1、名家の令嬢は、婚約破棄されてしまう
お屋敷の中庭で、アリアは蹲り、ため息をついた。
昨日から、街は噂で持ちきりだ。アリア・ヴィオレッタ公爵令嬢が、レオン・アシュフォード男爵から婚約破棄された。
ーーアリア、すまない。他に好きな相手ができたんだ。
ーーアリア様、申し訳ございません。私、レオン様と結婚したいのです……!
レオンと、その妻となったセリーナの困惑した顔が頭から離れない。レオンは親同士が決めた、幼い頃からの許嫁だった。彼を愛していたかと聞かれると正直よく分からないが、それでも当然結婚すると思っていて、ある程度心を許してきた相手である。それが突然、別の相手と結婚してしまった。
「私が結婚なんて、無理な話だったのよ……」
赤い薔薇に向かって話しかける。アリアが幼い頃から世話をしてきた、年老いた薔薇だった。それはふわりとやさしく揺れて、アリアの気持ちを汲んでくれる。
婚約破棄の理由はわかっている。ヴィオレッタ家は、国家魔術師を何人も輩出している名家だ。しかし、アリアには魔力がなかった。
アリアの将来を憂いて、両親はアリアに英才教育を施した。様々な訓練をさせて、魔術の知識だけでも与えたいと、図書室いっぱいの専門書も買い与えた。しかし、アリアはついにペン一本、浮遊させることさえできなかった。
一方、レオンの妻となったセリーナ・ベルモントは、公爵令嬢でありながら、強大な魔力の持ち主である。建国以降、王国を狙う魔族との争いが未だ絶えないプラトニア王国において魔力の強さはステイタスのひとつだ。アリアとセリーナが同じ公爵令嬢である以上、レオンがセリーナに乗り換えた理由は、本人の魅力もさることながら、その魔力に惹かれたからだろう。
——落ち込まないで、アリア。
赤薔薇がやさしい声で慰めてくれる。
——わかっていたことでしょう。レオンは、あなたの家柄だけが目当てだった。
「ええ……わかっていたわ」
——あなたにはもっと素敵な人がいるわ。新たな人生の始まりよ。
アリアは頷くと赤薔薇に頬擦りをする。
「ありがとう。私を慰めてくれるのね」
アリアには魔力がない。しかし、幼い頃から不思議な力があった。
薔薇をはじめとした花や草、木々たち......植物と話ができるのだ。この奇妙な力は秘密だった。誰かに話したところで、誰も信じてくれないだろう。変わり者の叔父だけは、どうやら察しているようだけれど………。
それにしても、困った。突然、暇になってしまった。なにしろ、もう花嫁修行をする必要がないのだから。
「アリア、ここにいるんだろう」
「叔父様」
振り返ると、叔父が立っていた。アルヴェール・ヴィオレッタは、アリアの父親の弟だ。ヴィオレッタ家の血を継ぎ、幼い頃から魔術の才能に恵まれ、当然のように国家魔術師になった。しかし本人は学者気質で、王宮の研究室に篭っては、もっぱら薬草学の研究ばかりしている。親族の中では変わり者の叔父だが、面倒見がよく、アリアを気にかけてくれている。
「こちらにいらっしゃるなんて、珍しいですね」
「アリア、聞いたよ。婚約破棄されたそうだね」
アルヴェールはアリアの肩を掴むとかわいそうに!と叫んだ。アリアは溜息をつく。街の中だけでなく、王宮にまで噂は広まっているようだ。
「叔父様、心配しなくても大丈夫よ。今もね、薔薇に慰めてもらったところなの」
「アリア……」
「ただ、とても暇になってしまったわ。何をしたらよいのやら……」
アルヴェールは少し考えて、手を叩いた。
「ちょうどいい。結婚の予定がなくなったのなら、お前に頼みがある」
「私に?」
アルヴェールの頼みといえば、研究に関することに違いない。アリアは首を横に振る。
「だめよ、叔父様。叔父様のお手伝いといえば、魔力を必要とするでしょう。私には魔力がないのよ」
「魔力はいらないさ。むしろ、お前が適任なんだ」
アルヴェールは中庭を見渡した。アリアがせっせと手入れをしているおかげで、なかなか見事なものだ。季節の花々が美しく咲き誇っている。
「アリアには、温室の世話を頼みたい」
「叔父様の……温室?研究室じゃなくて?」
「研究室のそばに、研究で使うための植物を育てている小さな温室があるんだよ。お前は昔から、庭いじりが好きだろう」
アリアは、庭いじりという言葉に目を輝かせた。
名家の令嬢であるにも関わらず、アリアは麦わら帽子を被り作業着になって、手が土で汚れることも構わずに庭の手入れをしてきた。その姿を両親は随分嘆いたものだが、アリアにとって植物に触れる時間は癒しなのだ。
「庭いじりをしていれば、気分も晴れるさ」
「叔父様」
……やってみたい。
このまま卑屈を貫き、お屋敷に引き篭もり、庭の植物を愛でる暮らしも選ぼうと思えば選べる。でも、それは何か違う気がする。傷ついている時こそ、一歩踏み出す勇気が必要なのだ。
アリアはおずおずと赤薔薇に目配せした。
ーー素敵ね。あなたに向いているわ。
やさしい声がアリアの背中を押してくれる。
アリアは立ち上がると、アルヴェールに向かって深々とお辞儀した。
「叔父様、よろしくお願いします」




