第2話:冒険者ギルドは「戦場」ではありません
第2話:冒険者ギルドは「戦場」ではありません
有馬閃は、人生で初めて「ハイエルフ」という種族に案内されていた。
もっとも、本人の主観では「親切な銀髪のコスプレイヤーさん」という認識なのだが。
「あの、アルウェンさん。本当にギルドという場所に行けば、スーパー『オギノ』への道がわかるのでしょうか?」
「……何度も言わせないで。そこに行けば腕利きの『探索者』がいるわ。地図も最新のが揃ってる。あんたの……その、絶望的な『迷子スキル』でも、なんとかなるはずよ」
アルウェンは、隣を歩く青年の横顔を盗み見た。
腰に下げた古びた木刀。背筋の伸びた歩法。そして、エコバッグから突き出している「古龍の黄金の角」と「神霊草(伝説の薬草)」。
本来なら国を挙げての大騒ぎになるはずの逸品を、彼はネギか大根のように扱っている。
「(信じられない……。古龍を『しつけ』たなんて。嘘だと思いたいけど、あの禁忌の森から無傷で帰ってくる奴が嘘をつく理由がないわ)」
二人がたどり着いたのは、重厚な石造りの建物――王都最大の冒険者ギルドだった。
扉を開けた瞬間、熱気と酒の匂い、そして血生臭い「威圧感」が押し寄せる。
「うわっ……すごい熱気ですね。じいちゃんが通っていた古い剣道場の匂いがします」
「よくわからない例えはやめて。さあ、行くわよ。変に目立たないようにして……」
アルウェンの願いも虚しく、その巨躯と圧倒的な「異物感」が、ギルド内の荒くれ者たちの視線を釘付けにした。
「おいおい、見ろよ。アルウェンの姐さんが、妙に弱そうなガキを連れてるぜ」
「腰に棒切れ? 冗談だろ。ここはごっこ遊びの場じゃねえんだぞ」
嘲笑が響く。だが、閃は全く気にしていなかった。
彼にとって、この程度の視線は「母さんが試合で負けて帰ってきた時の家庭内の空気」に比べれば、春の陽だまりのようなものだったからだ。
「……あ、あそこの受付が空いてますね」
閃が向かったのは、疲れ果てた表情で書類を整理していた受付嬢、ルナの元だった。
「すみません。少しお聞きしたいのですが、この近くに特売の卵を扱っているお店はありますか?」
「……はい? たま、ご……?」
ルナは顔を上げた。目の前には、至極真面目な顔をした青年。
そして、彼女の視線が、彼の腕に提げられたエコバッグに吸い込まれた。
「あ、それと。道中にトカゲさんが落としていった角なんですけど、こちらで引き取っていただけるんですか?」
「………………え?」
ルナの思考が停止した。
カウンターの上に置かれた、眩いばかりの黄金色。
それは、教会の聖典に記された、世界を滅ぼす災厄――エンシェント・ドラゴンの逆鱗そのものだった。
「ちょ、ちょっと閃! いきなり出すなって言ったでしょ!」
「え? でも、ゴミ出しにするのも勿体ないですし、置物にでもなるかなって……」
ギルド内が、静まり返った。
さっきまで嘲笑っていた冒険者たちが、一人、また一人と席を立ち、閃の背後を囲む。
その中心にいたのは、筋骨隆々の大男。ギルド「赤き咆哮」のリーダー、ガルドだった。
「おい、小僧……。その角、どこで手に入れた。偽物のメッキか、それともどこかの遺跡で拾ったか?」
「いえ、あっちの森で、少し暴れていたトカゲさんから……」
「トカゲだと? ふざけやがって……!」
ガルドが閃の肩に手を置いた。
その瞬間、閃の脳内でアラートが鳴る。
(――隙あり)
それは、父・有馬将が幼い頃から叩き込んだ「生存本能」のスイッチ。
有馬家では、背後から無防備に触れられることは、即座に「投げ飛ばされる」か「関節を極められる」ことを意味していた。
「あ、すみません。触られるのは、ちょっと――」
ユニークスキル【刹那の削り(タイム・トリミング)】。
10秒に1回、自身の動作を0.1秒短縮する。
閃は無意識のうちに、そのコンマ1秒を「回避」ではなく「制圧」に使った。
――ガキィッ!
乾いた音が響く。
何が起きたのか、誰にも見えなかった。
ただ、気づいた時には、ガルドの巨体がカウンターに沈み、閃が彼の手首を「有馬流・古武術」の理合で優しく、しかし完璧に極めていた。
「ひっ、あ、あががががっ!? ぬ、抜けない、何だこの力は……!」
「あ、申し訳ありません! ついつい、親父の癖で……! お怪我はありませんか?」
閃は慌てて手を離し、深々と頭を下げた。
「修行不足です……。つい過剰に反応してしまいました。母さんなら、もっと柔らかくいなせたはずなのに」
「(……今の、ガルドの動きを完全に読んで……いや、予読を超えた何かだったわよ!?)」
アルウェンは冷や汗を流した。
一方、受付嬢のルナは、震える手で鑑定ルーペを持ち出し、黄金の角を確認していた。
「……し、真贋鑑定、終了。ええと……第1級危険指定個体『古龍』の、完全なる角……です。……時価、計り知れず……」
その言葉が、ギルドに爆弾を落とした。
パニックになる周囲をよそに、閃は時計を見て顔を青くした。
「……大変だ。もうこんな時間ですか。卵のタイムセールが終わってしまう……!」
「ちょっと待ちなさい閃! あんた今、自分が何をしたかわかってるの!?」
「はい。あの方の腕を痛めてしまいました……。本当に申し訳ありません。弁償は……この光る草で足りるでしょうか?」
エコバッグから「神霊草」の束が雑に差し出される。
それを見たルナは、ついに白目を剥いて倒れた。
「ルナさん!? ああ、やっぱり僕の態度が失礼だったんでしょうか……! 親父に『お前はいつも詰めが甘い』って言われる理由がわかりました……」
閃は本気で落ち込み、地面に膝をついた。
周囲の冒険者たちは、もはや彼を嘲笑うことすらできなかった。
「古龍の角」を差し出し、「伝説の薬草」で弁償しようとし、挙句の果てに「自分の実力が足りない」と絶望している怪物。
「(……この男……『基準』が壊れてるわ)」
アルウェンは、自分の運命がとんでもない方向に転がり始めたことを悟った。
この「謙虚すぎる災厄」を野に放てば、異世界の理が粉々になる。
「……わかったわ、閃。あんた、しばらく私が面倒を見るわ。スーパーだかオギノだか知らないけど、あんたがこの世界で『死なない』ように(主に周囲が)、私が全部教えてあげるわ!」
「本当ですか! アルウェンさん、あなたは女神様だったんですね!」
「女神じゃないってば! あと、その眩しい笑顔やめて、目が潰れる!」
こうして、閃の異世界生活が正式にスタートした。
「……あ、でもアルウェンさん。一つだけいいですか?」
「何よ、改まって」
「……夕飯、ハンバーグらしいんですけど、玉ねぎも買わないといけないんです。あと30分で帰れますかね?」
「…………無理よ。絶対無理」
異世界の夕暮れ。
最強の迷子は、今度こそ本気で泣きそうな顔をして、王都の空を見上げるのだった。
「……母さんのスクラップドライバーだけは、避けたいんですけどね……」
彼の背後に、有馬家の母、クリスティーナの幻影が見えた気がして、閃はガタガタと震えた。




