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PSY-021《全力》

 数日後。


 愛川佳恋から、一通のメッセージが届いた。


『場所を用意しました』


 その下。


 住所。


「…………」


 俺はスマホを見る。


 前回の待ち合わせも人気の少ない場所だった。


 今回も。


 地図を見る限り、かなり人里から離れている。


『ここなら、多少壊れても問題ありません』


「多少……」


 嫌な言葉だな。


 俺は返信する。


『本当に全力でいいんですよね?』


 すぐに返ってきた。


『もちろんです』


「…………」


 全力。


 その言葉を見て。


 少しだけ。


 異世界でのことを思い出した。


 魔王。


 あいつは強かった。


 だから。


 俺も本気で殴った。


 結果。


 魔王城に大穴が開いた。


 魔王は空の彼方へ吹き飛んだ。


 帰っては来なかった。


「…………」


 俺は自分の右手を見る。


 銀色の拳。


「まあ」


 愛川さんも八咫烏とかいう、かなり強い人らしい。


 それに。


 本人が全力で来いと言っている。


「……行くか」


 目的は。


 もちろん。


 マウスだ。


◆


 指定された場所へ着いた。


「ここ?」


 広い。


 かなり広い。


 周囲に人家はない。


 使われなくなった巨大な施設。


 コンクリート。


 鉄骨。


 壁。


 奥行きもかなりある。


「……何の建物だったんだろ」


 中へ入る。


 足音が響く。


「愛川さーん」


 返事なし。


「来ましたよー」


 さらに奥へ。


 そして。


「…………」


 いた。


 広い空間。


 中央。


 一人の少女が立っている。


 愛川佳恋。


 ただし。


 いつもの制服姿ではない。


 私服でもない。


 秋葉原で見たものとも。


 少し違う。


 漆黒。


 頭から足元まで。


 黒を基調としたメイド服。


 フリル。


 スカート。


 長い袖。


 それなのに。


 可愛いというより。


 怖い。


 暗闇そのものを身にまとっているように見える。


「…………」


 似合ってる。


 すごく。


「こんにちは、高木さん」


「こんにちは」


 いつもの笑顔。


「その服」


「はい?」


「メイド服なんですね」


「そうですよ」


「戦う時も?」


「これが一番落ち着きますので」


「へえ……」


 佳恋が首を傾げる。


「変ですか?」


「いや」


 俺は正直に答えた。


「似合ってます」


「ありがとうございます」


 微笑む。


「…………」


 やっぱり可愛いな。


 いや。


 今はそれどころじゃない。


「それで」


 俺は聞く。


「約束」


「覚えています」


「あのマウスのこと」


「私に勝てたら、お教えします」


「よし」


 銀色の拳を握る。


「じゃあ始めましょう」


「…………」


 佳恋は少しだけ笑った。


「高木さん」


「はい?」


「一つだけ」


「何です?」


「手加減は」


 佳恋の笑顔が消えた。


「しないでくださいね」


「…………」


「私は」


 一歩。


 佳恋が踏み出す。


「八咫烏」


 空気が変わる。


「《深淵》」


 足元。


 黒いスカートが揺れる。


「アビスフィアー」


 そして。


「黒鴉会の執行者です」


「…………」


「あなたが今まで相手にしてきた末端と」


 佳恋の姿が。


 消えた。


「一緒にしないでください」


「っ!?」


 ――ドン!


 腹。


 衝撃。


 俺の身体が。


 初めて。


 大きく後ろへ滑った。


「…………」


 止まる。


 床を見る。


 靴の跡。


「おお……」


 顔を上げる。


 佳恋。


 さっき俺がいた場所。


「すご」


 思わず声が出た。


「今の、結構強かったですよ」


「そうですか?」


「はい」


「では」


 佳恋が構える。


「まだ足りませんね」


◆


 来る。


 右。


 速い。


 拳。


 避ける。


 次。


 蹴り。


「っ!」


 腕で受ける。


 ガァン!


 金属音。


 佳恋は止まらない。


 着地。


 回転。


 もう一発。


「速っ!」


 俺は下がる。


 拳。


 蹴り。


 肘。


 膝。


 連続。


 全部が速い。


 普通の人間とは思えない。


「…………」


 これ。


 強いな。


 今まで。


 日本に帰ってきてから戦った相手。


 黒鴉会。


 銀行強盗。


 拘置施設の連中。


 誰とも違う。


「高木さん」


「はい!」


「余裕がありますね」


「まあ!」


「なら」


 佳恋の足が。


 床を踏み抜いた。


 ドンッ!


「――!」


 一瞬。


 目の前。


「これは?」


 拳。


 俺の顔。


 ガンッ!


「おっ」


 首が横へ動いた。


 痛くはない。


 でも。


 衝撃は分かる。


「…………」


 佳恋が距離を取る。


「硬いですね」


「よく言われます」


「では」


 また来る。


「どこまで硬いのか」


 拳。


「確かめさせてください」


◆


 何分。


 戦っただろう。


「はぁ……」


 佳恋が息を吐く。


 俺は。


「…………」


 普通。


「高木さん」


「はい」


「疲れていませんね」


「サイボーグなんで」


「便利ですね」


「俺もそう思います」


 佳恋のメイド服。


 少し埃が付いている。


 でも。


 まだ立っている。


 俺も。


 もちろん立っている。


「じゃあ」


 俺は拳を握った。


「今度こっちから行きます」


「どうぞ」


 踏み込む。


「!」


 佳恋が反応。


 俺の拳。


 避ける。


「お」


 速い。


 もう一発。


 佳恋が受け流す。


「…………」


「どうしました?」


「いや」


 俺は少し嬉しくなった。


「ちゃんと避ける人、久しぶりだなって」


「それは光栄です」


 佳恋が笑う。


「もっと来てください」


「じゃあ」


 少し速くする。


 拳。


 佳恋。


 避ける。


 蹴り。


 受ける。


 拳。


 逸らす。


「…………」


 強い。


 間違いなく。


 人間として考えるなら。


 異常なくらい。


 でも。


「高木さん」


「はい」


「まだですね」


「何が?」


「全力」


「…………」


 佳恋の目が。


 俺を見る。


「出していませんよね?」


「出してますよ」


「嘘です」


「…………」


「あなた」


 佳恋が構える。


「私を壊さないように戦っている」


「…………」


「違いますか?」


 バレてる。


「いや」


 俺は頭を掻いた。


「だって」


「だって?」


「愛川さん、愛莉の友達でしょ」


「それが?」


「怪我させたら愛莉に怒られる」


「…………」


「俺、妹には弱いんで」


 佳恋が。


 ほんの少しだけ笑った。


「優しいんですね」


「普通でしょ」


「ですが」


 笑みが消える。


「私は不満です」


「え?」


「言いましたよね」


 一歩。


「全力で戦ってくださいと」


「…………」


「その程度で」


 佳恋の目が鋭くなる。


「マウスのことを聞けると思わないでください」


「…………」


 俺の眉が動いた。


「それは困る」


「なら」


 佳恋が笑った。


「本気で来てください」


◆


 そこから。


 俺は少しずつ。


 力を上げた。


 速度。


 強さ。


 反応。


 佳恋も。


 さらに上げてくる。


 床が割れる。


 壁が砕ける。


 風圧。


 音。


 漆黒のメイド服が。


 俺の視界を何度も横切る。


「っ!」


 佳恋の蹴り。


 俺の腕。


 激突。


 ドンッ!


 空気が震える。


 佳恋が吹き飛ぶ。


 空中で回転。


 着地。


 床を滑る。


「…………」


 立った。


「まだ行けます?」


「もちろん」


 笑っている。


 この人。


 本当に戦うの好きなんだな。


「高木さん」


「はい」


「もっと」


「…………」


「もっとです」


 佳恋が踏み込む。


 俺も。


 踏み込んだ。


 拳。


 拳。


 ぶつかる。


 轟音。


 床に亀裂。


「…………」


 佳恋が後ろへ飛ぶ。


 俺は止まる。


「まだ」


 佳恋が言う。


「まだ?」


「まだ全力ではありません」


「…………」


「私には分かります」


「いや」


「高木さん」


「これ以上は――」


「本気で」


 佳恋が俺を見る。


「来てください」


「…………」


「私が八咫烏だから?」


「それもあるけど」


「なら」


「違うんです」


「何が?」


 俺は。


 拳を見る。


 銀色。


 異世界。


 魔王。


 あの時。


 俺は。


 本当に。


 全力で殴った。


「愛川さん」


「はい」


「俺、本気で殴ったことあるんですよ」


「…………」


「一回だけ」


「誰を?」


「魔王」


「…………」


 佳恋が。


 少しだけ首を傾げた。


「魔王?」


「説明すると長いんで今はいいです」


「……そうですか」


「で」


 俺は拳を握る。


「あの時」


 思い出す。


「魔王城に大穴が開きました」


「…………」


「魔王はそのまま空の彼方まで吹っ飛んで」


「…………」


「帰っては来ませんでした」


 沈黙。


「…………」


 佳恋が。


 少しだけ。


 笑った。


「では」


 構える。


「私にも」


「いやいや」


「全力を」


「話聞いてました?」


「聞いていました」


「死ぬよ?」


「それでも」


 佳恋は。


 一歩も退かない。


「私はあなたの全力が見たい」


「…………」


「高木さん」


 漆黒のメイド服。


 深淵。


 アビスフィアー。


 その目は。


 本気だった。


「お願いします」


「…………」


 俺は。


 ため息をついた。


「分かりました」


◆


 拳を握る。


「…………」


 力。


 全部。


 あの時と同じ。


 魔王を殴った時と。


「行きますよ」


「はい」


 佳恋は。


 避けない。


 俺を見る。


「来てください」


「…………」


 踏み込む。


 床が。


 消えた。


 佳恋の目が。


 初めて。


 大きく開いた。


 俺の拳。


 全力。


 まっすぐ。


 佳恋へ。


 そして。


 ――その顔の横を通過した。


「…………!」


 拳。


 壁。


 激突。


 次の瞬間。


 音が。


 消えた。


◆


「…………」


 佳恋は。


 動かなかった。


 いや。


 動けなかった。


 背後。


 壁。


 そこに。


 巨大な穴。


 だけではない。


 一枚目。


 貫通。


 二枚目。


 貫通。


 三枚目。


 その先。


 さらに。


 さらに。


 さらに。


 一直線。


「…………」


 約五十メートル。


 壁という壁が。


 消し飛んでいた。


 巨大なトンネル。


 向こう側から。


 外の光が見える。


「…………」


 佳恋が。


 ゆっくり。


 振り返る。


「…………」


 言葉がない。


 漆黒のメイド服。


 髪。


 全力の拳が横を通過した風圧で。


 大きく揺れている。


「これ」


 俺は拳を下ろした。


「俺の全力です」


「…………」


 巨大な穴を見る。


「…………」


 佳恋は。


 まだ。


 何も言わない。


「だから」


 俺は。


 佳恋を見る。


「無理です」


「…………何が?」


 ようやく。


 声。


「愛川さんを」


 俺は答える。


「これで殴るの」


「…………」


「愛莉の友達だし」


「…………」


「それに」


 ちょっと。


 言うの恥ずかしいな。


「俺」


 頭を掻く。


「愛川さんのこと」


「…………」


「結構好きになってるんで」


 沈黙。


「そんな人を」


 俺は。


 五十メートル先まで続く大穴を指差した。


「これで殴れるわけないでしょ」


「…………」


 佳恋は。


 穴を見る。


 俺を見る。


 また穴を見る。


「…………」


 そして。


 小さく息を吐いた。


「……なるほど」


「はい」


「確かに」


 佳恋は。


 いつもの柔らかな笑顔に戻った。


「これは、私の負けですね」


「え?」


「あなたは全力を見せてくださった」


「まあ」


「そして」


 巨大な穴。


「私には、これを受ける方法がありません」


「受けない方がいいですよ」


「そうですね」


「絶対」


「ええ」


 佳恋は。


 少しだけ笑った。


「約束です」


「!」


 俺の目が輝いた。


「マウス!」


「…………」


「教えてくれるんですよね!?」


「高木さん」


「はい!」


「今」


 佳恋が。


 五十メートルの大穴を見る。


「八咫烏の一人と全力で戦った直後ですよ?」


「はい」


「私の正体も知った」


「はい」


「あなた自身の全力も見せた」


「はい」


「それで」


 佳恋は俺を見る。


「一番気になるのがマウスですか?」


「もちろん」


「…………」


「……あ」


「?」


「いや、待って」


 俺は佳恋を見る。

 漆黒のメイド服。

 さっきまで本気で殴り合っていた女の子。

 そして俺は、ついさっき。


『結構好きになってる』


 なんて本人に言った。


「愛川さんって……」


「はい?」


「付き合ってる人とか、いるんですか?」


「…………」


 佳恋が瞬きをした。


「それは、マウスより気になります?」


「…………ちょっと」


「ちょっとなんですね」


「いや、かなり」


「ふふ」


 佳恋が笑った。


「いませんよ」


「…………」


「今のところは」


「今のところ」


「はい」


「…………そうですか」


 なんだろう。

 ちょっと嬉しい。


「高木さん」


「はい?」


「顔に出ていますよ」


「出てないです」


「出ています」


「…………」


 愛莉にも似たようなことを言われた気がする。


「本当に」


 佳恋が小さく笑った。


「変な人ですね」


「それ最近よく言われます」


「では」


 佳恋が俺へ近づく。


「もう一つ、気になっている方のお話をしましょうか」


「!」


「あのマウスです」


「お願いします!」


「……切り替えが早いですね」


「それはそれ、これはこれなんで」


「ふふ。そうですか」


 佳恋の表情が、少しだけ変わった。


「あのマウスは――」


 俺がずっと探していた。

 偽案件で使った、あのゲーミングマウス。


「黒鴉会が独自に作ったものです」


「…………」


「え?」


 俺の声が、広い施設に響いた。

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