PSY-020《あのマウスを知っている》
翌日。
「…………」
俺は昨日買ったマウスを握っていた。
悪くない。
いや。
普通にかなりいい。
秋葉原を何店舗も回って、ようやく見つけた一品だ。
クリック。
クリック。
「うん」
軽い。
反応も速い。
形も手に合う。
FPSをやる分には何も問題ない。
パンッ!
ヘッドショット。
パンッ!
もう一人。
「…………」
なのに。
「違うんだよなあ……」
どうしても。
あのマウスが忘れられない。
黒鴉会の偽案件。
俺を騙して能力を測定するために用意された、あのゲーミングマウス。
「何だったんだ、あれ」
メーカー不明。
商品名不明。
販売場所不明。
分かっているのは。
黒鴉会が持っていた。
それだけ。
「やっぱり潜入……」
スマホが鳴った。
「ん?」
メッセージ。
知らない番号。
『こんにちは、高木さん』
「…………」
嫌な予感。
最近、知らない連絡先にはろくな思い出がない。
『誰ですか?』
送信。
すぐ返事。
『愛川佳恋です』
「…………」
「愛川さん?」
昨日。
愛莉と一緒に家へ来た女の子。
秋葉原で黒鴉会のチンピラに絡まれていたメイド。
そして。
かなり可愛い。
「…………」
いや。
最後の情報はいらない。
『なんで俺の番号知ってるんです?』
送る。
数秒。
『秘密です』
「…………」
怪しい。
ものすごく怪しい。
愛莉から聞いた?
いや。
愛莉なら勝手に教えたら、たぶん一言くらい言ってくる。
もう一件。
『少しお話ししたいことがあります』
「話?」
『はい』
さらに。
『高木さんが探しているマウスについてです』
「…………」
俺は椅子から立ち上がった。
『知ってるんですか!?』
即返信。
『知っています』
「マジか!」
昨日までの怪しさ。
一瞬で吹き飛んだ。
◆
待ち合わせ場所は。
人の少ない公園だった。
「…………」
俺はベンチに座っている。
佐久間さんに連絡するべきか。
少し考えた。
「いや」
相手は愛莉の友達。
昨日も家に来た。
秋葉原では俺が助けた。
しかも。
マウスについて知っている。
「大丈夫だろ」
たぶん。
最近。
この『たぶん』が危ない気もする。
「高木さん」
「あ」
振り向く。
愛川佳恋。
今日はメイド服ではない。
普通の私服。
それでも。
やっぱり目立つ。
「こんにちは」
「こんにちは」
佳恋は俺の隣ではなく。
少し離れた場所で立ち止まった。
「昨日はありがとうございました」
「昨日?」
「お家にお邪魔させていただいて」
「ああ」
「楽しかったです」
「俺も」
「…………」
「…………」
何だ。
ちょっと緊張する。
「それで」
俺は本題へ入った。
「マウス!」
「…………」
佳恋が少し笑った。
「本当に、それが気になるんですね」
「めちゃくちゃ」
「そんなに良かったですか?」
「良かった!」
即答。
「秋葉原で何個触っても駄目だったんですよ」
「そうなんですね」
「愛川さん、どこで売ってるか知ってるんですか?」
「売ってはいません」
「…………」
「え?」
「市販品ではありません」
「じゃあ」
一歩。
俺が前へ出る。
「どこにある?」
「黒鴉会のものです」
「…………」
止まった。
「え?」
今。
普通に。
言った。
「愛川さん」
「はい」
「なんで黒鴉会のものって知ってるんです?」
「…………」
佳恋は。
いつもの柔らかい笑顔のまま。
俺を見る。
「それは」
一瞬。
風が吹く。
髪が揺れる。
「私が、黒鴉会の者だからです」
「…………」
「…………」
俺は。
しばらく何も言えなかった。
「え?」
「黒鴉会です」
「いや、それは聞こえました」
「はい」
「愛川さんが?」
「はい」
「愛莉の友達の?」
「はい」
「秋葉原でメイドしてた?」
「はい」
「…………」
「はい」
「情報量多くない?」
「そうでしょうか」
「多いよ!」
俺は頭を抱えた。
「ちょっと待って」
「どうぞ」
「じゃあ秋葉原の時」
「はい」
「あの三人」
「黒鴉会です」
「それは知ってる」
「はい」
「同じ仲間?」
「形式上は」
「形式上?」
「末端も末端でしたけど」
「…………」
なんか。
言い方が怖い。
「愛川さんは?」
「私ですか?」
「黒鴉会の中で何してるんです?」
佳恋は。
少しだけ。
目を細めた。
そして。
一歩。
俺から距離を取る。
「改めまして」
「?」
「黒鴉会、執行者」
空気が変わった。
昨日までの。
愛莉の友達。
秋葉原のメイド。
俺の家で柔らかく笑っていた女の子。
その全部が。
一瞬で。
別のものに見えた。
「八咫烏」
「…………」
「その一人」
佳恋は静かに俺を見る。
「《深淵》コードネーム――アビスフィアー」
「…………」
風。
木々。
遠くの車。
全部。
さっきまでと同じなのに。
目の前の少女だけが。
まるで別人だった。
「八咫烏……」
「ご存じですか?」
「いや」
「そうですか」
「八人いる?」
佳恋が少しだけ笑った。
「そこですか?」
「名前的に」
「八人です」
「やっぱり」
「そして」
佳恋の笑みが消える。
「私たちは、黒鴉会の執行者です」
「執行者」
「制裁」
「…………」
「粛清」
「…………」
「報復」
「…………」
「命令された対象を処理する」
「…………」
「そういう存在です」
俺は。
目の前の佳恋を見る。
「愛莉は?」
「何も知りません」
即答。
「愛莉さんに近づくために学校へ通っているわけでもありません」
「…………」
「学校は私の表の顔です」
「表の顔」
「普通の高校生として生活するための」
「じゃあ」
「はい」
「愛莉と同じ学校なのは」
「偶然です」
少しだけ。
安心した。
「愛莉には」
「危害を加えるつもりはありません」
「…………」
「少なくとも、私個人は」
「その言い方怖いな」
「事実ですから」
佳恋は嘘をつかない。
少なくとも。
今は。
そんな感じがした。
◆
「じゃあ」
俺は本題へ戻る。
「マウス」
「…………」
佳恋が瞬きをした。
「今、この流れでそこに戻ります?」
「大事なんで」
「私が八咫烏だと明かした直後ですよ?」
「それも大事です」
「それも?」
「でもマウスも大事」
「…………」
「どこにあるんです?」
佳恋が。
本気で少し呆れた顔をした。
「高木さん」
「はい」
「あなた、思っていた以上に変な方ですね」
「最近よく言われます」
「そうでしょうね」
佳恋は小さく息を吐いた。
「ありますよ」
「!」
「同じものが」
「マジで!?」
俺は思わず近づいた。
「どこ!?」
「黒鴉会が用意したものです」
「やっぱり!」
「一般には流通していません」
「じゃあ黒鴉会に入れば?」
「入りたいんですか?」
「マウスだけ欲しい」
「…………」
「俺、黒鴉会には入りたくないです」
「安心しました」
「で」
俺はさらに聞く。
「どうすれば手に入ります?」
「…………」
佳恋が俺を見る。
今度は。
さっきまでとは違う目。
値踏みするような。
いや。
試すような。
「高木さん」
「はい」
「私も、あなたに興味があります」
「…………」
また。
ドキッとした。
いや。
違う。
絶対そういう意味じゃない。
「黒鴉会では、あなたについて色々な情報が流れています」
「俺の?」
「はい」
「どんな?」
「異常な身体能力」
「…………」
「複数の黒鴉を一人で退けた」
「向こうから来たんです」
「拘置施設でも」
「巻き込まれただけ」
「銃器も効かない」
「服には効きます」
「…………」
「穴開くんで」
「そこを気にするんですね」
「服高いじゃないですか」
佳恋が。
ほんの少し笑った。
「でも」
再び。
表情が消える。
「私は」
一歩。
「自分の目で確かめたい」
「何を?」
「あなたが」
静かに。
「どこまで強いのか」
「…………」
「噂ではなく」
「…………」
「記録でもなく」
「…………」
「私自身の手で」
佳恋から。
初めて。
はっきりとした圧を感じた。
殺気。
というやつかもしれない。
魔王を相手にした時にも。
ここまで静かな圧はなかった気がする。
「それとマウス」
「…………」
俺が言った。
「はい?」
「俺が知りたいのはマウス」
「分かっています」
「じゃあ」
佳恋が。
微笑んだ。
「あのマウスのことが知りたいですか?」
「知りたい」
即答。
「どこで作られたのか」
「知りたい」
「どうすれば手に入るのか」
「めちゃくちゃ知りたい」
「では」
佳恋が俺から数歩離れる。
構えた。
初めて見る構え。
隙が。
ない。
「条件があります」
「何?」
「私と」
佳恋の目が。
変わった。
愛川佳恋。
高校生。
メイド。
愛莉の友達。
その全部ではなく。
黒鴉会執行者。
八咫烏・深淵。
「全力で戦ってください」
「…………」
俺は数秒。
考えた。
「勝ったら?」
「マウスについて、私が知っていることをお教えします」
「全部?」
「私が知る範囲で」
「…………」
十分だ。
「やります」
佳恋が。
少しだけ目を見開いた。
「即答ですね」
「マウス欲しいんで」
「…………」
「それに」
俺は銀色の拳を握る。
「全力でいいんですよね?」
「ええ」
「壊れても怒らない?」
「私を?」
「周りを」
「…………」
佳恋は。
初めて。
少し楽しそうに笑った。
「場所は用意します」
「じゃあ」
俺も。
少しだけ笑う。
「よろしくお願いします」
八咫烏との全力戦闘。
普通なら。
もっと違う理由で始まるものなのかもしれない。
だが。
俺にとって。
理由は一つ。
――あのマウスが欲しい。




