3、折れた聖剣
小鳥の爽やかな鳴き声で、アリアは目を覚ました。宛てがわれた自室の窓から、光が差し込んでいる。時計を見ると朝五時だった。
「いけない。少し寝坊したわ」
温室の番人の朝は早い。それぞれの植物の様子を観察して、適切な量の水と肥料を考える。雑草を抜くことも忘れずに。日当たりの確認と温度調整も大切だ。やるべきことはたくさんある。
アリアは寝巻きから作業着に着替える。麦わら帽子を被ると、庭いじりにぴったりの格好になった。
「みんな、おはよう。今日は晴れるみたいよ」
水を撒きながら話しかければ、植物たちは喜んではしゃいだ声を上げた。
——おはよう、アリア。
——いい天気ね。素敵な一日になりそう。
ここへやってきて、一ヶ月が経過した。植物たちとも随分打ち解けてきたと思う。
最初はほとんど彼らの声が聞こえなかったが、今では雑談までよく聞こえる。
「あなた、少し萎れているわね。日当たりのせいかしら。あなたは随分枝が増えたから、枝分けしましょうね」
肥料が入っている麻袋を開いて、元気がない花に与える。花の枝を剪定して植物たちに栄養が行き届くようにする。気がつけばアリアの額には汗が滲んでいた。庭いじりは体を使う仕事なのだ。
「おや、朝から精が出るね」
「叔父様」
「アリア、随分元気になったようだね。しかしヴィオレッタ家の令嬢というよりも、まるで農家の娘のようだが。それもまた、いいかもしれないな」
アルヴェールはそうだと手を叩く。
「使用人から言伝があったんだ。今日の花は応接間ではなく、大広間へ届けてほしいそうだよ」
「大広間ですか」
「ああ、なんでも今夜は舞踏会があるそうだ。客人をもてなすために、受付に飾るらしい」
舞踏会。アリアは華やかな場が苦手だ。しかし、アリアが届ける花が、参加者たちの目の保養になることは嬉しい。
「わかりましたわ。それなら、華やかな薔薇にしましょう」
「ああ、いいね。頼んだよ」
アルヴェールはそう言い残して、スキップしながら研究室へ戻ってしまった。そういえば彼は、昨日と同じシャツを着ていた。お風呂に入っていないのかしら、とアリアは苦笑する。本当に、公爵家の人間らしくない叔父だ。
アリアは白薔薇の花壇に近づくと、その場に屈んで視線を合わせた。この温室の中でも、一際目立つ、大輪の白薔薇だ。
「少しだけ、花を分けてくださいね」
アリアは昔から、薔薇とは特別気が合う。実家の庭に咲いていた赤薔薇とも仲良しだった。実家の赤薔薇は年老いていたが、この温室の白薔薇はまだ若い。
剪定バサミを手に枝を切る。すると、うっかり手が滑って、右手の人差し指が棘に触れてしまった。
「痛っ……、やってしまったわ」
こういう時、魔力があれば便利なのに。
アリアの両親も祖父母も、偉大なる魔術師だった。これくらいの傷は簡単な呪文を唱えるだけで治していたことを、覚えている。もっとも、魔力がないアリアには無理な話なのだけれど。
ーーそれならば、この魔法はどうかしら?
白薔薇が囁いた。次の瞬間、白薔薇の周囲が水面のように揺れ、空中にゆらりと文字が浮かび上がった。
「何かしら、この文字は……」
懐に忍ばせていた羊皮紙に書き留める。文字を見ると、この国の言葉ではないようだ。この温室の白薔薇は、王都の外で採取された、珍しい品種だと聞いている。それと何か関係があるのだろうか。
「ああ、いけない!早く、花を届けないと」
温室を出て研究室の中を通り過ぎ、王宮の中に入る。応接間の横を通り過ぎると、大広間へ急いだ。
大広間の入口に辿り着くと、見事な彫刻が施された花瓶が用意してあった。ここが舞踏会の受付なのだろうと理解して、花を飾る。
「うん、いいわね。とても綺麗よ」
アリアが褒めると白薔薇は嬉しそうに揺れた。
ーーありがとう。嬉しいわ。
植物はたとえ人の手によって摘まれても、その相手を憎んだりしない。それどころか、自分を選んでくれたことに感謝して、愛情を持って笑いかけてくれるのだ。
そうだとしたら、先ほどの文字も、アリアにとって何か役立つ情報なのだろうか。
「……ううん、考えすぎだわ。きっと気のせいよ」
大広間を出ようとして、アリアは受付のそばに、大きな飾り棚があることに気がついた。移動式のものだ。誰かが中身を手入れしている途中なのだろうか、ガラスケースの蓋が開いている。飾られていたのは剣だった。持ち手に王家の紋章が刻まれている。
「立派な聖剣。でも、折れているのね」
アリアは少し考えて、慌てて叔父の研究室に向かった。




