第7話 襲来
(これは……現実なのか……?)
アレクは自らの目を疑わずにはいられなかった。
空が裂けるなど聞いたこともない。そこから魔物が現れるなんて、もっと信じられない。
転移魔法は存在するが、遠く離れた魔の支配地域から、このエンスまでは来られないはずだ。
けれども実際に、転移してきたとしか考えられない唐突さで、大量の魔物が出現している。
アレクの認識から遅れること数秒、激しく警鐘が打ち鳴らされ、野営地は怒号と悲鳴に包まれた。
異形達が次々と降下を始める中、一体の魔物が高度を上げる。漆黒の長衣を纏ったその姿は、まるで人間のようだった。
(人型の魔物……――まさか、魔族!? 嘘だろ、絶滅したんじゃなかったのか?!)
魔族は人に近い姿を持ち、高い知性と強大な力を有すると伝えられている。
百年ほど前から目撃情報がないため、既に滅んだとされているのだが、あの魔物はどう見ても魔族の特徴を揃えていた。
アレクはバージルを背に庇い、早口で守りの聖句を唱える。理由は分からないけれど、とにかくそうしなければならないと思った。
魔族は逃げ惑う人間を眺めると、ゆっくりと片方の腕を伸ばし、悪しき力を集約し始める。
途端、全身の毛穴が総毛立った。あれを食らえば死ぬ。確実に消し炭になる。
(間に合うか?! いや、間に合わせる!!)
巨大な球状に固められた魔力が、こちらへ向かって無造作に放たれた。
一拍遅れてアレクの術が完成し、銀色に光る壁が頭上に出現する。
「ぐっ……!!」
どぉん! という音と共に、凄まじい衝撃がきた。攻撃魔法が壁に衝突したのだ。
アレクが発動した『聖域』は、あらゆる攻撃を遮断する。しかし魔力の消費が激しく、長時間や広範囲の展開は難しい。
だが、やらなければ皆が死ぬ。アレクは最後の一滴まで絞り尽くす覚悟で、広場全体を光で覆った。
敵の魔弾が四散するのが先か、アレクが力尽きるのが先か――分の悪い勝負だったが、天はアレクに味方した。
ふっ、と負荷が消え、破壊的な魔力の波動が霧散する。耐え切ったと理解すると同時に、維持できなくなった聖域が消えた。
(やった……んだよな……?)
足から力が抜けてしまい、アレクは無様にもその場に膝を突く。バージルが泣きそうな声で名を呼ぶのが聞こえた。
「アレク様!! 大丈夫ですか?!」
「だい、じょう、ぶ」
口にした虚勢は情けないほど弱々しい。全身が恐ろしく重く、今にも意識を失ってしまいそうだ。
けれども、気絶する訳にはいかない。アレクは霞む目で空を睨み、黒衣の魔族を探す。
二撃目があれば死を受け入れる他なかったのだが、またも神はアレクに微笑んだらしい。どこかに移動したようで、影も形も見当たらなかった。
(どうにか凌げた……けど、次に遭遇したら終わりだ。他の魔物もいるし、俺一人では子供達を守り切れない。一刻も早く国軍か、領軍に合流しないと)
アレクは震える手で魔法鞄をかき回し、なんとか回復薬を取り出す。しかし全くと言っていいほど指に力が入らず、瓶の蓋を開けられない。
すぐさまバージルが気付き、封を切って口元に当ててくれたので、支えられながら必死に中身を呷る。続けて体力回復薬も喉に流し込んだ。どちらも司祭の年収が吹き飛ぶ代物だが、背に腹は代えられない。
数秒後、視界が急速に戻り、体も自由に動くようになった。
バージルの手を借りて立ち上がったアレクの元へ、ティナとローゼマリーが駆け寄ってくる。
「司祭様、一体何が?!」
「し、司祭さま……!」
二人に怪我はなさそうだ。しかし目を凝らして見ても、ユージンとコンラッドの姿がない。嫌な予感がした。
「殿下とグレンウィル伯爵令息は?」
尋ねると、上手く話せないローゼマリーに代わり、ティナが答えてくれる。
「ついさっき、何人もの騎士様が来て、連れて行きました。安全な所へ移動すると」
「あなた方を置いて?」
「はい。殿下は私達も一緒にと言ってくださいましたが、騎士様が駄目だと言って、半ば無理矢理に。グレンウィル伯爵令息だけは、強引に付いていきましたけど……」
(話が違う。王子が難色を示すだろうから、乱戦にでもならない限り、班の全員を連れて退避すると言っていたのに)
周囲ではまだ戦闘は起きていない。近衛達とは実習前に挨拶をしたけれど、いかにも真面目そうな面々で、約束を違えるとは思えなかった。
アレクはひとつの可能性に思い至る。
(王子を連れて行ったのは――王弟の手の者か!!)
全身から血の気が引く。出し抜かれてしまった。
しかし動揺している暇も、嘆いている時間もない。アレクは素早く思考を切り替え、残された三人の子供に指示を飛ばす。
「詳細は後で説明しますが、殿下が危険です。追いかけます。ここに留まるのは危ないので、皆さんも付いてきてください。武器だけ持って、他の荷物は諦めて!」
彼らは慌てて火の傍に戻り、まとめて置いてあった武器を手にした。訓練用の、冒険者にとっては玩具のようなものだが、ないよりはましだろう。
アレクも使い慣れた長杖を魔法鞄から取り出した。火に砂をかけて消すのも忘れない。火事になったら困る。
「先頭は私、次がマレイさんとノルバート侯爵令嬢、殿がバージル。戦闘は私一人で行います。皆さんは、自分からは攻撃をしかけないこと。相手が襲ってきた場合のみ応戦を許可します。できるだけ音を立てない、大声は敵を集めるので厳禁。いいですね?」
「は、はい」
「分かり、ました」
「了解です」
バージルは落ち着いたものだが、杖を握りしめるティナとローゼマリーの手は震えていた。実習のはずが突然の実戦だ、無理もない。
少しでも安心させようと、アレクは「大丈夫です、私が守ります」と笑って見せる。多少は効いたと信じ、アレクは先陣を切って走り出した。
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ユージン達の痕跡を辿りながら、木々の間を縫うようにして進む。
明け方の雨のおかげで、地面には足跡がはっきりと残っていた。騎士のものと思わしき大きな足形が複数、広場の奥、ダンジョンの入口へと続いている。ユージンを連れ去った連中に違いない。
速度を上げようとしたアレクだったが、背後から聞こえた苦しそうな呼吸音に思い止まり、逆に少し緩める。
ちらりと振り返って見れば、ローゼマリーは既に肩が激しく上下しており、ティナも息が弾んでいた。
(あの場に残す訳にはいかないから連れてきたけど、できれば女子だけでも先に逃がしたいな……。他の引率がいれば託せるんだけど、そう都合よく会えはしないか。頑張ってもらうしかない)
逸る気持ちを抑えながら、思いつく限りの加護の魔法を全員にかける。
バージルはある程度身を守れるけれど、少女達は魔物の爪先が掠っただけで死にかねない。未曽有の災厄の前には気休め程度だろうが、少しでも生き残る確率を上げておきたかった。
闊歩する魔物を躱し、時に倒しながら進む。ユージン達にはまだ追い付けない。
一際大きな木の横を抜けた所で、アレク達は見たくはなかったものと遭遇した。
「ひっ……!」
「……!!」
地面に転がっていたのは、事切れた近衛騎士だった。
ローゼマリーが引き攣った声を上げ、ティナは口を押えて悲鳴を堪える。アレクも一瞬だけ足を止めたが、すぐに前を向いた。
近衛は騎士団の中でも精鋭中の精鋭だ。その近衛がやられるような状況ということは、ユージンの身は相当な危機に瀕している。ここで時間を消費するべきではない。
「……弔いは後で。今は先を急ぎましょう」
動揺する子供達に声をかけ、足を進める。やがて一同は広場の端、ダンジョンの入口にまで来てしまった。
辺りは既に真っ暗だが、かけた加護のおかげで視界は明瞭である。アレクの目は前方に複数の人影を捉え、耳は確かに剣戟の音を拾った。
(いた!)
闇夜でも目を惹く淡い金の髪――ユージンだ。隣にコンラッドもいる。
生きてはいるが、彼らは殺気を剥き出しにした三人の騎士に迫られ、絶体絶命の状態だった。
「やめろ! どうして王国の騎士が、私に剣を向ける?!」
「ジーン、無駄だ!! いいから逃げろ!!」
この期に及んで説得を試みようとする王子を、伯爵令息が怒鳴りつける。
騎士達は何も答えない。国に仕えるはずの彼らは、主筋である青年に容赦なく剣を振り下ろした。
避けきれなかった剣先が、ユージンの喉元に迫る。コンラッドは躊躇うことなく持っていた剣を手放し、ユージンに体当たりした。
槍を構えたままユージンがよろめく。彼の首筋を薙ぐはずだった刃は、コンラッドの肩口を深く切り裂いた。
「コンラッド――!!」




