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あの日、雨が降っていなければ  作者: 貴堂水樹
第二章 その赤は芽吹き、やがて

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2-1.セーラー服、携帯電話

 みるみるうちに体調が悪化し、一時間目を終える頃には早退しようかという気になるほどの倦怠感に襲われていた。

 そんな賢志郎の思いを蹴散らす一通のメールが届いたのは、二時間目が始まる直前だった。


 スマホを握ったまま机の上に突っ伏していた賢志郎は、震えたそれに反応して重い頭を無理やりもたげた。振動の原因はメッセージアプリではなく、電話番号でやりとりするショートメールだった。


瀧沢たきざわさんのお母様と連絡が取れました。今日の午後四時で約束していただけましたので、学校まで迎えに行きますね! 野々崎(ののさき)


 送り主は、杏由美の事件が起きた時に知り合った野々崎という地方紙を発行する新聞社の記者だった。昨夜、賢志郎は彼女にひとつ頼みごとをしていたのだ。


【ありがとうございます。学校は三時二十分頃に終わるので、よろしくお願いします】


 短く返信し終えると、ちょうど二時間目の授業開始を告げるチャイムが鳴った。世界史の教科書を準備しながら、賢志郎は心の中で「よし」とつぶやく。


 瀧沢というのは、五年前に瀬鞠川で起きた殺人事件の被害者の名だ。

 瀧沢ゆかり。殺害された当時、高校に入学してまだ二ヶ月しか経っていない、十五歳という若さだった。


 事件が発覚したのは深夜だった。中学の頃からかよっている塾へ出かけたきり、いつまで経っても帰宅しない娘を、両親が警察の協力を得ながら捜索したところ、自宅から三〇〇メートルほど離れたところにある茂みの中で、腹部を刺された状態で倒れているところを発見したのだという。遺体が見つかったのは、いつも塾の行き来で通る道沿いだった。


 ここまでは昨夜、賢志郎が自力で調べた情報だ。以下はその後、野々崎との電話で教えてもらった内容である。


 部活を終えて一旦帰宅し、軽く食事を取ってから制服のまま出かけたという瀧沢ゆかりは、硲咲良・三船杏由美同様、所持品の中で唯一、身につけていたセーラー服のリボンだけが現場から消えて無くなっていた。


 いつもどおり授業に出席し、きちんとリボンを結んだ状態で帰宅したという塾関係者の証言から、捜査本部は犯人がリボンを持ち去ったものとみてまず間違いないと結論づけた。当時の捜査員の中に過去に起きた類似事件について進言した者がおり――桜介のことだ――、ふたつの事件が同一犯によるものとして捜査を進めたものの、有力な目撃証言などが挙がらず、捜査は瞬く間に暗礁に乗り上げてしまったとのことだった。なお、警察の捜査情報に関しては捜査の妨げになるとして広く報道規制が敷かれ、マスコミ各社はリボンの件についての情報を握ってはいたものの、記事にすることを許されない状態だったそうだ。


 ひととおり情報を訊き出すと、賢志郎はダメもとで『瀧沢ゆかりの家族と連絡を取りたい』と野々崎に頼んでみた。すると野々崎はあっさり承諾し、今日の午後、本当に訪問の約束を取りつけてくれたのだった。『少しでも進展するといいわね』と、どこまでも優しく賢志郎を気遣う姿勢を崩さなかった野々崎に、賢志郎は感謝の意を示すとともに、フットワークの軽い記者と知り合えた天恵にも感謝した。


 その他にも賢志郎は、夜遅くまでネット上で瀧沢ゆかり殺害事件についてできる限りの情報をかき集めた。杏由美の事件についての書き込みがされていた匿名掲示板に瀧沢ゆかりの事件についてのスレッドが立てられているのを見つけ、読みふけっていたらいつの間にか日付が変わっていた。


 杏由美の事件同様、瀧沢ゆかりの事件についても特段有力視すべき情報は書き込まれていなかった。

 ひとつ気になったことと言えば、瀧沢ゆかりは当時付き合っていた彼氏との関係に悩んでおり、事件当日も塾帰りに彼氏と電話で喧嘩しながら夜道を歩いていたらしいということだ。襲われた瞬間にはすでに電話は切れていて、事件のことを知った彼氏は『ゆかりが家につくまで電話し続けていれば』とたいそうな落ち込みようだったという。おそらくは些細なすれ違いが原因の痴話喧嘩だったのだろうが、和解しないまま永遠の別れとなってしまったのだ、彼氏の心情は察して余りある。賢志郎は書き込みの内容に自分のことを重ね、いたたまれない気持ちになった。


 それはさておき、気になったのはふたりの喧嘩についてではない。『歩きながら電話をしていた』という点だ。


 杏由美の事件の時も、杏由美は襲われる直前まで夕梨とメッセージのやりとりをしていた。言い換えれば、スマホを片手に歩いていたということだ。これは瀧沢ゆかりが襲われた時の状況と酷似している。彼女もまた、スマホを操作しながら夜道を歩いていた。


 偶然の一致なのだろうか。犯人は故意に、スマホを使いながら歩いている女子高生を狙って事件を起こしている?


 だとしても、犯人の意図がまるでわからない。一度情報を整理してみようと、賢志郎はシャーペンを握り、世界史のノートの片隅にメモ書きをはじめた。


 十年前の硲咲良殺害事件では、咲良は夕方――具体的な時刻を聞きそびれてしまったことを今になって後悔した――、父を見舞うために病院を訪れようとしたところを襲われている。この点は杏由美の事件も同様で、杏由美も夕刻、午後六時四十分頃、学校帰りであったところを襲われた。


 一方、瀧沢ゆかりは夜遅く、塾帰りに被害に遭っている。おそらくは午後九時から十時前後だろう。


 三つの事件のうち、瀧沢ゆかり殺しだけが時間帯を異にしている。犯行現場も、二件目だけが瀬鞠川市内であることも含め、場所と時間に関しては犯人の行動に一貫性を感じない。


 ただし、事件が発生した時の状況にはいくつか共通する項目がある。


 杏由美と瀧沢ゆかりは、襲われる直前にスマホを操作していた。咲良については桜介に確認を取ってみる必要があるだろう。咲良も杏由美たちと同様スマホを操作していたことがわかれば、犯人の狙いは『スマホを操作しながら歩いている、セーラー服姿の女子高生』というところまで絞り込んでよさそうだ。なぜそのような人物をターゲットにするのかについては理解不能であるのだが。


 ことん、とノートの上にシャーペンを置き、ブレザーの右ポケットに手を突っ込む。そこにはまだ、桜介からもらった名刺が入れっぱなしになっていた。


 昨晩、瀧沢ゆかり殺害事件について調べるにあたり、賢志郎は一度、桜介に電話をかけようとした。わざわざ自分で調べずとも、当時捜査に当たっていたという桜介から訊き出せば話は早い。

 しかし昨日の夜は、どうしてもこの名刺に手が伸びなかった。無意識のうちに桜介のことを避けていた。


 あの人と一緒にいると、決して外に出してはならない負の感情が芽吹いてしまうと思ったから。

 心に落とされた黒い染みが、赤く燃え上がる復讐の炎へと変わってしまいそうだったから。


 あの冷たい目に射貫かれて、彼と同じ道に引きずり込まれてしまうことが怖かった。捜査が進み、刻々と状況が変化していく中で、少しずつ、少しずつ、賢志郎は彼の復讐に燃える心を理解し始めている。その事実からも、目を逸らしていたかった。


 だから賢志郎は野々崎を頼った。彼女は桜介のような黒いオーラをまとっていないし、事件発生当時から、純粋に事件の真相に興味があるような雰囲気だった。彼女の前でならきっと、冷静に事件を追うことができる。そう信じて、賢志郎は昨夜、野々崎に電話をかけたのだった。


 しかし、そうやって逃げてばかりもいられない。事件解決のためには桜介の優れた頭脳が必要不可欠だと、賢志郎はわかっていた。


 会いたくなかった。声だって聞きたくなかったけれど、確かめないわけにはいかない。十年前の事件当時、咲良がスマホ――あるいは折りたたみ式の携帯電話だったかもしれない――を片手に、父親の入院していた左座名市民病院に向かっていたかどうか。

 もしそうであったとするなら、またひとつ、犯人の狙いを明らかにする手がかりが増えることになる。そして桜介なら、あるいはその狙いに気づくことができるかもしれない。


 授業が終わり、休み時間になると、賢志郎は教室を出て人の少ない渡り廊下へと移動した。壁にもたれかかり、ポケットから名刺とスマホを取り出すと、ためらいながら裏面に書かれた番号をタップし、桜介の個人用携帯宛てに電話をかけた。

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