第12話:深夜の決闘は「夜の補習」ではありません
第12話:深夜の決闘は「夜の補習」ではありません
聖教国の迎賓館から一歩外へ出ると、そこは王城へと続く広大な庭園だった。
月明かりが、手入れの行き届いた白亜の噴水と青い薔薇を照らし出している。
「……おかしいですね。トイレは廊下の突き当たりを右のはずだったんですが」
有馬 閃は、寝間着代わりのジャージ姿で首を傾げていた。
彼の「迷子スキル」は屋内・屋外を問わない。ただ用を足したかっただけなのに、なぜか厳重な警備をすり抜け、王宮庭園のど真ん中に立っている。
「まいりましたね……。早く戻らないと、夜風で湯冷めしてしまいます」
踵を返そうとした、その時だった。
「――やはり、ここに来ましたか。有馬殿」
夜の静寂を切り裂く、硬質な声。
青薔薇の影から現れたのは、王国の超エリート騎士、カイルだった。
月光を反射して白銀に輝く軽鎧。そして、その右手には既に抜き放たれた真剣が握られている。
「あ、カイルさん。こんばんは。夜のパトロールですか? お疲れ様です」
「フッ……相変わらず、人を食ったような態度だ。私がこの時間、この場所で貴方を待っていた理由……分かっているのでしょう?」
カイルは、剣の切っ先をスッと閃に向けた。
その瞳には、昼間の広場で見せた狂信的な熱と、エリートとしての強烈なプライド、そして泥のような執着が入り混じっている。
「昼間は、フレイア皇女やイザベラ殿がいて水を差されましたからね。……今夜こそ、貴方の『本性』を引きずり出させてもらう。私という男が、貴方の本気を引き出すに足る存在かどうか……証明してみせましょう」
カイルの全身から、凄まじい殺気が放たれる。
それは王国最高の剣士としての、純粋で研ぎ澄まされた刃。
だが、その殺気を浴びた閃の脳内で、けたたましいアラートが鳴り響いた。
「(……夜中。殺気。抜かれた得物。……まさか、これは……!)」
閃の顔から、スッと血の気が引く。
それは「命の危機」を感じたからではない。有馬家における、最も理不尽で恐ろしいイベント――『親父の夜中ドッキリ(という名の闇討ち戦闘訓練)』の条件と、完全に一致していたからだ。
実家のルールは絶対だ。
夜中に奇襲をかけられた際、少しでも「反撃」の意思を見せれば、親父は嬉々として手刀を拳に変え、朝まで続く寝技のフルコース(関節技地獄)へと移行する。
正解はただ一つ。
『一切の殺気を持たず、完全に気配を消し、ただひたすらに攻撃をやり過ごして相手が飽きるのを待つ』こと。
「(……なるほど。カイルさんも、僕の修行に付き合ってくれるんですね。でも、夜の補習は本当に勘弁してほしい……!)」
閃は小さく息を吐き、両手をだらりと下げた。
木刀に手をかけることすらしない。全身の脱力。
「……木刀すら、抜かないというのか。私を相手に……!」
カイルの顔が屈辱に歪む。
一瞬の踏み込み。石畳が爆ぜる音と共に、カイルの身体が掻き消えた。
「王国秘剣――『月影』!」
神速の刺突が、閃の心臓、喉、眉間へと同時に殺到する。
回避不能の三連撃。
だが。
ユニークスキル【刹那の削り(タイム・トリミング)】
閃は、無駄な「0.1秒」を削り落とし、その剣閃の中を「歩いた」。
右足に重心を移し、肩をわずかに引き、首を数ミリ傾ける。ただそれだけの動作。
カイルの必殺の刃は、閃のジャージの表面を滑るように空を切り、一切の抵抗を感じることなく虚空へと抜けた。
「な……っ!?」
カイルが体勢を立て直し、さらに連撃を叩き込む。
横薙ぎ、斬り上げ、袈裟斬り。
王国騎士団の誰もが反応できないその神業を、閃はまるで「散歩中の障害物を避ける」ような自然さで、ことごとくスルーしていく。
「なぜだ……! なぜ当たらない! なぜ、貴方は剣を抜かない!」
カイルの絶叫が夜の庭園に響く。
彼の心に、かつてない絶望が広がっていた。
攻撃が当たらないからではない。閃の瞳に、「敵対心」はおろか、「自分」という存在すら映っていないように見えたからだ。
刃を交えているのに、魂が全く交わらない。
閃の体は、ただ淡々と、作業のようにカイルの全力を無に帰していく。
「(……息が上がってきましたね。親父ならここからさらに三段階スピードが上がるんですが、カイルさんは優しいから、そろそろ終わってくれるでしょうか……)」
閃は完全に「親父のシゴキに耐える息子」のメンタルで、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
やがて、カイルの剣がピタリと止まった。
彼は荒い息を吐きながら、ガクリと膝をつき、力なく剣を取り落とす。
「……私の、負けだ」
月明かりの下、カイルは絶望に染まった顔で閃を見上げた。
「なぜ、僕を斬らない。それほどの業を持ちながら……僕には、受ける価値すらないというのか」
「えっ!? い、いえ、滅相もないです! 女性(母)や他人の家の息子さんを傷つけたら、僕、本当に家を追い出されるので……!」
閃は慌てて手を振り、ガチの恐怖を顔に浮かべて弁明した。
親父の教え「一般人に怪我をさせたら破門」というルールが、彼に染み付いているのだ。
しかし、その「あまりにも怯えた表情」を見た瞬間、カイルの中で決定的な『誤解』が爆発した。
――この男は、本気で怯えている。
私の剣などではなく、もっと巨大で、絶望的な『何か』に。
私など、彼の見据える深淵の、ただの小石に過ぎないのだと。
「……そうか。君の視線は、最初から僕など見ていない。もっと遠い『何か』と戦っている。……ゾクゾクするな」
カイルの絶望は、いつしか至上の悦びと救済へと変貌していた。
自分を虫ケラのように扱う圧倒的な強者。しかし、その強者ですら怯えるほどの重い宿命を背負っているという事実。
「有馬殿。……無礼を、お許しいただきたい。私は貴方の孤独な戦いの邪魔をする気はない。だが、誓おう。いつか必ず、貴方の視界の端に映るだけの力を手に入れてみせる。……それまでは、どうかこの命、貴方の影としてお使いください」
「えっ? 影? いや、あの、僕、ただトイレに行きたいだけなんですが……」
カイルは恭しく一礼すると、閃の言葉を待たずに、満足げで、そして少し熱っぽい微笑みを浮かべて夜の闇へと消えていった。
「…………」
庭園に取り残された閃は、ただポツンと立ち尽くしていた。
「……異世界の人って、本当に情熱的ですね。親父なら無言で木に縛り付けてくるのに、わざわざ長台詞で褒めて帰ってくれるなんて……。やっぱりここは天国です」
ホッと胸を撫で下ろし、再びトイレを探して歩き出そうとした閃の背中に、冷ややかな声が突き刺さった。
「……あんた。また一人の男の人生(性癖)を、取り返しのつかない方向にねじ曲げたわね」
噴水の陰から、呆れ果てた顔のアルウェンが姿を現した。
「あ、アルウェンさん! よかった、トイレの場所わかりますか!?」
「知らないわよ! だいたい、なんであんたは黙って夜の庭に出て、エリート騎士を狂信者にクラスチェンジさせてんのよ! あの男の目、完全に『見つけてしまった』顔だったわよ!?」
「見つける? トイレをですか?」
「違うわよバカっ!」
アルウェンは閃の頭をポカポカと叩きながら、はぁ、とクソデカい溜息をついた。
この男は、自分に向けられる殺意にも、狂信にも、そして歪んだ愛情にも、一生気づかないのだろう。
明言されない関係性。
交わらないはずの剣と魂は、しかし、閃という「解釈の余白」によって、勝手に運命の糸を編み上げていく。
「……ほら、行くわよ。トイレなら右の棟よ。……まったく、私がいないと迷子になるだけじゃ済まないんだから」
「ありがとうございます! アルウェンさんは本当に優しいですね!」
無邪気に笑う最強のサムライの背中を追いながら、アルウェンは、自分がこの「名前のつかない関係」からもう逃げられないことを、静かに悟っていた。




