第8話 魔族
ユージンの悲痛な声が夜の森に響く。
深紅の髪の青年はがくりと膝を突き、それでも友を守ろうと両腕を広げた。
(まずい!)
飛び出したい気持ちを堪え、アレクは唱え始めていた呪文の完成を急ぐ。
対人の専門家である騎士、しかも複数を相手に、後衛職のアレク一人では旗色が悪い。勝機を得るには奇襲しかなかった。
(倒しきれなくていい、動きを封じる。その間に王子と令息を引き剥がす!)
祈りに呼応するかのように、体を包んでいた銀色の光が輝きを増す。最後の一節を紡ぎ終え、アレクは発動の鍵となる言葉を放った。
「……――裁きの光を!!」
腕を振り下ろすと同時に、晴れていたはずの空から幾筋もの稲妻が降り注ぐ。雷光はユージンとコンラッドを避け、裏切り者達だけを的確に貫いた。
男達の絶叫が聞こえたけれど、手加減できるほどの余裕はない。やらなければやられる。
やがて光が止むと、地面には黒焦げになった騎士が転がっていた。辺りに漂う髪と皮膚が焼けた臭いに、アレクは思わず口元を袖で覆う。
後ろで聞こえた吐瀉音は、どちらの少女か。戦いとは無縁であろう彼女達に見せるには、あまりに凄惨な光景だ。
(殺したくは、なかったんだけどな……)
人を殺めた罪悪感が、アレクの肩に圧し掛かる。
だが、今の自分は王子達の引率だ。彼らを守るためには、時に非道にならざるを得ない。アレクは意識を切り替え、呆然としているユージン達に駆け寄った。
「ユージン殿下、グレンウィル伯爵令息!」
「! リード司祭、コンラッドを!」
ユージンは槍を手放し、今にも倒れそうな友の体を支えている。アレクは頷き、ばっさりと切られている肩口に掌を翳して聖句を唱えた。
傷は深いが欠けてはおらず、毒もない。みるみるうち塞がる傷口に、いつの間にか背後で見守っていたティナ達が驚嘆の声を上げた。
「うそ……! 王都の主神の司祭様でも、あんなに早く治癒できないのに」
「……すごい……」
「流石アレク様。相変わらずお見事ですね」
手放しの賞賛に慣れていないアレクは、こそばゆい気持ちになりながら体を離す。
痕すら残らず癒えた肌を見て、コンラッドは小さく「感謝する」と呟いた。嫌っている相手、ましてや平民に礼を言える貴族は少ない。アレクは彼に好感を持った。
「リード司祭、ありがとうございます……!!」
ユージンに強く手を握られ、アレクは驚愕のあまり目を見開く。
王子に直に触れるなど、平民の田舎司祭には恐れ多すぎた。力強い若者の指をそっと解き、アレクはひとつ咳ばらいをしてから言う。
「とにかく、全員が無事で何よりです。殿下、グレンウィル伯爵令息、お話は道すがら伺いますが、まずは安全な場所に移動を。魔物だけでなく、おそらく魔族もいます。それに」
ちらり、と襲撃者だったものに視線をやれば、ユージンは沈痛な面持ちで首を縦に振った。
「ああ。信じがたいが、王国騎士団の中に、私の命を狙うものがいる。私というよりも、父上を排したいのだと思うが……」
王子はどうやら、王弟の企みを察しているらしい。アレクは驚くと同時に無性に腹が立った。
(気付いているなら手を打ってくれよ! 王家のお家騒動に、エンスを巻き込まないでくれ!)
経緯はどうであれ、王子がエンス領で害されたら、領主のクラウスが責任を追及されるのだ。
諸悪の根源はレイモンドだが、彼を制御しきれない王と王家に対しても、憤りと不信感を覚えずにはいられなかった。
とはいえ、ユージンはまだ学生、扱いとしては子供である。怒りをぶつけるのは大人げない。
アレクは大きく深呼吸をし、心を落ち着けてから提案する。
「誰が内通者か分からない以上、国軍と合流するのは危険です。エンスの領軍がすぐ近くに展開しているので、そちらを頼りましょう」
「司祭殿。何故、領軍がいると?」
まだ顔色の悪いコンラッドが、鋭い目つきで指摘してきた。
既に事が起きた今、神託について告げても影響はないと思われるが、今は時間が惜しい。アレクは当たり障りのない説明でやり過ごそうと試みる。
「サウラはダンジョン都市です。万が一、ダンジョンから魔物が溢れた場合に備え、広場の市街地寄りにある程度の戦力が常駐しています。それに、これだけはっきりと魔物の姿が見えていれば、すぐに本隊も出てくるはずです」
「成程。しかし、エンス伯があれと共謀している可能性もある」
「コン。そこまでは」
慎重を通り越して疑り深い従者を主が窘めた。アレクは思わず笑ってしまう。
「まさか! 領主閣下は権力争いに興味がなく、エンス領の経営だけで手一杯です。神に誓って叛意などありません」
クラウスが王弟と手を組むなどありえない。従兄に野心がないのは事実だし、彼は心底、あの迷惑な男に辟易していた。
断言すると、コンラッドが訝しむように言う。
「随分と知ったような口ぶりだが、貴方と領主殿にどんな関係が?」
アレクはきっぱりと答えた。
「従弟ですよ。私は先代エンス伯の養子なので、血の繋がりはありませんが、六歳から一緒に育ちました。それに、現エンス伯は国王陛下と志を共にする、筆頭公爵家の傘下におります。陛下の御子であられるユージン殿下を誣いる動機がございません」
「コンラッド、リード司祭の言うとおりだ。どうにせよ、私達だけでは切り抜けられない。ならば助けてくれた彼を信じよう」
ユージンに窘められ、コンラッドは渋々頷いた。アレクは溜め息を堪えて告げる。随分と時間を無駄にしてしまった。
「では、領軍の元へ。私が先導します」
アレクの後ろにユージンとコンラッド、ティナ、ローゼマリー、最後にバージルの順で隊列を組む。
改めて注意事項を伝え、一同は女性陣の歩調に合わせて移動を開始した。だが、数十歩も進まないうちに、足を止めることになる。
「……?」
前方、明らかに進路を塞ぐ位置に誰か、否、何かがいる。
黒い長衣を纏ったそれは人間と同じような形をしているが、明らかに人ではなかった。
服から僅かに露出した肌は青く、のっぺりとした顔にはめ込まれた真っ赤な瞳には白目がない。何より、そこにいるだけで得も言われぬ恐ろしさを感じさせる。
(魔族――!!)
黒衣の化け物は、アレク達を視界に納め、にぃ、と笑った。
途端、空気が、ずん、と沈む。
まるで見えない重石を載せられたかのように体が重く、息が上手くできない。肌が泡立ち、冷や汗が滲み、心臓が激しく脈打ち出した。
(まずい。勝てないどころじゃない、勝負にもならない)
四肢の震えを抑えながら、アレクは必死に活路を見出そうと頭を動かす。
けれども、どうやっても逃げ道が見つからない。あまりに敵が強すぎる。今この瞬間、アレクの首が繋がっているのが不思議なほどに。
(……でも、立ち向かわないって選択肢は、ないんだよなぁ)
打算などなく子供達のために自らを投げ出す、それが正しい聖職者の在り方なのだろう。
ロドリグならできるだろうが、未熟なアレクは面識を得たばかりの相手のために、無私で自身を捧げられない。どうしたって理由と報酬が要る。
だからこの献身は、エンスのためだ。けれどもほんの少しだけ、アレク自身の矜持も入っている。
彼らを見捨てたくない。子供の屍の上に立つ自分を許せない。ならば選ぶ道は一つしかなかった。
(『旅』よ、どうか力を)
「リ、リード司祭」
後ろから震えたユージンの声が聞こえたが、振り返る余裕はない。アレクは魔族から視線を外さずに吠えた。
「――全員、死ぬ気で町へ向かって走りなさい!!」
言い終わらないうちに地面を蹴り、裂帛の気合を込めて杖で魔族に殴りかかる。
案の定躱されてしまったが、それでもひたすらに打ち込みながら、アレクは必死に聖句を繋げた。
魔族は最初こそ面白そうに付き合っていたものの、すぐに面倒になったようで、指先に魔力を集め始める。
圧縮された炎が打ち出されようとした瞬間、アレクは二度目の『聖域』を発動した。ただし、包むのはアレクではなく魔族だ。
(俺にはこいつに傷を負わせるほどの火力は出せない。でも、自分の魔法ならどうだ?!)
どん! と轟音がし、円蓋の中で魔弾が炸裂した。
全てを防ぐ壁に跳ね返され、業火が黒衣の異形を焼く。一秒でも長く足止めをするため、干乾びるまで術を維持する覚悟でいたのに、しかし数秒も経たず結界内から火と魔族が消えてしまった。
(! しまった、転移!! こいつが!?)
「――いいでスねぇ。なかなかにツよい加護をお持ちのあなた」
湿った吐息と共に、ねっとりとした低い声音が右の耳に吹き込まれた。
「っ……!」
頭の天辺から爪先まで怖気が走る。振り向かずとも分かる、すぐ右横に魔族がいるのだ。
抗えない恐怖に飲み込まれ、自失しそうになったが、アレクは根性で正気を保つ。集中が乱れ、『聖域』が消えた。
魔族はわざわざ正面に移動し、しげしげと顔を覗き込んでくる。悲しいかな、その体には着衣が多少焦げた程度の損傷しかない。
不躾な視線に耐えながら、アレクはなんとか立位を維持し、武器を取り落とさないよう指に力を込めた。
(まだだ。自棄になるな。俺がここで気を惹いているうちは、子供達の方へは行かない。少しでも時間を稼ぐんだ)
動きを止めたアレクを眺め、魔族はさもおかしそうに笑う。
「まだ諦めていない目! そウでなクては! あなた、さっきも私の術を防ぎましたね? 気に入りました。それに、自らを犠牲にして子供を逃がス献身! 大好きなんです、そウいウ――無駄な足掻き!」
「……」
挑発されているのか、単に歯に衣を着せぬ物言いなのか。いずれにせよ、相手をしてやる義理はない。
沈黙を選んだアレクの前で、魔族はぺらぺらと語った。
「私、人間が好きなんでスよ。だって弱っちクて、無様で、だからこそ可愛いんでスもの。皆はすぐに殺しちゃいますけど、捕まえてじっクりいたブルもよし、親の前で子を殺スもよし、何をしてもいい反応をスル、最高のおもちゃじゃないでスか」
悪しき種族の倫理観は、人間とは乖離しているらしい。おぞましくて吐き気がする。
顔を歪めるアレクを気にも留めず、魔族は喋り続けた。
「せっかク魔王様が復活されて、私達も領土から出られるよウになったのに、転移を使えるのが今は私だけだからって、つまらないお使いばっかりさせられて」
(………魔王、復活……?)
聞き捨てならない単語が登場し、頭から血の気が退いてゆく。これはまさしく大いなる災厄だ。個人がどうこうできる問題ではない。
顔色を読んだ魔族が、頼んでもいないのに補足をする。
「ああ、こっちまで聞こえなかったですかね? いま、宣戦布告をしてきたんでスよ。正直、面倒臭クて嫌だったんでスけど、来てよかった! 久々に楽しい見世物が見られました!」
(宣戦布告?! 魔と人の全面戦争が始まるっていうのか?! 王国だけじゃなくて、全世界に影響する話だぞ?!)
こちらの動揺など気にも留めず、ひとしきり吐き出して満足した魔族は、すい、と腕を上から下に泳がせた。
すると人ひとり分くらいの大きさに空間が裂かれ、そこから数名の人間が押されるようにして出てくる。ユージン、コンラッド、ローゼマリー、ティナ、バージル――逃がしたはずの子供達だった。
「!? どうして」
「嘘だろ……?!」
「えっ……?」
「やだ、何で!?」
「何でだよ……!!」
アレクは絶望した。魔族の意図が分かってしまったからだ。
せめて肉壁になろうとしたが、視認できないほどの速さで喉に手を当てられ、動きを封じられてしまう。触れた個所から伝わる熱も肌質も人間そのもので、だからこそ余計に気味が悪い。
徐々に顔色を失っていく子供達と、打ちのめされているアレクを満足そうに見やり、彼はうんうんと頷いた。
「そウそウ、いい反応です。あなた、慈悲深ぁい神のしもべでしょウ? 決死の覚悟で逃がした子供を目の前で殺されたら、どんな顔を見せてくれまスかね。ちょうど魔王様からも、若い芽を間引いてこいと言――……」
魔族は死の宣告の途中で急に押し黙ったかと思うと、憮然とした表情になる。
「折角いいところだったのに、戻ってこいなんて! ああ無念! 興覚めです! もウいいや、まとめて捨ててしまいましょウ」
身じろぎ一つできずにいるアレク達の目の前で、青い指先が宙を掻く。再度開いた割れ目に五人の学生と共に吸い込まれ、アレクは意識を失った。
**********
――りぃん、りぃん。
鈴とは違う、けれども硬質で軽い何かがぶつかり合う、軽やかで涼やかな音がする。
ひとつではない、ふたつ、みっつ――数え切れないくらい沢山の音色が重なり、まるで演奏会が行われているかのようだ。
耳元で奏でられる極上の合奏に覚醒を促され、ゆっくりと瞼を開ける。視界に飛び込んできたのは、咲き乱れる虹色の花々だった。
「………………ここは…………?」




