第11話:サランラップは「神の薄膜」ではありません
第11話:サランラップは「神の薄膜」ではありません
王都の一等地。昨日までただの厳重なシモン商会の特級倉庫街だった場所に、それは突如として出現していた。
白漆喰の壁に、おぞましいほど達筆な文字で書かれた看板。
――『あまのぱーくす』。
「……ねえ、閃」
「はい、なんですかアルウェンさん」
「私、ハイエルフとして二回くらい世紀の変わり目を見てきたけどね。一晩で王都の区画が書き換わって、聞いたこともない不吉な名前の施設が爆誕したのは初めてよ」
「不吉って失礼な。アマノパークスですよ! 山梨が誇る、地域密着型の最高に親切なスーパーマーケットです。まさか異世界に支店があるなんて、やっぱりこの世界は天国ですね!」
「絶対に違う。断言するけど、あれ、シモン(あの守銭奴)の仕業よ……!」
ママチャリを押しながら純粋に目を輝かせる閃の横で、アルウェンはこめかみを押さえて頭痛に耐えていた。
自動(に見えるように配置された奴隷が裏から引く)扉をくぐると、そこには燦然と輝く「特売コーナー」があった。
冷気を放つ魔導具の棚に、仰々しく並べられた、金色に燻る丸い物体。
「あった……! 卵です! タイムセールに間に合いました……!」
「ちょっと閃、目を凝らしなさいよ。それ、どう見てもコカトリスの極上初生卵でしょ!? 一個で城が買えるレベルの特級危険指定素材よ!?」
「何言ってるんですか、1パック6個入りで198円(異世界銅貨2枚)ですよ? ほら、値札にも書いてあります」
そこへ、絹擦れの音と共に、一人の青年が影のように音もなく現れた。
高級な黒の法衣を纏い、細い指先で金の算盤を弾く男――シモン商会の主、シモンである。
「おやおや、お早いお着きで。有馬様」
シモンは細い目をさらに細め、極上の商人笑みを浮かべた。その視線は、閃が持つ前カゴのママチャリへと、ねっとりと注がれている。
「シモンさん! このお店、シモンさんのお店だったんですね。素晴らしい品揃えです!」
「ええ。貴方が『たいむせーる』なる未知の儀式を欲していると風の噂で聞きまして。有馬様が望む効率的な物流の形を、私なりに再現させていただきました。……お気に召しましたか?」
「はい! 完璧です! 卵が安くて本当に助かります」
「それは重畳。貴方に喜んでいただけるなら、コカトリスの巣を三つほど潰した甲斐もあったというものです」
シモンは一歩、閃との距離を詰めた。
その歩調には、獲物を追い詰める蜘蛛のような、静かな狂気が孕まれている。
「……ですが、有馬様。これほど便宜を図ったのです。私との『独占契約』、忘れてはいませんよね?」
「えっ? ああ、例の『ゴミ』のことですか?」
閃は、先日シモン商会で買い食いしたお惣菜の残りを包んでいた、透明な薄い膜をポケットから取り出した。
現世のどこの家庭にもある、ただのサランラップ(使い捨て)である。
それを見た瞬間、シモンの喉が酷く美しく爆ぜるように鳴った。
「……これです。魔力を一切通さず、物質の因果を完全に凍結させ、内側の時間を止める……神の薄膜。これほどの聖遺物を、貴方は『ゴミ』と呼び、事も無げに捨てようとする」
「いや、ただのプラゴミですし……」
「フフ……贅沢な御方だ。いいですか、有馬様。貴方を飾る檻なら、私はいくらでも金貨で敷き詰めましょう。貴方の望む『安さ』も『平穏』も、全て私が買い与えてあげる。だから……」
シモンが閃の手に触れようと、細い指を伸ばした、その時。
「――そこまでだ、死の商人」
冷徹な声が、店内に響いた。
銀髪を揺らし、聖教国の法衣を血と泥で汚したままの審問官イザベラが、大剣を携えて立っていた。その背後には、同じく満身創痍でありながら、瞳に異常な熱を宿した騎士カイルの姿もある。
「イザベラさん、カイルさん? どうしたんですか、そんな泥だらけで……」
閃が素狂気に首を傾げる。
カイルは一歩前に出ると、閃の前に片膝を突き、その靴に額を擦り付けんばかりの勢いで頭を垂れた。
「有馬殿……先ほどの荒野での一喝、このカイル、魂の底から震えました。私の未熟な剣など、貴方の視界に入る価値すらないと……あの圧倒的な『無視』こそが、真の強者の慈悲なのだと、ようやく理解できたのです」
「えっ!? いや、あの、皆さん急に静かになったから、ただ挨拶しただけというか……!」
「語る必要はありません。私は貴方の背中を追いかける。貴方がどれほど私を拒絶しようとも、その傲岸不遜な背に、いつか並び立つために……!」
カイルの瞳は、完全に狂信者のそれだった。閃の卑屈なネガティブ発言を、すべて「高度な精神攻撃」と脳内変換している。
一方、イザベラは痛ましげな、そして酷く歪んだ慈愛の瞳で閃の背中を見つめていた。
「有馬閃。貴方が怯える理由を……私は、知ってしまいました」
「えっ? 何をですか?」
「貴方の背にある、無数の戦痕。そして、貴方を『晩飯抜き』で支配する、実家の絶対的な呪縛――『ちょーくすりーぱー』という名の冥界の番人」
「あ、それ、ただの母さんの得意技……」
「隠さなくていいのです! 貴方は世界を救うほどの力を持ちながら、その魂は、実家という名の底知れぬ魔境に囚われ、日々、命を削られている……! 規律を汚してでも、私が貴方をその枷から解放してみせる。教会の秘奥を用いてでも、貴方の『呪い』を私が引き受けます……!」
イザベラの白い手が、閃の衣服の袖をぎゅっと掴む。その指先は、使命感という名の、独占欲に震えていた。
シモンが冷たい笑みを浮かべ、算盤を強く弾いた。パチン、と乾いた音が店内に響く。
「おやおや、聖教国の審問官様も、王国のエリート騎士様も、随分と我が『上客』に不躾な執着をされる。彼は私の檻の中でこそ、その価値を全うするのですよ」
「黙れ、商人。有馬殿を金で縛るなど、不敬の極みだ。彼は戦うことでしかその渇きを癒せない」
「いいえ、彼は救われなければならない。私が彼を、あの過酷な魔境から匿うのです」
三者三様の、視線が交錯する。
誰も閃自身の言葉を聞いていない。それぞれの歪んだ解釈の糸が、閃という存在を縛り付けようと、激しく火花を散らしていた。
「(う、うわああああ……。やっぱり異世界の皆さんは、個性が強すぎるというか、情緒が不安定すぎます……! 実家のじいちゃんの竹刀よりも、ある意味でプレッシャーが凄い……!)」
閃はパニックになり、冷や汗を流しながら、なんとかこの場を丸く収めようと、手元にあった「サランラップ」をちぎって、三人の前に差し出した。
「あ、あの! 皆さんお疲れのようですし、これ、お近づきのしるしに差し上げます! 実家では、じいちゃんがよくこれでテレビのリモコンを巻いて、手垢が付かないように封印してました!」
――静寂。
三人の動きが、完全に停止した。
「……リモコン(遠隔魔導具)を……」
「……手垢(穢れ)から守るために……」
「……封印していた……だと……!?」
三人の脳内で、一瞬にしてクソ重い深読みが完了する。
『有馬家では、この神の薄膜を、高位の魔導具を永久封印するための日常的な消耗品として扱っている――』
背筋を駆け抜ける、圧倒的な戦慄。有馬家という、世界の裏に潜む巨大な魔境の影が、彼らの脳裏に、より巨大な絶望として君臨した瞬間だった。
「よし、皆さん静かになりましたね! じゃあ、僕は卵が割れる前に、夕飯の支度があるので帰ります! アルウェンさん、行きましょう!」
「あ、ちょっと、閃……!」
閃は嬉しそうにコカトリスの卵を前カゴに入れ、ママチャリのペダルを漕ぎ出した。キコキコ、と気の抜けた音を立てて、彼は「天国のような平坦な道」へと消えていく。
アルウェンは、残された三人の、もはや言葉を失い、それぞれの方法で「有馬閃」への狂気的な解釈を深めている顔を見て、深い溜息をついた。
「……はぁ。本当に、タチが悪いわね、あいつ」
アルウェンは小さく呟くと、誰も介入できないその特別な「隣」を確保するために、閃の背中を追って走り出した。
残された三人の瞳には、消えない執着の火が、さらに深く、静かに灯り続けていた。




