第4話 会議
「――ですから! 神託が下る前に決まっていた予定は、変更してはならないのです!」
「そんなつもりはないと言っている! 実習の中止は、学生達の安全のためだと言っているだろう!」
広々とした会議室で、尊大な態度を隠そうともしない中年男性と、苛立ちを隠せなくなってきた青年が言い争っている。
未だ夜は明けきらず、かといって朝にはまだ早すぎる時刻だというのに、彼らの有り余る精気が羨ましい。
段々と大きくなる声が寝不足の頭に響き、アレクは額を押さえた。
(…………早く帰りたい……)
アレクがリード家の居間で見た白昼夢は、『神託』であった。
神々は気まぐれに、確定した未来を知らせてくれることがある。
天の警告を聞き逃さないよう、国は『神託機構』という組織を作り、解読や対応を行っていた。
啓示を受けた国民は、可及的速やかに最寄りの神託機構へ出頭しなければならない。
アレクは泣く泣くレティシア達との夕食を断り、サウラの事務所へと出向いた。そして現在まで丸一日以上、拘束され続けている。
(一体、何が起こるというのか……)
痛み始めたこめかみを押さえようとしたアレクの視界に、銀色の光が映った。
光はアレクの指、腕、肩と続き、全身を包んでいる。素養のある者にしか目視できないが、これは神の力の残滓で、神託を受けた証明でもあった。
通常ならば、光は徐々に薄くなり、数日で完全に消える。しかしアレクに残された輝きは、一日と少し経った今も力強さを保っていた。
神が多くの力を注いだ証拠であり、すなわち、事態の深刻さを示している。そのせいもあり、この度の神託は『超級』――国家の存亡に関わると指定されてしまった。
神託機構によると、数日のうちにサウラで未曽有の災厄が起こり、国中に広がるのだという。
そして絶望に沈む人々を救うため、ついに勇者が現れる、とも。
救世主の誕生は喜ばしい。だが、どうして発端がサウラでなければならないのか。
愛する故郷と引き換えでなければならないのなら、勇者など要らない。アレクは心底そう思う。
(口に出したら大顰蹙だろうけどな……。しかし神はどうして、こんな田舎司祭をお選びになったのだか)
アレクはもう何度目かも分からない溜め息を吐いた。
なんと自分は渦中において、重要な役目を与えられているらしい。
ただ、何を課せられているのかは分からない。全てが曖昧なのに、嵐の中心に置かれることだけは確定しているという、なんとも不穏な状態だ。
災いの輪郭すら見えないのでは、覚悟の決めようもない。
ひとまず体力を温存しようと、アレクは目を閉じて椅子に凭れた。しかし耳に飛び込んでくる怒鳴り声のせいで、どうにも心が休まらない。
「それが回避だと申し上げているのです! アルドリッジ主任殿、これ以上は妨害行為とみなしますよ?!」
「キーツとやら、平民風情が伯爵家の私を脅迫するとはいい度胸だな! 後ほど神託機構に抗議するから覚悟しておけ!!」
(不毛な時間だな……)
キーツはよく頑張っているが、相手の性質が悪すぎた。話の通じる人間ではない。
うんざりしていると、誰かが右の肩に軽く触れた。
「――アレク、大丈夫か?」
耳によく馴染む低い声は、カイ――元パーティーメンバーだ。アレクより少し年上の彼は、今はサウラの冒険者ギルドで副長を務めている。
仲間の変わらぬ気遣いが嬉しくて、アレクは素直に答えた。
「うん。少し眠いだけ」
「寝ててもいいんじゃないか? この調子じゃ、クラウス様が来るまでどうにもならないだろう。それにしてもあの男、本当に学院の教師なのか? あまりにも品位がないし、神託の回避禁止なんて、うちの町の五歳児だって知ってるぞ」
神託は、逃れようとすればするほど、辻褄を合わせるかのように被害が大きくなる。そのため、回避に当たる言動は禁じられていた。
歯に衣着せぬ物言いに、アレクは思わず笑ってしまう。ギルド長、主神の司祭、町長といった、周囲の参加者も肩を震わせていた。
「カイ。聞こえたらまずいよ」
形だけ窘めるアレクに、カイは肩を竦めてみせる。
「耳に入りもしないさ。しかしお前、とんでもないことに巻き込まれたな」
「そうなんだよね。何もはっきりしないのに、話ばかりが大きくなって、正直、どうしていいか分からない。『旅』が、備えろ、と仰ったから、とにかく持てるだけの物は持つつもりでいるけど」
司祭としては口に出せない弱音だが、一人の人間として、兄貴分に零すくらいは許されるだろう。
カイはアレクの頭をくしゃりとかき混ぜた。
「一人でやろうとするな。会議が終わったらすぐ、クラウス様に相談しろ。アナベル様とロドリグ様にもだぞ」
彼には未だ、アレクがパーティーを組み始めた頃の、幼い子供に見えているらしい。
アレクは苦笑しつつも頷いた。
「うん、そうする」
「後は……パーティーの解散時に分配した道具と、予備の装備も持っていけ。俺からロイド達に声をかけて、領主館に届けさせる」
「そんな、悪いよ。サウラだって危険なんだ、皆が持っていた方がいい」
「必要な分は手元に残す。余剰を貸すだけだ。一番危ないのは、どう考えてもアレクだろう。お前が持っておけ」
斥候のカイは視野が広く、いつだって状況を的確に見抜く。アレクは彼を、そして彼の判断を全面的に信頼していた。
好意に甘えることを決め、アレクは礼を述べる。
「ありがとう。お願い」
「ああ。任せろ」
弛み始めた空気を咎めるように、鋭いノックの音が響いた。
皆が姿勢を正し、アレクも気持ちを切り替えて背筋を伸ばす。開いた扉から現れたのは、どう見ても場違いな男だった。
(? 誰だ? サウラの人間でないのは確かだけど……)
年の頃は四十くらいか。金髪に紫の瞳を持ち、顔立ちは整っているけれど、隠し切れない軽薄さが滲み出ている。
国の未来に関わる重要な会議なのに、彼は観劇にでも行くような洒落た服に、虹色の宝石をふんだんに使った装飾品を身に着けていた。
あまり好きではない類の人間だけれど、金のかかった装いと立ち振る舞いから、かなりの高位貴族だと分かる。
アレクは即座に立ち上がり、礼の姿勢を取った。他の者も同様で、あれほど激高していたアルトリッジさえも、口を噤んで頭を低くしている。
男は迷いのない足取りで奥へ進む。侍従と護衛らしき数名の男性が数歩遅れて付き従い、更にその後ろには疲れ切った様子のクラウスがいた。
従兄の姿に少しだけアレクの緊張が解れる。だが彼が最後尾ということは、先頭の男はやはり、相当に身分が高い。
「――久しいな、アルトリッジ卿。息子が学院を卒業して以来か?」
高貴な男に声を掛けられ、アルトリッジは固い声で返した。
「お久しゅうございます、レイモンド殿下。変わらずご壮健のご様子、嬉しく存じます」
雲上人の登場に、平民勢の体が完全に硬直する。
(レイモンド……って、王弟?! なんでこんなところに?!)
王弟レイモンドは結婚後も王室に残り、名目上は王の補佐役を務めている人物だ。権力はあるが、能力はない――貴族の知り合いからはそう聞いていた。
警戒するアレク達に、レイモンドは初めて存在に気付いたかのように言う。
「ああ、楽にしてくれ。非常時ゆえ、先触れもなく失礼した。自己紹介をした方がいいかな? レイモンド・デコール・ルウェイン、王弟だ。ちょうどエンスのダンジョンを視察する予定で、近くにいたのだ。超級の神託が出たと聞いて、何か役に立てるかと」
(これが『例のあの人』か……)
死んだ魚のような目をしているクラウスに、アレクは事情を察した。
前触れもなく王族などに押しかけられたら、対応に貴重な時間と人手を割かれ、現場は大変に迷惑する。
先程の話ぶりでは、王の名代でも、支援物資を持ってきた訳でもなく、ただ首を突っ込みに来ただけなのだろう。評判通りだな、とアレクは納得した。
他の面々も似たような感想を抱いたようで、一様に険しい面持ちをしている。
王弟はひりついた空気をものともせず、更に何か喋ろうとしたが、後ろに控えていた一人が制止をかけた。
「殿下。事は急を要します、ここからは私が」
「流石は兄上の信任が厚いロズウェル卿、真面目だな」
レイモンドは一瞬だけ露骨に嫌そうな顔をしたが、すぐに取り繕って場所を譲る。
クラウスよりもいくつか年上であろう男性は、まずアレク達を一瞥した。怜悧な眼差しに場が締まる。
「ニクス・ロズウェル、神託機構本部の総括官です。本件に関し、国王陛下より全権を委任されております。事象発生までの猶予は数日、時間がありません。少しでも被害を抑えるために、協力していただきたい」
彼は懐から高級そうな紙を取り出し、掲げて見せた。紙面にはやや焦りが見られる文字が何行かにわたって認められており、最後に王璽と思しき複雑な印章が押してある。
国王直筆の書状など、平民の自分が目にする日が来るとは思わなかった。高貴さの過剰摂取でおかしくなりそうだ。
「しかし今回は、第二王子殿下が」
「――議論は不要。指示に従え」
アルトリッジの言葉をぴしゃりと封じ、ニクスは粛々と各所の役割を説明してゆく。
ようやく会議が動き出し、一同は安堵の息を吐いたのだった。
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「兄上、無理しすぎです」
「ごめん……」
回復魔法を施し終わったアレクは、ソファに横たわるクラウスに毛布をかけながら言った。
謝るクラウスの声は掠れている。手足は力なく投げ出され、顔面は白を通り越して青かった。
領地で大災が起こると分かっているのに、民を逃がすことができないのだ。彼の苦悩と心痛は計り知れない。
エンスに許されたのは、実習に参加する第二王子と、視察に訪れている王弟の護衛という名目で、いつもより多めの兵を配備するだけ。
恐慌状態になるのを防ぐため、予言の内容を知らされているのはごく一部のみ。神託の回避に繋がらないよう、注意喚起すら禁じられている。
市街地の外に国軍が展開してはいるが、彼らが動くのは事後だ。
到着までに一体どれほどの死傷者が出るのか――考えたくもない。
(レティ達がサウラを離れることになってたのは、神のご慈悲なんだろうな……)
伯爵夫人のリナリアと彼女の子供達、それにレティシアは隣の子爵領の祭りに招待されており、一昨日にサウラを発った。
あちらはリナリアの実家だし、何代も前から家族ぐるみの付き合いをしているので、滞在が長期化しても蔑ろにはされまい。
彼女達が無事なら、たとえサウラがクラウスごと吹き飛んでも、リード家は残る。いずれ再興も叶うだろう。
アレクとしては、幼い妹と甥を危険から遠ざけられたのが純粋に嬉しい。他の領民には申し訳ないが。
「……王弟の動きが、どうにもあやしい。うちの派閥の長の、公爵家からも警告があった」
弱々しくクラウスが言う。アレクは渋面で頷いた。
「やっぱり。最初から第二王子が狙いだった、と」
「ああ。奴にとって、『神託』は好都合だろう。混乱に乗じれば警備の隙を突けるし、証拠の隠滅もできる。それに、殿下に万一のことがあれば、エンスも警備の過失で責めを負う。王弟からすれば、反目する派閥の力も削げて、いいこと尽くめだ。くそっ……!」
似合わない下品な言葉遣いをする兄の眼前にそっと手を翳し、アレクは眠りの魔法をかける。
「少し寝よう。朝になったら起こすよ」
カーテンの隙間から覗く空は黎明だ。あと数時間は眠れる。
体は確実に睡眠を欲しているはずなのに、クラウスはいやいやと首を振った。
「一応、かけられる限りの保険はかけたけれど、どこまで有効かは分からない。アレク、いいか、自分を守れ。エンスのことは私がなんとかするから、生きて帰……――」
言い終える前にクラウスの意識が落ちる。
この状況でもアレクを案じるなんて、彼は本当に情が深い。
(だから守りたいんだ。この人達がいるエンスを)
アレクは少しずれた毛布を直してやり、照明を落として静かに執務室を出た。
廊下は暗く、空気は刺すように冷たい。雨のにおいもする。
春が来たはずなのに、冬に戻ったようだった。




