PSY-022《マウスのために黒鴉会へ潜入します》
「黒鴉会が独自に作った……?」
「はい」
佳恋は静かに頷いた。
俺は思わず、もう一度聞く。
「犯罪組織が?」
「はい」
「マウスを?」
「正確には、ゲーミングマウスとして作ったわけではありません」
「じゃあ何なんです?」
「精密な入力を必要とする用途のために開発された試作デバイスです」
「精密な入力……」
「通常の製品よりも、入力速度や精度をかなり高く設定されています」
「…………」
なるほど。
だからか。
秋葉原で何個触っても。
高級なゲーミングマウスを試しても。
あれと同じ感覚のものがなかった。
「じゃあ」
俺は一歩、佳恋へ近づく。
「まだある?」
「あります」
「どこ!?」
「近いです、高木さん」
「あ、ごめんなさい」
一歩戻る。
「で、どこ?」
「黒鴉会の施設です」
「…………」
やっぱり。
俺の頭に。
秋葉原で思いついた、あの考えが蘇った。
『黒鴉会に潜入したら手に入らないかな……』
「愛川さん」
「はい」
「潜入しましょう」
「…………」
「黒鴉会に」
「本気ですか?」
「マウス欲しいんで」
「……でしょうね」
佳恋は、もう驚かなかった。
◆
「ただ」
佳恋が続ける。
「高木さん」
「はい」
「一つ勘違いされています」
「何?」
「私は、あなたにマウスを差し上げるとは言っていません」
「…………」
「…………」
「え?」
「私は『マウスについて知っていることをお教えします』と約束しました」
「…………」
思い返す。
確かに。
『勝てたら教えます』
だった。
「…………」
「愛川さん」
「はい」
「言葉って怖いですね」
「契約はよく確認した方がいいですよ」
「勉強になりました」
でも。
諦める気はない。
「じゃあ、どうやったら手に入る?」
「それなんですが」
佳恋の表情が少し変わった。
「私にも、あの施設へ行く理由があります」
「何?」
「あなたのデータです」
「俺の?」
「偽案件で収集された能力測定データ」
「ああ」
そういえば。
黒鴉会は俺を呼び出して。
反応速度。
聴覚。
筋力。
耐久性。
色々調べていた。
「まだ残ってるんですか?」
「はい」
「愛川さん、見た?」
「一部は」
「どうでした?」
「異常でした」
「酷い」
「事実です」
佳恋の視線が。
ゆっくりと俺の後ろへ向く。
「ただ」
「?」
「今となっては」
約五十メートル。
俺の全力の拳で。
壁という壁が一直線に吹き飛び。
巨大なトンネルみたいになっている。
「あのデータが、ずいぶん可愛らしく見えます」
「可愛らしい?」
「黒鴉会は、あなたの能力を測ったつもりでいました」
「はい」
「でも」
佳恋が巨大な穴を見る。
「まったく測れていなかった」
「まあ」
「これ」
佳恋が穴を指差す。
「記録されていませんから」
「全力出してないですし」
「そうでしょうね」
「…………」
「…………」
佳恋が俺を見る。
「改めて聞くと、腹が立ちますね」
「なんで!?」
「黒鴉会があれだけ手間をかけて測ったんですよ?」
「俺に言われても」
◆
「それで」
俺は聞く。
「そのデータをどうするの?」
「消します」
「愛川さんが?」
「はい」
「黒鴉会なのに?」
「黒鴉会だからです」
「?」
佳恋は少し考えてから続けた。
「高木さん」
「はい」
「あなたの名前は、もう日本の黒鴉会だけが知っているわけではありません」
「海外にも流れてる?」
「ご存じでしたか」
「前に聞いた」
「そうでしたね」
佳恋が頷く。
「まだ世界中すべてという段階ではありません。でも、少しずつ共有されています」
「へえ」
「…………」
「何?」
「それだけですか?」
「だって」
俺は首を傾げる。
「海外ですよね?」
「はい」
「俺、日本にいるし」
「そういう問題ではありません」
「向こうから日本まで来るの?」
「必要なら」
「大変ですね」
「高木さんが言います?」
「俺は待ってるだけだし」
「…………」
佳恋が黙った。
「来たら、その時考えます」
「世界規模の犯罪組織ですよ?」
「はい」
「怖くないんですか?」
「愛川さん」
「はい」
俺は後ろを指差した。
「さっき俺が開けた穴、見ました?」
「…………」
「見ました」
「じゃあ、まあ」
肩をすくめる。
「何とかなるでしょ」
「…………」
佳恋は五十メートル先まで続く穴を見る。
そして。
小さく頷いた。
「否定しづらいですね」
◆
「それでも」
佳恋は言った。
「油断はしないでください」
「はい」
「黒鴉会には、私以外にも危険な人間がいます」
「八咫烏?」
「はい」
「八人なんですよね」
「私を含めて八人」
「じゃあ残り七人」
「そうです」
「愛川さんくらい強い?」
「単純には比較できません」
「?」
「八咫烏は、それぞれ得意分野が違います」
「例えば?」
「戦闘」
「はい」
「暗殺」
「はい」
「潜入」
「はい」
「情報収集」
「はい」
「それ以外にも」
「色々いるんですね」
「…………」
「何?」
佳恋が俺をじっと見る。
「私以外に七人ですよ?」
「うん」
「黒鴉会でも特に危険な執行者が」
「うん」
「七人」
「大変ですね」
「…………」
「愛川さん?」
「もう少し驚かれると思っていました」
「でも」
俺は考える。
「愛川さんくらい強い人が七人いるってことでしょ?」
「そう考えていただいて構いません」
「じゃあ」
「はい」
「来たらその時考えます」
「…………」
「今はマウスの方が大事だし」
「本当に優先順位がおかしいですね」
「だって八咫烏は今ここにいないでしょ?」
「はい」
「マウスは施設にある」
「はい」
「ならマウス」
「…………」
佳恋は。
完全に呆れていた。
◆
「ところで」
俺は聞いた。
「何で俺のデータ消すんです?」
「…………」
「黒鴉会からしたら、残した方がいいですよね?」
「そうですね」
「愛川さん、執行者ですよね?」
「そうですよ」
「八咫烏」
「はい」
「…………」
「…………」
「裏切り?」
佳恋が少し笑った。
「まだ違います」
「まだ?」
「今の私は八咫烏・深淵です」
「じゃあ何で?」
「個人的な判断ですよ」
「個人的?」
「ええ」
佳恋が俺を見る。
「不完全な情報を共有して、黒鴉会があなたを理解したつもりになる」
「はい」
「それは危険です」
「黒鴉会にとって?」
「双方にとって」
「…………」
「あのデータを基準にすれば」
佳恋が背後の穴を見る。
「必ず見誤ります」
「なるほど」
「それに」
「?」
佳恋は少しだけ間を置いた。
「私自身」
俺を見る。
「今の黒鴉会に、あなたの本当の力を教える気はありません」
「…………」
少し気になった。
理由を聞こうかと思った。
でも。
佳恋はそれ以上言わなかった。
なら。
今はいいか。
◆
「ということで」
俺は話を戻す。
「施設に潜入」
「戻りますね」
「重要だから」
「高木さんの目的はマウス」
「はい」
「私の目的はデータの処理」
「はい」
「目的は違いますが」
「行き先は同じ」
「そういうことです」
「いつ行く?」
「少し準備が必要です」
「今日じゃない?」
「無理です」
「残念」
「遠足ではありませんよ」
「分かってます」
「本当に?」
「犯罪組織への潜入」
「はい」
「目的はマウス」
「やっぱり遠足気分じゃないですか?」
「違いますって」
佳恋がため息をついた。
「もう一つ問題があります」
「何?」
「高木さんの顔です」
「顔?」
「黒鴉会に共有されています」
「あ」
「銀色の手も」
「…………」
「そのまま入れば」
「バレる?」
「入口で」
「早いな」
「ですので」
佳恋が俺を見る。
「変装していただきます」
「変装」
「はい」
「サングラス?」
「駄目です」
「帽子」
「駄目です」
「マスク」
「不審者です」
「全部駄目じゃん」
「私に任せてください」
「…………」
嫌な予感。
「ちなみに」
「はい」
「どんな変装?」
「まだ秘密です」
「怖いな」
「楽しみにしていてください」
「その言い方が一番怖い」
◆
ふと。
俺は大事なことに気づいた。
「愛川さん」
「はい?」
「潜入して」
「はい」
「マウス見つける」
「はい」
「持って帰る」
「駄目です」
「…………」
即答。
「なんで?」
「窃盗です」
「…………」
「…………」
「黒鴉会からでも?」
「黒鴉会からでもです」
「犯罪組織ですよ?」
「だからといって、高木さんが犯罪をしていい理由にはなりません」
「…………」
佐久間さんの顔が浮かんだ。
『悪党と同じやり方をするな』
「確かに」
「でしょう?」
「じゃあどうやって手に入れるの?」
「それは」
佳恋が考える。
「…………」
「…………」
「愛川さん?」
「考えましょう」
「決めてなかったの!?」
「私の目的はマウスではありませんので」
「俺には最重要なんです!」
「知っています」
「どうするんだよ!」
「ですから」
佳恋が笑った。
「そこから考えましょう」
「先に考えといてよ!」
◆
帰り道。
「…………」
俺は一人。
スマホを見ながら歩いていた。
八咫烏。
あと七人。
世界中の黒鴉会。
俺の能力データ。
黒鴉会への潜入。
色々。
かなり大きな話になっている。
だが。
「…………」
俺の頭にある最大の問題は。
そこではなかった。
「マウス……」
見つけても。
持って帰れない。
「…………」
犯罪者にはなりたくない。
でも。
欲しい。
「難しいな……」
世界規模の犯罪組織に潜入することより。
理想のマウスを合法的に手に入れる方法の方が。
俺には。
ずっと難しく思えた。




