8、王太子と首席魔術師
王宮の執務室で、首席魔術師は顔をしかめた。
「クロード様。今、何と仰いました?」
ルシアン・レイン。
天才揃いのアカデミーを首席で卒業し、歴代最年少で国家魔術師のトップに上り詰めた人物である。
彼とクロードはアカデミーの同期生だ。学生時代こそあまり関わりがなかったが、現在は王太子と首席魔術師として、行動を共にすることが多い。今もこうして肩を並べて書類仕事を片付けている。
「聞いていなかったのか。ヴィオレッタ家の令嬢と婚約した。同時に、王太子付き魔術師に任命した、と言ったんだ」
「聞き間違いでは、ないようですね……」
ルシアンは驚いている様子だ。長い前髪の下で、髪と同じ漆黒の目が興味深そうに光っていた。
王太子が結婚相手を探すために開催予定だった舞踏会が、当日になって、急遽中止になったことは国中の噂になっている。国民は皆、王太子は何を考えているのかと心配していた。
ルシアンは密かに思っていた。
ーーこれは当分、クロード様は結婚しないだろう。
クロードは優男の見た目に反して、根が真面目なのだ。二十歳という若さで国政を執り行うという重責を担っている以上、今は政治に集中したいはずだ。浮いた噂がないことも含めて、当面は国家に忠誠を誓うのだろうと考えていた。
しかし、突然、当の本人から婚約したと報告を受けたのである。さらに婚約者を王太子付き魔術師に任命したという。
しかも、相手は国家魔術師を多数輩出している、名家ヴィオレッタ家の令嬢らしい。
「ヴィオレッタ家のご令嬢ということは、やはり魔力が強い少女なのでしょうね」
「いや、彼女に魔力はない」
「は……?」
ルシアンは耳を疑った。
魔力は血で受け継がれる才能でもある。ヴィオレッタ家に生まれながら、魔力がない人間がいるなんて、思わなかった。
「……あなたは魔力がない人間を、王太子付き魔術師に任命したんですか」
「そうだ。何か問題でも?」
「大ありです。正気ですか」
クロードは目を細める。
「彼女には特別な力があるんだ。才能に惚れたのは確かだな」
「特別、と言うのは……魔力を凌駕するほどの力が?」
「まず、植物と会話ができる」
ルシウスは今度こそ顔を歪めた。
魔力よりも強力な力かと思えば、植物と話ができる……?
夢物語のようだが、クロードの表情は真剣だ。
「まだ詳しくはわからないが、植物が彼女に魔法薬のレシピを教えてくれたそうだ。彼女はそれを再現して、見たこともない魔法薬を作ってみせた」
「あなたが知らない魔法薬なんて、ないでしょう」
「……あるさ。滅びた魔術を、俺は知らない」
ルシアンは顔を上げた。
古代魔術ーー建国以前に滅びたとされる偉大な魔術については、歴史書にその存在が仄めかされているだけだ。ルシアンでさえも、詳細は知らない。
「そして、彼女は古代魔術が記された辺境の地の言語を理解する」
「まさか。あの土地の言語は数十種類あるでしょう」
「聞いたところによると、魔力がないことで引け目を感じ、長らく屋敷に閉じこもっていたようだ。両親から贈られた山ほどの本を読破して学んだらしい」
それもまた、すごい才能だ。いや、努力家というべきか。クロードは立ち上がり、強気に笑った。
「つまり、彼女は植物が教えてくれる古代魔術を読み解き、復元することができるんだよ」
「植物と古代魔術、辺境の言語ーーー」
ルシアンがはっとする。クロードは頷いた。
「お前も俺と同じことを考えたようだな。これは仮説だが、植物は魔術を記憶している。そして種から種へと受け継いでいくんだ。我が王国が周囲を植物に覆われているのも、何か関係があると思わないか?」
クロードは立ち上がり、ルシアンに耳打ちする。
——それに……彼女が魔術を再現しても、痕跡がないと言ったらどうする?
「そんなことが可能なんですか」
「現代魔術ではありえない。古代魔術だから痕跡がないのか、それともそれ自体が彼女の能力なのか……気になるだろう」
ルシアンは溜飲が下がる思いだった。
やはり、王太子は才能に惚れたのだ。いや、これはもう、才能に取り憑かれたといってもいい。婚約者について語る王太子の顔は、見たことがないほど希望に満ち溢れていた。
「彼女の才能を伸ばさない手はない。お前も、協力してくれるな」
「……あまり、気乗りはしませんね」
ルシアンはすっと目を逸らす。クロードには予想通りの反応だったのか、楽しそうに首席魔術師の肩を叩いた。
「そう言うと思っていた。なに、拗ねるな。お前もすぐに彼女の凄さがわかるさ」
「拗ねるわけがないでしょう。冗談を言う暇があるなら、書類を少しでも片付けてください」
ルシアンが山積みになった書類を指差すと、クロードはくっと笑った。
ルシアン・レインとアリア・ヴィオレッタ。首席魔術師と王太子付き魔術師。二人の力が合わされば、どんな奇跡が起きるか楽しみで仕方がない。
ルシアンはペンを走らせる手を止めた。
「しかし、それほどの特殊な能力となると……」
「ああ、俺も同じことを考えていた。彼女はいずれ、国内外から狙われる立場になるだろう。まずは自衛のための手段を授けてやらないと……」
クロードは立ち上がると、窓から王都を見下ろした。
アリア・ヴィオレッタの存在はこの国の未来をも変えるかもしれない。
「恐れる必要はない。ーー俺が彼女を守ろう」




