第3話:薬草摘みは「簡単なおつかい」ではありません
第3話:薬草摘みは「簡単なおつかい」ではありません
翌朝、王都にある冒険者ギルドの片隅で、有馬 閃は神妙な面持ちで水晶玉の前に立っていた。
「……あの、アルウェンさん。これで何がわかるのですか?」
「『適正検査』よ。これに手をかざせば、あんたの魂に刻まれた技能――『ジョブ』が判明するわ。昨日みたいな騒ぎを起こしたんだから、公的な身分証がないと王都を歩くのも危ういのよ」
アルウェンは昨夜、一睡もできなかった。
この「山梨の太刀岡山の麓から来たと言い張る青年」が、もし魔王軍の刺客か、あるいは世界の理を壊す異端者だったら――。そんな不安を抱えつつ、水晶玉を見守る。
閃がそっと水晶に手を触れる。
瞬間、水晶が鈍い鋼のような輝きを放ち、空中に古代文字が浮かび上がった。
「な……えっ?」
受付のルナが絶句した。昨日、白目を剥いて倒れた彼女は、今日もしっかりと(若干腰が引けつつ)業務をこなしている。
「ど、どうしたのルナ? 判定は何?」
「……『サムライ』。聞いたこともないジョブです。それに付随するスキルは……『有馬流・剣術』『有馬流・古武術』。判定不能ですが、とにかく希少ジョブであることは間違いありません……」
周囲の冒険者たちがざわめく。だが、閃だけは心底安心したように肩を落とした。
「よかった……。『職なし』だったら、じいちゃんにどんな顔をして合わせればいいか。サムライと出たんですね。これなら修行の成果を否定されずに済みそうです」
「(……いや、あんたの言う『修行』が何なのか、こっちはどんどん怖くなってるんだけどね)」
アルウェンが額を押さえる中、ルナが震える手で鉄製のギルドプレートを差し出した。
「有馬 閃さん。あなたは本日付で、Fランク冒険者として登録されました。……ただ、昨日持ち込まれた素材の件もありますので、早急にランクアップをお勧めします」
「いえ、僕は初心者ですから。まずは一番簡単な、下積みの仕事からお願いします」
閃の座右の銘は「初心忘るべからず」。
慢心した瞬間に、親父の裏拳が飛んでくる実家の環境が、彼に異常なまでの謙虚さを植え付けていた。
「じゃあ……これなんてどうでしょう? 『街の裏山での薬草摘み』。一番安全で、新人の登竜門と言われています」
「ありがとうございます! ぜひ、やらせてください!」
閃はパッと顔を輝かせた。
これなら道に迷っても、せいぜい街の近くで済む。……そんな甘い考えを抱きながら。
一時間後。
「……アルウェンさん。なんだか、空気が薄くなってきましたね」
「あんた。さっきの分岐、右に行けって言ったわよね? なんで崖を登ってるのよ」
アルウェンは、垂直に近い断崖絶壁を、木刀を腰に差したまま「散歩」のようにひょいひょいと登っていく閃の背中を、必死に追いかけていた。
彼女は元・特級冒険者だ。身体能力は常人を遥かに超えている。だが、目の前の青年は、ただの「歩行」の延長で物理法則を無視しているように見えた。
「おかしいですね。看板には『薬草の森はこちら』と書いてあったはずなのですが」
「あれは3キロ手前の看板よ! ここは標高3000メートル、飛竜の巣窟と呼ばれる『絶命の岩壁』よ!」
絶叫するアルウェン。その時だった。
空を裂くような鳴き声と共に、巨大な影が二人を覆った。
ワイバーン。
Fランク冒険者なら見た瞬間に遺言を遺すレベルの魔物である。
『キェェェェ!』
3匹の飛竜が、音速に近い速度で急降下してくる。
「閃、伏せて! 私が魔法で――」
「あ、危ないですよ。こんなところで暴れたら、足場が崩れてしまいます」
閃の意識が切り替わる。
それは「戦闘」ではない。
「じいちゃんの盆栽を倒した猫を、傷つけずに追い払う」時の、極めて精密な動作。
ユニークスキル【刹那の削り(タイム・トリミング)】。
三匹の飛竜が、閃の喉元に爪を立てる――その直前。
「有馬流・小太刀術、裏の型――『峰打ち旋風』」
シュッ、と閃の腕がかすかに揺れたように見えた。
次の瞬間、飛竜たちの眉間に、木刀の柄頭が寸分違わず叩き込まれた。
『ぎゃんっ!?』
伝説の飛竜が、まるでデコピンを受けた子犬のような声を上げ、そのまま空中で気絶して落下していく。閃はそれを、片手で一匹ずつ首根っこを掴んで岩場に並べた。
「よし、これで良し。暴れちゃダメですよ。じいちゃんが言ってました。『殺生は最小限に。後の片付けが面倒だから』って」
「(……片付けの問題じゃないでしょ……)」
アルウェンは呆然と立ち尽くす。
飛竜の頑丈な頭蓋を、木刀の柄で、しかも気絶させるだけの加減で叩く。そんな芸当、剣聖を冠する英雄でも不可能に近い。
「あ、ありました! これですかね?」
閃が岩場の影からむしり取ったのは、怪しく輝く赤い草――。
「薬草」ではない。傷を癒すどころか、死者すら蘇らせると言われる至高の霊薬「エリクサー」の主原料、『龍血草』だった。
「……ええ、そうね。それも一応『草』の範疇よね。もういいわ、帰りましょう。これ以上ここにいたら、私の心臓が持たない」
「そうですね。山梨に帰る方法も考えたいですし」
閃は山のような龍血草をエコバッグに詰め込むと、満足げに頷いた。
「……それにしても、異世界の仕事は楽でいいですね。実家の裏山だと、山菜を摘もうとするだけで、じいちゃんが木の枝を飛ばしてきますから。それに比べれば、今のトカゲさんたちは本当に優しかったです」
飛竜を「優しいトカゲ」と称する青年。
アルウェンは確信した。この男の「実家」は、この世界の魔王城よりも恐ろしい場所に違いないと。
「よし、アルウェンさん! あっちの方に、美味しそうな匂いがします。きっと市場です!」
「待ちなさい! そっちは真逆の、オークの集落よ!」
迷子のサムライの背中を追いながら、ハイエルフの叫びが今日も虚しくこだました。
「(…この男、食べ物のことしか考えてないのね……)」
閃の脳裏には、玉ねぎを切る際、包丁の角度が甘いとギロチンチョークを仕掛けてくる母、クリスティーナの鋭い眼光が浮かんでいた。
彼にとって、オークの群れよりも、母の「家事のダメ出し」の方が数千倍恐ろしい脅威だったのである。




