9、恋の自覚
クロードは急ぎの書類を仕上げると立ち上がった。
ルシアンは顔を上げる。
「もう自室へお戻りになるのですか」
「アリアのところに顔を出したいからな。報告書の類はお前に任せる」
最近は公務続きで、アリアとはほとんど一緒に過ごせていない。仮にも婚約しているというのに、すれ違い生活が続いている。アリアは不満を口にしないが、きっと寂しい思いをさせている。
「なぜだろう。王宮にいる時は、なるべく彼女のそばで過ごしたいんだ」
ルシアンはクロードに向かって、そうですか、と含みのある声音で返事した。
「ヴィオレッタ家のご令嬢……お会いしてみたくなりましたね」
「どういう意味だ」
「クロード様のことですから、てっきり才能喰いだと思いましたが。それ以上に、とても魅力的な女性なんでしょう」
クロードは口元に人差し指を当てる。
「さあ……どうだろうな」
秘密だとでも言いたげなクロードの仕草に、ルシアンは肩をすくめる。クロードはルシアンに背を向けると、アリアの元へ急いだ。
アリアは研究室にいなかった。
研究室のテーブルには、クロードが留守の間、読むように薦めておいた本が積まれている。辺境の地の植物や、王国の歴史など、アリアの能力に役立ちそうな本だ。読み切るには多すぎたかと一冊手に取れば、本に栞がわりの羊皮紙が挟まっている。羊皮紙には本の内容がまとめてあった。確認すると、全ての本に羊皮紙が挟まっているではないか。
「この短期間で、全て読んだのか……」
アリアにはいつも驚かされる。
魔力がないことで、引け目を感じてきた名家の令嬢。しかし、彼女はとても努力家だ。クロードと婚約してからも、短期間のうちに多くの知識を吸収していることがよくわかる。夜中に王宮に帰ってくると、時折、研究室の明かりが点いていることもあった。王太子付き魔術師の肩書きに恥じぬよう、アリアなりに励んでいるのだ。
クロードはアリアの研究室を出て、アルヴェール博士の研究室に向かう。ドアを開けると、アルヴェールは薬草を片手にフラスコを傾けていた。
「これは、クロード様。こんな時間にどうしました?」
「アリアを探しているのですが、ご存知ですか」
「アリアなら、まだ温室にいますよ。なにやら熱心に、植物を観察していましたね」
ふとアルヴェールを見ると、不自然なほど満面の笑みを浮かべている。クロードは眉根を寄せた。
「アルヴェール博士………薬草学で新発見があったのでしょうか」
「おやおや、なぜそんなことを?」
「随分、嬉しそうに見えますから」
「フフフ、アリアが楽しそうにしているものだから、叔父として安心したんですよ。屋敷に引き籠っていた頃よりも、ずっと生き生きとしている」
アルヴェールが目配せをする。
「クロード様のおかげでしょうね」
クロードは瞬きをすると、なんとなくバツが悪くなって温室へ急ぐことにした。
月明かりに照らされた温室に入る。足音を忍ばせて歩みを進めると、アリアを見つけた。ベンチにもたれて、寝息を立てている。右手には読みかけの本が開かれていた。読書しているうちに、眠ってしまったのだろう。
「アリア、風邪をひくぞ」
アリアの隣に腰を下ろす。
ふと、ルシアンの言葉が脳裏に蘇った。
ーーとても魅力的な女性なんでしょう。
最初はアリアを、王太子付き魔術師に任命したいだけだった。だが、国民に結婚を期待されている立場を思い出して、彼女と婚約することになった。その方が都合がよかったからだ。
いや、本当にそれだけだろうか。
クロードは、アリアの頬に触れた。白く透き通った頬に口付けしようとして、我に返る。
「参ったな……」
自覚してしまえば単純なことだ。自分でも気がつかないうちに、アリアに魅せられていた。
「アリア、起きてくれ」
クロードは、アリアの肩を優しく揺らす。アリアはしばらく身を捩っていたが、やがて睫毛を震わせて目を開けた。
「ん……きゃああっ」
クロードと目が合うと、アリアは驚いて立ち上がった。反動で転びそうになるところを、クロードが咄嗟に支える。
「……王太子様」
「ただいま。俺が薦めた本、全部読んだのか」
「あ……はい、これが最後の一冊です。実家の書庫にはなかった本ばかりなので、面白かったです。それでこのルナーダという薬草ですが、温室で見た気がして。これです、これ。ね、同じでしょう!?」
興奮して早口で喋るアリアだったが、クロードの視線に気がついてはっとした。優しい目をしている。吸い込まれそうな宝石の瞳ーーそう思った途端、アリアの心臓が跳ね上がった。
「アリア。薬草の説明をする前に、俺に何か言うことがないか」
「あ……そうでしたわ……」
アリアは乱れていた髪を手で直すと、思い切って言った。
「お帰りなさい。……旦那様」
クロードは頷くと、懐から革袋を出した。革袋の口を開いて逆さにすると、中から星の形をした種が出てくる。アリアの目が輝いた。
「約束通り、珍しい植物の種を持ち帰った」
「ありがとうございます……っ。早速、種を蒔いてみましょう」
アリアは温室の空いている場所にプランターを運ぶと、シャベルを使って、丁寧に種を蒔き始めた。クロードは感心する。随分、手慣れている。アリアは本当に植物が好きなのだろう。
「そういえば……種の状態でも、きみは植物と会話ができるのか?」
「そうですね、できないこともないですけれど……。種の状態だと、植物の声はとても小さいんです。耳を澄ましてやっと聞こえるくらい、小さな声なんですよ」
アリアはそう言って耳を澄ませた。しばらくそうしていたが、慌てて立ち上がる。
「王太子様。こちらの植物、素敵な花が咲く品種なのですね」
「そうなのか?俺が見つけた時は、花は咲いていなかったんだ」
「成長すると、小さな花をたくさんつけるそうです。色は……」
アリアはクロードの蒼い瞳を見つめた。
「王太子様の瞳と同じ色……と、植物が教えてくれました」
「……うん、そうか。うん……」
クロードは片手で顔を覆うと、次の瞬間、思わずアリアを抱き寄せていた。アリアはびくりと震えて、腰を抜かしてしまう。
「おい、どうした。急に腰を抜かして」
「す、すみません……っ、王太子様のお顔を、すごく近くで見てしまったものですから……」
「そんなことで腰を抜かすのか。まあ、いい。部屋まで送ろう」
クロードは小さく笑うと、アリアを横抱きにする。アリアは真っ赤になって首を横に振った。
「下ろしてください……っ、わ、私、一人で歩けます……っ!」
「遠慮するな。ほら、暴れると危ないぞ」
クロードは戸惑うアリアを宥めて、部屋まで送ったのだった。




