PSY-017《あのマウスを探して》
偽案件から数日。
「……やっぱり欲しい」
俺はパソコンの前で呟いた。
何が。
マウスである。
黒鴉会が俺の能力を調べるために用意した、あの偽案件。
会社は存在しなかった。
案件も存在しなかった。
撮影スタジオも偽物だった。
俺を暗闇にしたり。
ボールを飛ばしたり。
二百キロの箱を持たせたり。
最後には照明まで頭に落としてきた。
「ろくな案件じゃなかったな……」
というか、案件ですらない。
だが。
唯一。
あのゲーミングマウスだけは。
「めちゃくちゃ使いやすかったんだよなあ……」
軽い。
クリック感も良かった。
俺の指についてくる。
何より、サイボーグになってから初めて。
『遅い』
と感じなかったマウスだった。
事件後。
当然ながらマウスは警察に押収された。
証拠品である。
佐久間さんに、
『あれ貰えません?』
と聞いたら。
『証拠品だ!』
と怒られた。
「メーカーも分からない」
偽案件で使われていた会社名は架空。
マウス自体にも、俺が覚えている限り分かりやすいロゴはなかった。
試作品だと言われていたが、それすら嘘なのか本当なのか分からない。
「…………」
なら。
やることは一つ。
「探すか」
日本で。
マウスを探すなら。
◆
「秋葉原!」
駅を出た俺は、思わず声に出した。
電気街。
パソコン。
ゲーム。
電子機器。
俺が探しているようなマウスが日本のどこかに売っているなら。
「ここにないなら諦めるしかないだろ」
少なくとも。
今の俺には、ここ以上に思いつく場所はなかった。
休日ということもあって、人が多い。
店頭のモニター。
ゲームの広告。
パソコンパーツ。
フィギュア。
派手な看板。
少し歩くだけで視界に情報が入りまくる。
「すげえな」
俺はゲーム好きではあるが、こうやって目的を持って秋葉原を歩くのは久しぶりだった。
「今日は事件なし」
目的は一つ。
マウス。
それだけ。
黒鴉会もいらない。
警察もいらない。
銀行強盗もいらない。
「マウスだけ買って帰る」
完璧な休日である。
◆
一軒目。
「これですね」
店員が出してくれたマウスを握る。
「…………」
動かす。
クリック。
クリック。
「惜しい」
「どのあたりが気になります?」
「少し重いです」
「こちらかなり軽量モデルですが」
「もう少し」
「なるほど……」
二個目。
「これは?」
「クリックが違う」
「クリック?」
「押した時の戻りが少し遅いです」
「…………」
三個目。
「こちらでしたら応答性能もかなり――」
カチ。
「遅い」
「え?」
「あ」
店員が固まった。
「いや、普通の人なら十分速いと思います」
「お客様は?」
「俺?」
銀色の右手を見る。
「ちょっと特殊なんで」
「…………」
店員の視線が俺の手へ。
「高性能な義手……ですか?」
「みたいなものです」
便利だな。
この説明。
◆
二軒目。
「軽さは近い」
三軒目。
「形はこっち」
四軒目。
「センサーはいいけどクリック感が違う」
五軒目。
「うーん……」
気づけば。
俺は完全にマウス沼へ沈んでいた。
「こんなに違うもんなのか……」
昔の俺なら。
ゲーム用なら何でもいい。
その程度だった。
だが。
今の身体。
指の動きが細かすぎる。
ほんの少しの違いまで分かってしまう。
「サイボーグになって不便になってない?」
性能が良すぎて。
普通のマウスに満足できない。
まさかそんな問題が発生するとは。
魔王を倒した時には想像もしなかった。
◆
六軒目。
店員が困った顔をしていた。
「以前使われていた製品名は分かりますか?」
「分かりません」
「メーカーは?」
「分かりません」
「購入されたお店は?」
「買ってません」
「……借り物?」
「偽案件で使いました」
「偽案件?」
「あ」
また説明しづらいやつを口にした。
「色々ありまして」
「はあ……」
「会社も存在しません」
「…………」
「でもマウスだけは最高だったんです」
「かなり特殊な経緯ですね」
「俺もそう思います」
店員がいくつか候補を出してくれた。
その中の一つ。
「…………」
握る。
「お」
かなり近い。
動かす。
クリック。
「おお」
「いかがです?」
「今までで一番近いです」
「でしたら――」
「でも違う」
「…………」
「ごめんなさい」
「いえ……」
店員がちょっと疲れていた。
申し訳ない。
◆
「腹減ったな」
何店舗回ったのか。
もう分からない。
俺は一度マウス探しを中断した。
通りを歩く。
「…………」
その時。
少し先。
「ねえねえ、いいじゃん」
男の声。
「やめてください」
女の子の声。
「…………」
嫌な予感。
見ない。
今日は見ない。
俺はマウスを買いに来ただけだ。
「ちょっとくらい付き合えって」
「仕事中なので」
「そんな硬いこと言うなよ」
「…………」
見る。
しまった。
見てしまった。
メイド服姿の女の子が数人。
その前。
男が三人。
見るからに態度が悪い。
「…………」
俺は顔を逸らした。
「警察……」
いや。
まだ事件とは限らない。
「おい」
男の一人がメイドの少女の腕を掴んだ。
「離してください」
「いいから来いって」
はい。
事件。
「…………」
俺はため息をついた。
「なんで俺、マウス買いに来ただけなのに」
◆
「すみません」
「あ?」
男たちが振り向いた。
「嫌がってますよ」
「誰だお前」
「通りすがりです」
「関係ねえだろ」
「そうなんですけど」
俺は腕を掴まれているメイドを見る。
年齢は若い。
愛莉と同じくらいだろうか。
整った顔立ち。
柔らかそうな表情。
よく似合ったメイド服。
ただ。
妙に落ち着いている。
怖がっているようには見えない。
「…………」
まあ。
人それぞれか。
「とりあえず手、離してください」
「正義の味方か?」
「違います」
「じゃあ消えろ」
「マウス探してる途中なんで、俺も早く終わらせたいんです」
「意味分かんねえよ!」
本当のことなのに。
男が俺の前へ出る。
「お前、俺たちが誰か分かってんのか?」
「知らないです」
「見せてやろうか?」
「いや別に――」
男が袖をまくった。
「…………」
黒い鳥。
翼を広げた鴉。
「…………」
「どうだ」
男が得意そうに笑う。
「俺たちは黒鴉会だ」
「…………」
今日一番のため息が出た。
「またかよ……」
「あ?」
「いや」
俺は刺青を見る。
黒鴉会。
間違いない。
「それ」
「なんだ」
「人に見せて大丈夫なんですか?」
「は?」
「黒鴉会って、そういうの隠す組織じゃないの?」
「何言ってんだお前」
「いや、最近ちょっと詳しくなって」
「……お前」
男が目を細める。
「黒鴉を知ってんのか?」
「少し」
「なら話早えじゃねえか」
男が笑った。
「余計なことに首突っ込むな」
「でも」
俺はメイドを見る。
「その人、嫌がってますよ」
「関係ねえって言ってんだろ!」
男が殴りかかってきた。
「あ」
拳。
避ける。
「てめっ!」
もう一発。
避ける。
「動くな!」
「それ前にも言われたな」
「何!?」
二人目も来る。
「…………」
面倒だ。
腕を掴む。
「離せ!」
「ちょっと落ち着いてください」
軽く押す。
「うおっ!?」
男が数メートル下がった。
「…………」
周囲の人が見ている。
まずい。
目立つ。
秋葉原の真ん中だ。
「今日は本当に何もしたくないんで」
「舐めやがって!」
三人目が向かってくる。
俺は避ける。
足を引っかける。
「うわっ!」
転んだ。
「…………」
「帰ってもらえません?」
「くそっ!」
男たちは俺を見る。
周囲を見る。
人が集まり始めている。
「覚えてろ!」
「できれば忘れたいです」
「行くぞ!」
三人はその場を離れていった。
「…………」
よし。
壊してない。
誰も大怪我してない。
警察も呼んでない。
「完璧」
「何がですか?」
「え?」
さっきのメイドだった。
「いや、こっちの話です」
「助けていただいて、ありがとうございます」
ぺこり。
頭を下げられる。
「大丈夫ですか?」
「はい」
笑顔。
普通。
さっきまで黒鴉会の男に腕を掴まれていたとは思えないほど。
「怪我は?」
「ありません」
「良かった」
少女が俺の右手を見る。
銀色。
「……その手」
「ああ」
「綺麗ですね」
「綺麗?」
格好いいとか。
すごいとか。
義手ですかとか。
色々言われた。
綺麗は初めてだった。
「ありがとうございます?」
「ふふ」
少女が笑う。
「お名前、聞いてもいいですか?」
「高木です」
「高木さん」
「はい」
少女は一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
俺をじっと見た。
「……そうですか」
「?」
何だ?
「私、仕事に戻りますね」
「あ、はい」
「今日は本当にありがとうございました」
「気をつけて」
「高木さんも」
少女は笑顔のまま頭を下げた。
そして。
ほかのメイドたちと一緒に、その場を離れていった。
「…………」
何となく。
変な子だったな。
「まあいいか」
俺にはマウス探しという重大な使命がある。
◆
さらに二店舗。
「…………」
結局。
あの偽案件で使った物と同じ感覚のマウスは見つからなかった。
「ないなあ……」
ただ。
今まで試した中で一番近かった物を一つ買った。
「これで妥協するか」
妥協。
という言葉は失礼か。
十分いいマウスだ。
「帰ったら試そう」
秋葉原まで来た甲斐はあった。
美味いものも食べた。
色々な店も見た。
黒鴉会にも遭遇した。
「……最後いらなかったな」
俺は駅へ向かった。
◆
夕方。
秋葉原から少し離れた裏道。
「くそっ!」
昼間の男が壁を蹴った。
「あの野郎……」
「恥かかせやがって」
「次会ったら絶対――」
「次?」
「…………」
三人が振り向く。
そこに。
一人の少女が立っていた。
昼間の。
メイド。
「あ?」
「お前」
「さっきの女じゃねえか」
少女は。
昼間と同じ笑顔だった。
「こんにちは」
「……何しに来た」
「皆さんを探していました」
「は?」
「ちょうど良かったです」
一歩。
少女が近づく。
「お前、一人か?」
「はい」
「なら――」
男が手を伸ばした。
次の瞬間。
「――え?」
一人が崩れ落ちた。
「…………」
「…………」
残った二人が止まる。
「何……した?」
少女は答えない。
一歩。
もう一人。
倒れる。
音すら。
ほとんどなかった。
「なっ……」
最後の一人。
後ずさる。
「お前……」
少女は笑顔のまま。
「困るんですよ」
「何が……」
「黒鴉会の名前を」
一歩。
「そんな簡単に見せびらかされると」
「…………」
男の顔色が変わった。
「お、お前……まさか」
「秋葉原で最近、ずいぶん好き勝手していたそうですね」
「待て!」
「黒鴉の名前を使って」
「俺たちも黒鴉だ!」
「ええ」
少女の表情は変わらない。
「だからです」
「…………」
「黒鴉会の人間なら」
少女が静かに言った。
「黒鴉会に迷惑をかけた時、どうなるかくらい分かりますよね?」
「待ってくれ!」
「命令なんです」
「誰の――」
「それは知らなくていいです」
少女が近づく。
「ただ」
止まった。
「あなたたちには少し感謝しています」
「……は?」
少女の脳裏。
昼間。
銀色の手。
何の迷いもなく間に入ってきた男。
高木航。
「あなたたちのおかげで」
少女が微笑んだ。
「彼と、自然に繋がることができました」
「何を言って――」
「ありがとう」
そして。
裏道は。
静かになった。
◆
少女は何事もなかったように歩いていた。
メイド服のまま。
表通りへ戻る前。
人気のない場所で立ち止まる。
スマートフォンを取り出す。
短い文章。
『処分完了』
送信。
それだけ。
「…………」
画面を閉じる。
少しだけ。
考える。
「高木航……」
すでに名前は知っていた。
黒鴉会の中で。
最近。
少しずつ、その名前を聞くようになっていたから。
警察と接触。
白峰組とも接触。
黒鴉会の人間を複数回退けた男。
サイボーグチャンネル。
「噂より……」
少女は昼間の出来事を思い返す。
「普通の人でしたね」
少し。
笑った。
◆
その夜。
「おお」
俺は新しく買ったマウスを使っていた。
パンッ。
ヘッドショット。
「悪くない」
パンッ。
また。
「結構いいじゃん」
でも。
「…………」
やっぱり違う。
「あのマウス欲しいなあ……」
偽案件。
存在しない会社。
黒鴉会。
証拠品。
「無理か」
諦めきれない。
いつか。
同じものを見つけたい。
そんなことを考えながら。
俺はゲームを続けた。
「黒鴉会に潜入したら手に入らないかな……」
俺は本気で少しだけ考えた。
目的はもちろん――あのマウスだ。
◆
今日。
秋葉原で出会ったメイドが。
愛莉と同じ高校へ通っていることも。
黒鴉会の中でも、普通の構成員とはまるで違う存在であることも。
そして。
俺と彼女の出会いが。
この先。
思ってもいなかった形で繋がっていくことも。
この時の俺は。
まだ何も知らなかった。




