7、同居の始まり
7、同居の始まり
こうして、王太子はヴィオレッタ家の令嬢と婚約した。
アリアの両親は二人の婚約に驚いたが、涙を流して祝福してくれた。大事な娘に伴侶ができることは、やはり嬉しいものだ。アリアの場合、婚約破棄の一件があったので、尚更だった。
アリアは叔父の研究室のそばから、王宮内の王太子の居住区へ移住し、そこで暮らすことになった。
「この研究室は、きみが自由に使ってくれ」
クロードがまず初めに案内してくれたのは、彼の研究室だった。クロードは王太子として公務をこなしながら、魔術研究にも励んでいるらしい。研究室の中には、アリアが見たこともない植物や薬品が揃っている。薬草学が専門の叔父の研究室とは違って、魔物の死骸や蛇の抜け殻など、魔法薬の材料になりそうなものが準備されていた。
「きみの才能を伸ばすために、必要なものがふたつある。ひとつ、色々な植物と対話して古代魔術を聞き出すこと。そしてもうひとつ、それらのレシピを再現することだ」
「これだけの材料があれば、新しいレシピの再現もできそうです」
研究室を見渡して、アリアは興奮気味に言った。この環境ならばレシピの再現に打ち込めそうだ。
「そうだ、アリア。引き続き、アルヴェール博士の温室の世話もしてくれ。あの温室ではここにはない植物を色々育てているから、きみの研究のためにもなる」
「……植物の世話を続けてもいいんですか?」
「勿論だ。きみは庭いじりが好きなようだしな」
クロードは微笑む。アリアは目を輝かせた。立場が変わっても、引き続き大好きな庭いじりができるようだ。アリアが感謝のお辞儀をすると、クロードの腰に見覚えのあるものを見つけた。
「王太子様、それは……」
「きみが修復してくれた聖剣だ。今回の魔物討伐で、早速使ってみようと思っている」
クロードは聖剣を鞘から引き抜いた。美しい剣身が窓から差し込む光を反射する。改めて見ても、折れていたことが嘘のようだ。
「見た目は修復できているようですが、切れ味は大丈夫でしょうか?いざという時、使い物にならないかも」
「そうだな。試してみるか」
クロードは研究室の棚から、厳重に包まれた檻を取り出す。檻の中には毒蛇が入っていた。クロードはアリアを怯えさせないように説明する。
「なに、心配はいらない。研究用に捉えた毒蛇だが、牙は抜いてある……」
「あら、この模様の蛇なら、何度か見たことがありますわ」
クロードは驚いた。アリアはにこりと笑う。
「庭いじりをしていると、虫とか蛇とかは、しょっちゅう遭遇するんですよ。ミミズなんかは結構愛らしくて、私好きですわ」
「そうか。……まあ、いい。少し、下がっていてくれ」
クロードは笑うと、アリアを窓際に誘導した。
「聖剣の威力を試してみよう。檻を開けるぞ」
クロードが檻の扉を開けると、毒蛇が勢いよく飛び出してきた。アリアは固唾を呑む。クロードはすかさず聖剣を毒蛇に向けた。瞬間——毒蛇は跡形もなく霧散した。
「……見たか。剣を振り下ろすまでもなかったぞ」
「これは、どういうことでしょう……」
「俺にもわからない。きみが修復したことで、聖剣に特別な力が宿ったのかもしれないな。魔力の気配は全くないが……きみの力は、まだわからないことばかりだ」
クロードは剣身を鞘に収めた。アリアはほっとする。修復できたどころか、不思議な力まで宿っていたとは驚いたが、きっとこの聖剣はクロードの役に立ってくれるに違いない。
「さあ、きみの部屋へ案内しよう」
「私の部屋……ですか」
「研究室のそばに、個室を用意した。きっと気にいると思うぞ」
クロードは研究室を出ると、アリアが主に暮らすことになる部屋へ案内した。
「ここがきみの部屋だ」
書斎の一つだったというその部屋は、短期間のうちにアリアのために改装されて、壁紙や家具が入れ替えられた。細やかな花の刺繍があしらわれた天蓋付きのベッドを見て、言葉を失う。ヴィオレッタ家も裕福だが、やはり王族の財力は桁違いだ。
「私のために、こんなに立派なお部屋を用意していただけるなんて」
「きみは俺の婚約者だ。これくらいは当然だろう」
クロードは部屋の中を案内していく。衣装棚にはドレスの他に、アリアが庭いじりをする時に使えそうな作業着も入っている。クロードが気を利かせて用意してくれたらしい。実家にいた頃から愛用している麦わら帽子を収納すると、アリアらしい衣装棚ができあがった。
「侍女たちを紹介しよう。わからないことがあったら、彼女たちに何でも聞いてくれ」
クロードはアリア付きの侍女たちを紹介した。優しそうな女性たちだ。侍女頭は中年のふくよかな女性で、どことなくアリアの母親に似ている。
「奥様、困ったことがあれば、何なりとお申し付けくださいませ」
「……お、奥様……?」
「奥様のお世話をさせていただけるなんて、光栄ですわ。奥様はいずれ、王妃になられる方ですもの」
「……お、おうひ……」
そうだった。アリアは王太子の婚約者である。将来は王妃となるのだった。
——私、もしかして、とんでもない婚約をしたのでは……!?
アリアは青ざめるとクロードの服の裾を必死に掴んだ。
「どうした?」
「あ、あの……王太子様」
——本当に、私でいいのでしょうか?
喉元まで出かかった言葉を、アリアは飲み込んだ。
身の程知らずという自覚はある。それなのに、クロードとの婚約を解消したいと思わない。
アリアはずっと、引け目を感じていた。魔術師の名家に生まれながら魔力がなく、将来を憂いていた。クロードはそんなアリアを見出して、そばに置いておきたいと望んでくれたのだ。
王太子付き魔術師としても、婚約者としても、クロードのそばにいたい。そのためには……覚悟を決める必要がある。
「アリア、どうした。顔色が……青いぞ?」
「あ、あの……」
アリアはきつく目を閉じると、思い切って腹から声を出した。
「これから、どうぞよろしくお願いします。……旦那様!」
アリアは恐る恐る顔を上げる。クロードは硬直していた。その頬が心なしか赤くなっていることに気がついて、アリアは林檎のように真っ赤になった。王太子様が……照れている!
「え、えっと……あの、す、すみません〜〜」
「いや、いいんだ。何も間違っていない。俺はきみの旦那様……だ」
自分の言葉に衝撃を受けたのか、クロードは再び片手で顔を覆う。そしてしばらく呼吸を整えると、アリアに向き直った。
「そろそろ仕事に戻る」
「国境付近で魔物討伐ですよね。行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる。珍しい植物を見つけたら、持ち帰るよ」
しばらく手を振っていたアリアだったが、ドアが閉まった瞬間、ベッドに突っ伏して真っ赤になるのだった。




