第5話 実習開始
「うん、大丈夫、っと。これで最後だな」
アレクは手元の一覧に目を走らせ、小さく頷いた。
時刻は昼過ぎ、間もなく実習が始まる。アレクを始めとする『引率』の冒険者達は、指定された時間よりも早く現地に入り、手分けして周辺の安全確認を行っていた。
いつ事が起こるか気が気ではないが、事情を知らない者が大半である以上、いつも通りに振舞わなくてはならない。早くも気疲れしてしまい、アレクは深々と溜め息を吐いた。
(それにしても、腰が重いな……)
ベルトに括りつけたポーチの感触を確かめる。私物が一つ、借り受けたものが二つ。ちゃんと三つあった。
物理的な重量は然程でもないけれど、中には凄まじい量の物資が収納されている。盗難や紛失を考えると恐ろしく、精神的な意味で重荷であった。
借りもののうち一つは、サウラの『旅』の教会の所持品だ。災害に備え、下町の皆が一週間は食いつなげる食料と、一般的な薬、様々な日用品が収納してある。
もう一つは神託機構から貸与されたもので、実習参加者全員が数日過ごせるだけの糧食が入っているらしい。使うと報告が面倒そうなので、こちらはできれば使いたくなかった。
集合地点に戻ろうと踵を返したアレクだったが、聞こえてきた剣呑な声に足を止める。
「――あなたみたいな出来損ないが、殿下方と一緒なんて不相応なのよ! 身の程知らず!」
「今からでも辞退したらどう? 存在するだけで迷惑だって、いい加減自覚なさいよ!」
ダンジョンの入口近く、大きな岩の陰になっている場所で、複数の女学生が一人を囲んで怒鳴っていた。
あからさまないじめの構図に、アレクは盛大に眉を顰める。
(まったく、趣味の悪いことで)
手入れの行き届いた身なりから、彼女達が貴族であるのは明白だ。平民の自分が下手に首を突っ込むべきではない。
だが、アレクは聖職者で、今回の引率でもある。脅している側が手を上げたのもあり、アレクは渋々介入を決めた。
「――そこまでです!」
制止をかけながら姿を現す。第三者の闖入に、腕を振り上げていた少女は、びくり、と体を震わせ硬直した。
動揺を露わにする箱入り娘達に、アレクは厳しい顔を作って言う。
「私はサウラの司祭で、今回の引率です。学院出身でもあります。学生同士の私闘は校則で禁止されていたはずですが、いつの間に解禁されたのです?」
「……」
嘘ではない。アレクは養父母の意向により、高等部のみだが王立学院を卒業している。
だんまりを決め込む女学生らに、アレクは口調を和らげて告げた。
「そろそろ戻った方がいいでしょう。今回は未遂のようですので、見なかったことにします」
「っ、田舎司祭風情が!」
見事な捨て台詞を残し、加害者は去ってゆく。師ならもっと上手く収められただろうけれど、若輩者の自分ではこの程度が精々だった。
アレクは一人残された被害者に向き直る。
「大丈夫でしたか?」
「……は、はい……」
そこにいたのは、悲しいくらい痩せぎすの少女だった。
声は消えそうなほど小さく、口元は乾燥してひび割れている。邪魔にならないよう結ってある水色の髪は艶を失い、青い瞳には生気がなかった。
本来はかなりの美人なのだろうけれど、今は痛ましさばかりが目に付いてしまう。
(これは、どう考えても訳ありだな……)
貴族家には多かれ少なかれ『家庭の事情』があり、その皺寄せを食う者がいる。彼女もそうなのだろう。
同情はするが、アレクにはどうしてやることもできない。
(だからって、いま何もしない理由にはならないんだよなぁ)
「失礼」と断ってから距離を詰め、令嬢の前に膝を突く。俯いている彼女に右手を翳し、アレクはごく弱い癒しの魔力を流し込んだ。
「……?」
何が起きているのか分からないらしい少女に、アレクはやさしく説明する。
「勝手に申し訳ありません。少しですが体力を補いました。体調が優れないようですが、保健の先生に相談はされていますか? 行きにくいようなら一緒に……」
「――ノルバート侯爵令嬢!」
張りのある若い男の声が背後から響いた。
振り返ると、恵まれた体躯を持った男子学生が、淡い金髪を揺らして駆け寄ってくる。凛々しくも美しい相貌の彼は、翡翠の瞳に緊張の色を滲ませていた。
「あなたは……?」
尋ねられ、アレクは先程と同じ自己紹介をし、具合の悪そうな令嬢を介抱していたとだけ説明する。
本人が頷いたこともあり、疑いは晴れたようで、彼は律儀に感謝を述べた。
「彼女は私の班員なのです。助けてくださりありがとうございます」
「とんでもございません。それでは、私はこれで」
アレクは会釈をしてその場を辞す。ある程度離れた所で一度だけ振り返ると、青年が令嬢を支えて歩き出したところだった。
彼の挙動からは労りが見て取れる。所作から高位貴族だと分かったが、驕ったところのない好青年であった。
(あんな貴族子弟もいるんだな。それにしてもあの子、侯爵令嬢なのに、あんな酷い状態なのか……。平民の私が受け持つことはないだろうけど、気を付けて見ておこう)
しかし、アレクの予想は見事に外れる。
引率する学生達との顔合わせの場には、三人の男子学生と、二人の女子学生がいた。
その中にはなんと、別れたばかりの令息と令嬢がいるではないか。
再会した美丈夫はアレクを一瞥した後、この国で最も尊い家名をさらりと名乗る。
「ユージン・フィデス・ルウェイン。武器は槍です。特別な配慮は不要なので、他の学生と同様に扱ってください」
(王子じゃないか!! なんで私が担当になるんだ!?)
あまりの衝撃に一瞬、頭の中から神託が吹き飛んだ。意識まで飛びかけたが、アレクはなんとかそつのない挨拶を返すことに成功する。
「お気遣いに感謝いたします。アレク・リードと申します。金級冒険者で、『旅』の司祭の位を賜っております。どうぞよろしくお願いいたします」
金級冒険者は国内に百人もいない。社会的信用が高いので、アレクも肩書が必要な際は活用している。
ユージンが軽く目を見張った。
「金級の方に付いていただけるとは。それに、そのお若さで司祭とは、優秀なのですね。頼りにしています」
「過分なお言葉、恐縮です」
嫌味を感じさせない世辞を、アナベル仕込みの礼儀作法で受け取る。鷹揚に頷くユージンからは、上手く隠してはいるものの壁を感じた。
アレクとて打ち解けられるとは思っていないので、気にせず次の紹介を待つ。
「……グレンウィル伯爵家、コンラッド・カークナイトだ。片手剣と盾を使う」
王子の右に立つ深紅の髪の青年が、憎々しげな声音で言った。
せっかく知的で端正な顔立ちをしているのに、険のある表情のせいで台無しだ。勿体ないな、とアレクは思った。
(身分的に、殿下の側近候補ってところか? しかしあからさまな嫌悪だな。まあ、何もなければ一週間、災厄が起きればもっと短い期間の付き合いだ。それなりに上手くやろう)
学生達にどう思われていようと、やるべき仕事は変わらない。アレクは微笑み、「よろしくお願いいたします」と頭を垂れた。
「ノ、ノルバート侯爵家、ローゼマリー・ベルベネットと、申します。魔法攻撃を行います。……あの、先程は、ありがとうございました」
コンラッドの隣に佇む少女は、俯いたままか細い声で呟く。彼女の全身には強張りが見て取れた。
――怯えている。
ローゼマリーは体だけでなく、心も追い詰められているのだ。周囲の全てを恐れてしまうほどに。
早急に休養が必要な状態である。実習になど参加している場合ではない。
(でもこの場にいるってことは、家が欠席を許さないんだろうな……。本当はダンジョンに入れたくないけど、後方に下げて俺が守るしかないか。というか、学院は何をやってるんだ? こんなあからさまに虐待を受けている子を放置するなんて!)
母校への怒りを募らせるアレクをよそに、次の学生が挨拶をする。
「ティナ・マレイです。主神の回復と補助の魔法が使えます」
ティナは大層可愛らしい少女だった。はちみつ色の柔らかそうな髪が、ふわふわと肩口で揺れている。
だが、柔和な印象を与える外見とは裏腹に、彼女の声は硬質で、目には明らかな警戒を宿していた。
(すごく身構えられている……)
馴れ合いを強要するつもりはないけれど、この調子ではやり辛い。
どうしたものかと考えていると、ティナが躊躇しつつも質問してきた。
「あの。その銀色の光……神託ですか?」
ぎくり、と心臓が嫌な音を立てる。
しかし冷静になれば、神聖魔法の使い手であるティナが、光を目視できるのは当たり前だ。アレクは努めて柔和な笑みを作った。
「ええ。神託機構に報告済みで、然るべき対処もされています。何も心配ありませんよ」
「そうですか」
彼女の相槌は簡潔で、既にアレクに対する興味を失っているのが分かる。取り付く島もない、とはこのことか。
(伯爵令息といい、この子といい、どうしてこんなに刺々しいんだ? 今日が初対面だよな?)
理不尽さに心の中で泣いていると、最後の一人が話しかけてくる。
「大丈夫、アレク様のせいじゃないですよ。皆、いつもこんな感じなんで」
漆黒の髪に琥珀の双眸を持つ美青年は、他の子供とは異なり、やさしい眼差しをしていた。
救われた気持ちになり、アレクは感謝を込めて彼の名前を呼ぶ。
「――バージル。愛しいエンスの子! 元気そうで何よりです」
バージルはエンスの領民で、アレクが弟分として可愛がっていた子だった。
平民だが大変に優秀だったため、クラウスの推薦で王立高等学院に進んでいる。
彼に近付き、軽く肩を抱いて親愛の意を示す。バージルもアレクの背中に腕を回して応えてくれた。
体を離した後、彼は苦笑しながら言う。
「ご存知とは思いますが、バージル・ロウ、斥候担当です。よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いしますね。……皆さん、ご紹介ありがとうございました。早速ですが、野営の準備に入りましょうか」
今日はダンジョン前の広場で夜を明かし、明朝から中に入る予定になっていた。
実習の一環として、学生達が天幕を張り、食事を作るのだが、彼らの大半は高貴な血筋だ。火起こしひとつにも時間がかかる。
(さて、今年は夕食の時間に間に合うかな? そもそも食べられるものができるかな? ……もう少しだけ、この子達に楽しい時間をあげたいなぁ)
何も知らない若者の笑い声を聞きながら、アレクは不調を訴え始めた胃を右手で押さえた。もはやアレクにできるのは、少しでも被害が少ないように祈るだけだ。
前途多難な実習は、こうして胃痛と共に幕開けを迎えたのだった。




