第六話 最低限度の生活
シノブがこの世界に赤子で転生してきて最初に驚いたことは
家屋が存在しないことだった。
頭がどうにかなりそうだった。
泣きわめくことしか出来なかった。
泣きわめくことすら止められた。
未知にも程があるゲーム世界だった。
忍は神に「まかせる」と言った。
神は忍に「まかせな」と応えた。
流石に概要くらいは聞いておけば良かった......
シノブは35歳と0歳にして完全委任の真の恐ろしさを知った。
この世界、とにかくまず生き抜くためのハードルが高すぎるのだ。
そもそも脳の発達が未成熟な新生児に35年分の記憶と精神を使いこなせるものでもなく、
転生直後こそハッキリしていた意識も、すぐにぼんやりとした。
4歳ころには前世の事もある程度は思い出せるようになったが
前世の知識を役立てる以前に、前世の常識が足を引っ張る事態に陥った。
生まれた環境に順応するという点では、前世の赤ん坊も大差ないのだなと
生命の神秘を改めて体感し、今を生きる事を優先して生きている。
【赤ん坊は泣くのが仕事】
それが前世での常識であったが、
今世の赤ん坊は泣く必要が特になかった。
常に肌身離さず抱き続けている母親は、
肌感覚で授乳も排泄も適切な頃合いを把握する。
前世で昔の同級生がSNSにて
『おむつなし育児に挑戦中!おススメ!』
という内容を投稿していたのと似たようなものだ。
生後12か月頃から、歩くことと離乳食を教え込まれ
生後18か月には育ての親であるイツキに完全に預けられている。
正確にはイツキが保護・教導している集団へ、
新生児の母親が混じっている状況であり、
産みの母の次によく見る顔がイツキであった。
【郷に入っては郷に従え】を大前提にすれば、
この世界で育児されることは前世とは違った楽しさがあった。
新たな事が出来るようになることへの本能的な喜びである。
学年で標準化された教育カリキュラムなど存在せず
最大限の成長可能性を常に引き出され続ける環境は
存外に面白いものであった。
まずは己の存在を隠すこと。
次に隠された存在を探ること。
そして危険と恐怖を感じて避けること。
さらに危険と恐怖に直面して、その程度を見極めること。
死なない程度に危険な遊びほど楽しい。
骨が折れる程度の怪我では泣くなと教わる。
「その痛みは中程度の危険信号だが、直ちに死ぬほどではない」
「周囲に、より大きな危険が隠れていないかが先だ」
「この程度の痛みで視野狭窄に陥る者は死ぬ」
泣いて解決する問題は何もない。
この世界における『最低限度の生活』は
まず優秀な野生動物にならないと獲得できないものである。




