PSY-023《黒鴉会潜入》
数日後。
佳恋から届いたメッセージは、短かった。
『準備ができました』
俺はすぐに返信した。
『マウス?』
数秒。
『潜入の準備です』
「…………」
違った。
『マウスも施設にあります』
「よし!」
十分だった。
◆
待ち合わせ場所へ行くと。
佳恋はすでに待っていた。
今日は制服でも。
メイド服でもない。
黒を基調とした、落ち着いた私服姿。
「おはようございます、高木さん」
「おはようございます」
「準備は?」
「できてます」
「何を持ってきました?」
「スマホと財布」
「…………」
「あと気合い」
「遠足ではありませんよ」
「分かってますって」
佳恋が小さくため息をついた。
「では、まずこちらを」
渡されたのは。
黒い作業着。
帽子。
マスク。
手袋。
「…………」
「何です?」
「普通」
「何を期待していたんですか?」
「いや、この前『当日のお楽しみ』とか言うから」
「女装でもさせられると思いました?」
「ちょっと」
「ご希望なら」
「結構です」
即答した。
◆
着替えた。
上下黒の作業着。
帽子。
マスク。
そして。
銀色の両手を隠すための手袋。
「どう?」
佳恋が俺を上から下まで見る。
「怪しいですね」
「おい」
「ですが、高木航には見えにくくなりました」
「最初からそう言ってください」
「顔を完全に隠すと逆に目立ちますから、その程度で十分です」
「でも黒鴉会、俺の顔知ってるんでしょ?」
「はい」
「大丈夫?」
「私と一緒なら」
「?」
佳恋はそれだけ言って歩き始めた。
◆
到着した場所は。
意外だった。
「……普通のビルじゃん」
街中。
それなりに大きな建物。
外から見れば、ただの会社が入っていそうなオフィスビル。
「地下です」
「黒鴉会の基地って、もっと廃工場とか想像してた」
「全部そんな場所だったら警察に見つかりますよ」
「確かに」
正面入口ではなく。
裏手。
佳恋がカードのようなものを使う。
ピッ。
ロック解除。
「入れるんだ」
「八咫烏ですので」
「便利だなあ」
「そういうものではありません」
中へ。
廊下。
監視カメラ。
何人かの男。
俺は少しだけ身構えた。
一人がこちらを見る。
「…………」
まずい?
しかし。
男は佳恋を見た瞬間。
「……っ」
表情が変わった。
「お疲れ様です」
頭を下げる。
「お疲れ様です」
佳恋は普通に返す。
さらに一人。
こちらを見る。
佳恋を見る。
また頭を下げる。
「…………」
そのまま通過。
「愛川さん」
「はい?」
「俺のチェックは?」
「ありませんでしたね」
「なんで?」
「私の随行だと思われています」
「随行」
「八咫烏が連れている人間を、わざわざ止めようとは思わないのでしょう」
「…………」
俺は佳恋を見る。
「愛川さんって」
「はい」
「黒鴉会で結構偉い?」
「偉い、とは少し違います」
「じゃあ?」
「逆らわない方がいいと思われています」
「…………」
「どうしました?」
「今さらちょっと怖くなってきた」
「遅いですよ」
◆
エレベーター。
地下へ。
地下一階。
地下二階。
地下三階。
「結構深い」
「目的の場所は地下四階です」
「マウス?」
「高木さんのデータです」
「マウスは?」
「その後です」
「順番逆でも」
「駄目です」
「はい」
地下四階。
扉が開いた。
空気が変わる。
人が少ない。
機械音。
サーバー。
監視モニター。
「ここ?」
「はい」
「俺のデータって、こんなところに?」
「あなたが思っている以上に重要視されています」
「俺、YouTuberなんだけど」
「黒鴉会から見れば、それ以外の部分が問題なんです」
「失礼だな」
「登録者数で脅威度は決めませんから」
「五十万人行ったら?」
「変わりません」
「残念」
◆
佳恋が端末の前へ。
俺は後ろ。
「何するの?」
「アクセスします」
カード。
認証。
パスコード。
画面が切り替わる。
「…………」
「高木さん」
「はい?」
「見ます?」
「俺のデータ?」
「はい」
「見たい」
佳恋が画面を開く。
名前。
『高木航』
写真。
俺。
「うわ、本当にある」
その下。
大量の数字。
反応速度。
聴覚反応。
視認能力。
筋力測定。
耐久性。
偽案件で取られた記録。
「二百キロ……」
「軽そうに持っていたそうですね?」
「軽かったし」
「普通は軽くありません」
「そう?」
「そうです」
さらに。
『脅威評価:要警戒』
「要警戒」
「はい」
「もっと上ある?」
「あります」
「へえ」
「嬉しそうですね」
「ゲームみたいで」
「ゲームではありません」
佳恋が別の項目を開く。
そこには。
俺の戦闘記録。
黒鴉会の六人。
拘置施設。
銀行。
その他。
「結構調べてるな……」
「だから消します」
「全部?」
「可能な範囲で」
「八咫烏の権限?」
「それも使います」
佳恋の指が動く。
項目。
削除。
別の項目。
削除。
「…………」
俺は画面を見る。
一つずつ。
消えていく。
「愛川さん」
「はい」
「本当に大丈夫?」
「何がです?」
「これ」
俺のデータを指差す。
「勝手に消してるんでしょ?」
「そうですね」
「バレたら?」
「面倒でしょうね」
「やっぱり!」
「でも」
佳恋は手を止めない。
「やると決めましたので」
「…………」
俺はそれ以上言わなかった。
◆
最後の項目。
『能力測定記録』
佳恋が選択。
削除確認。
『実行しますか?』
「…………」
クリック。
『削除完了』
「終わりました」
「早い」
「長居する場所ではありません」
「そうですね」
佳恋がログアウトする。
俺はふと。
隣の画面に目がいった。
一覧。
何かの名前。
その中に。
『八咫烏』
「…………」
「愛川さん」
「触らないでください」
「見てるだけ」
「それなら」
八つ。
項目が並んでいる。
一つ。
『深淵』
「あ」
「私です」
「本当にある」
「疑っていたんですか?」
「ちょっと」
「…………」
その上下。
さらに七つ。
コードネーム。
ただ。
詳細までは見えない。
「本当に七人いるんだ」
「いますよ」
「大変ですね」
「またそれですか」
「だって」
「まあいいです」
佳恋が画面を閉じた。
「ここで彼らの情報まで見るのは危険です」
「じゃあ行こう」
「はい」
「マウスへ」
「…………」
「何?」
「切り替えが早いですね」
◆
地下三階。
今度は。
保管区画。
「こっち」
「マウス!」
「静かにしてください」
「はい」
佳恋が扉を開ける。
棚。
箱。
機材。
電子機器。
「…………」
俺の目が。
一瞬で。
一つの箱へ吸い寄せられた。
「あ」
「見つけました?」
「…………」
近づく。
箱を開ける。
「…………」
黒。
あの形。
あの大きさ。
「いた」
「いた?」
「あった!」
手に取る。
重さ。
「これだ……」
クリック。
カチ。
「これ!」
俺のテンションが一気に上がる。
「愛川さん!」
「はい」
「これ!」
「同型機です」
「新品?」
「未使用品ですね」
「欲しい!」
「分かっています」
「どうすれば合法的に貰える?」
佳恋が少しだけ笑った。
「そのために来たんでしょう?」
「はい!」
「八咫烏には、任務用の一部装備について管理権限があります」
「ということは?」
「この個体を、私の管理品として正式に払い出します」
「…………」
「その後」
佳恋が端末を操作する。
「私から高木さんへ譲渡します」
「つまり?」
「盗んだことにはなりません」
「…………」
「高木さんの物です」
「…………」
俺は。
しばらく動かなかった。
「高木さん?」
「愛川さん」
「はい?」
「神?」
「ふふ」
「本当にありがとう!」
「どういたしまして」
「マジで!」
「そんなに嬉しいんですか?」
「嬉しいですよ!」
俺はマウスを両手で持つ。
「秋葉原全部探したんですよ!」
「聞きました」
「黒鴉会に潜入しようと思ったんですよ!」
「今しています」
「あ」
そうだった。
「でも!」
俺は佳恋を見る。
「このお礼、絶対します!」
「必要ありませんよ」
「します!」
「高木さん」
「俺にできることなら」
勢い。
完全に勢いだった。
「なんでも言ってください!」
「…………」
「なんでも言うこと聞きます!」
佳恋が。
止まった。
「…………」
「?」
「高木さん」
「はい」
「今」
佳恋の目が少し細くなる。
「なんでも、と言いました?」
「言いました!」
「本当に?」
「もちろん!」
「…………」
佳恋は。
少しだけ。
俺を見つめた。
「では」
「はい」
「その言葉」
佳恋の目つきが変わる。
「覚えておきます」
「?」
「いつか」
佳恋が微笑む。
「お願いするかもしれません」
「全然いいですよ!」
「…………」
「遠慮しないでください!」
「分かりました」
「本当に何でも――」
「高木さん」
「はい?」
「それ以上言わない方がいいですよ」
「何で?」
「いえ」
佳恋は。
静かに笑った。
「何でもありません」
◆
「帰りますよ」
「はい」
マウス。
箱。
俺の手。
完璧。
「…………」
「高木さん」
「何?」
「嬉しそうですね」
「そりゃ」
俺は箱を見る。
「ずっと欲しかったんで」
「そうですか」
「今日来て良かった」
「データも消せました」
「あ」
「…………」
「それも良かった」
「優先順位」
「マウス」
「でしょうね」
◆
出口へ。
エレベーター。
地下二階。
地下一階。
「…………」
途中。
男が二人乗ってきた。
佳恋を見る。
表情が固まる。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
俺を見る。
「…………」
少し長い。
まずい?
「そちらは?」
一人が聞いた。
佳恋が。
何でもないように答える。
「私の随行です」
「……失礼しました」
終わり。
「…………」
扉が開く。
二人が先に降りる。
俺は小声。
「強いな、その言葉」
「私が言うからです」
「俺が言ったら?」
「捕まります」
「ですよね」
◆
外。
「…………」
空気。
普通の街。
俺たちは。
何事もなかったようにビルを出た。
「終わった?」
「終わりました」
「潜入成功?」
「成功ですね」
「データ削除」
「完了」
「マウス」
箱を持ち上げる。
「入手!」
「一番嬉しそうですね」
「当たり前!」
佳恋が。
少しだけ笑った。
「では」
「はい」
「今日はここで」
「愛川さん」
「?」
「本当にありがとう」
「…………」
「マウスだけじゃなくて」
俺は少し考える。
「データのことも」
「…………」
「俺のために危ないことしてくれたんでしょ?」
「私が決めたことです」
「でも」
「高木さん」
「はい」
「お礼は」
佳恋が俺を見る。
「もういただきました」
「え?」
「なんでも言うことを聞く」
「…………」
「あ」
「忘れないでくださいね」
「もちろん」
「それなら十分です」
佳恋は。
そのまま歩いていった。
◆
その夜。
「…………」
接続。
新しい。
いや。
ずっと探していたマウス。
「……来た」
動かす。
速い。
俺の指に。
ちゃんとついてくる。
クリック。
「これだよ」
FPS起動。
敵。
パンッ!
ヘッドショット。
「おお!」
次。
パンッ!
「最高!」
次。
パンッ!
「これこれ!」
俺は。
完全に上機嫌だった。
「愛川さんマジで神だな……」
いや。
八咫烏だった。
「…………」
そういえば。
『なんでも言うこと聞きます』
「何お願いされるんだろ」
まあ。
愛川さんなら。
そんな無茶なことは言わないだろう。
多分。
「…………」
俺は。
その約束が。
後になって。
とんでもなく大きな意味を持つことを。
まだ。
知るはずもなかった。




