第6話 割れた空
ぱちぱち、と派手な音を立てて焚き木が燃えている。
乾燥不足の枝を使った証拠だが、初めてにしては及第点だろう。鍋の前で奮闘している学生達を見守りながら、アレクは周囲の様子を探った。
(王子の近衛……いるな。もうちょっと殺気を緩めてほしいけど、子供達は気付いていないみたいだから、まあいいか。これだけ近くにいてくれたら、こちらとしても心強いし)
そろそろ日が暮れてきたが、まだ事は起きていない。いっそ早く起きてくれ、と思っているのはアレクだけではないだろう。
時間の経過と比例して、緊迫感が高まってゆくのを肌で感じる。特にアレクの班の周囲に配備された近衛騎士は顕著で、気を抜くと引きずられそうなほどだった。
手近な木の幹に寄り掛かって監視を続けていると、輪から抜け出したバージルが近付いてくる。
「何かあった?」と尋ねると、彼はその美しい顔をやわらかな笑みで彩った。
「いえ、何も。スープが煮えるまで時間があるから、久しぶりに話でもしてきたらどうかって、殿下が」
「そう。おやさしい方なんだね。仲良くやれているみたいでよかった」
上手く隠してはいるけれど、バージルは貴族を嫌悪している。
数日とはいえ貴族子女と密に接しなければならないので、彼の精神面が心配だったが、どうやら杞憂だったようだ。アレクは安堵の息を吐いた。
バージルは肩を竦めてみせる。
「殿下とグレンウィル伯爵令息はまともな方なんで、なんとか。他は甘ったれのクソばっかですけどね。ノルバート侯爵令嬢は……それ以前の問題というか……」
言葉を濁す美青年の目線の先では、やせ細った少女が所在なさそうに佇んでいた。
ユージン達が幾度も声をかけているが、すぐに会話が途切れてしまう。俯く彼女はひどく哀れで、見ている方が辛かった。
こんな時、ロドリグならどうするだろう。記憶の中の師に問うても、今回は解を得られなかった。
アレクにできるのはせいぜい、実習を無事に終えられるよう気を配るだけ。己の無力さが嫌になる。
「――アレク様。ノルバート侯爵令嬢のこと、考えてるでしょ。何とかできないかなって」
十も年下の弟分に図星を刺され、アレクは穴があったら入りたくなった。
「……そんなに分かりやすかった?」
「ええ、まあ。アレク様、ただ働きは嫌だって言いながら結局、率先して人助けしてますから。今回もそんな感じかなと」
「いや、私、そんなにいい人じゃないし」
きっぱりと否定したのに、バージルはさも可笑しそうに笑う。
「ははっ、そういうことにしておきましょうか。そういえばさっきマレイが、神託がどうのって言ってましたよね。アレク様、神託を受けたんですか?」
アレクは今度は焦ることなく答えられた。
「うん。数日前に。知っての通り、内容は話せないんだけど」
「分かってますよ。でも、教会の引継ぎと、実習の準備もあったのに、聴取とか大変だったでしょう。お疲れ様です」
疲労と不安でささくれ立っていた心に、裏表のない労いが染みる。アレクは少し軽くなった心で返した。
「ありがとう。まあ、王国民の義務だからね。それに神託を受けるのって、悪いことではないんだよ。光栄な役目だし、天からご褒美として祝福を授かれるんだ。何を頂けるかは分からないし、大抵はちょっとしたものだけど」
今回アレクに付与されたものは、精神の守護だった。
精神に作用する魔法や呪詛など、あらゆる異常から心を守ってくれるという。かなり希少なものらしく、鑑定してくれた主神の主任司祭が驚いていた。
「へぇ。アレク様は、どんなのを頂いたんですか? 聞いてもいい?」
「ふふ。内緒。機会があれば教えてあげる」
技能や祝福はひけらかすものではない。やんわりと拒否を示すと、バージルはすぐに退いてくれた。
「はぁい。ところで、今回はやけに警備が厳重じゃないですか? 何かあるんですかね?」
一瞬、息が止まりそうになったが、アレクは平静を装うことに成功する。
「実は今、レイモンド王弟殿下もエンスにいらしてるんだよ。ダンジョンの視察だって。王族が二人もいるんだから、いつもより手厚くなるんじゃないかな」
「ふーん。王弟殿下ねぇ。……ねえ、アレク様。なんで教師じゃなくてアレク様が、おれ達の班の引率になったのか知ってます?」
琥珀の瞳には、好意とは真逆の感情が浮かんでいた。
アレクは素早く防音の魔法を展開する。バージルは「すみません」と口にしてから続けた。
「半年くらい前、急に理事長が変わったんですよね。まともで、実力のある先生は殆ど辞めさせられてしまって、いざという時に殿下を守れる教師が残っていないんです。で、その新しい理事長って、誰だと思います? ――レイモンド殿下ですよ」
(ここでも王弟か……! 厄介すぎる!)
アレクは脳内でレイモンドを罵った。口には出さないが。
口を引き結んでいるアレクに、バージルは気の毒そうに眉を下げる。
「おれはアレク様が担当で嬉しいですけど、アレク様には災難ですよね。王子に高位貴族の令息令嬢なんて、何かあったら間違いなく、引率が責任を取らされるやつじゃないですか」
「……そうなんだよね……はは……」
バージルはよく周囲が見えている。流石は斥候といったところか。
彼の優秀さを再認識すると共に、アレクは容赦ない現実を突き付けられた。
(災禍については免責されているけど、それ以外は俺のせいになる。王弟から殿下を守れなくても、だ。首を切られるのが俺だけで済めばいいけど、俺がリード姓である以上、エンスも連座になるだろう。それだけは避けないと)
大きく息を吸い、吐く。緩んでいた気を引き締めてから、アレクはバージルに言った。
「何事もなく終えられるよう、最善を尽くすよ。……そうだ、預かっていたものがあったんだ。手を出して」
言われるままに差し出された掌に、アレクは魔法鞄から取り出した小さなポーチを載せた。目にした瞬間、バージルが目を見開く。
「これ、師匠の……!?」
「そう。貴族の親が実習に参加する子供に渡す、お守りみたいなものだね。せっかくだから、カイがバージルにも持たせてやりたいって」
カイは約束を守り、魔法道具や装備を届けてくれた。その際、バージルへ渡してほしいと頼まれたのだ。
バージルはカイを大層慕っていて、半ば無理矢理に弟子入りした。カイも満更ではないらしく、随分と熱心に指導していたのを覚えている。
「色々入っているらしいけど、緊急時以外は開けては駄目だよ。最終日に渡してくれれば、私からカイに返しておくから」
「勿論です。ありがとうございます!」
任務をひとつ達成し、気持ちが少しだけ軽くなる。アレクは喜びに震える青年の肩を軽く叩いた。
「実習、お互いがんばって乗り切ろうね。そろそろスープも仕上がったかな、戻ろうか」
焚き火の傍へ寄ろうと足を踏み出したその瞬間、視界が急に暗くなった。
天候の急変かと空を見上げたアレクの目に、信じがたい光景が飛び込んでくる。
夕焼けに染まる空に雲はない。けれどもナイフで切り裂いたような大きな縦の切れ目が出現し――そこから異形の者達がうぞうぞと這い出していた。
「…………魔物……?」
予言された災厄が、現実になった瞬間だった。




