熊にプロレス技を仕掛けられません。……少し寂しい気もしますが、僕…もう帰りたくないかもしれません…」
「(……あんたの実家、本当になんなのよ……)」
アルウェンのツッコミが、穏やかな風に消えていく。
王都に戻れば、この「薬草摘み(飛竜退治とオーク制圧付き)」の結果報告が、ギルドをさらなる混沌に陥れることを、閃だけはまだ知らない。




