第3話 神託
一気に人数が減り、静かになった部屋で、アレクは一言断ってから養母の手に触れる。肌は白く、体温は低い。そして筋肉が明らかに強張っていた。
アレクはアナベルが言い訳を始める前に、魔力を込めて祈りの言葉を口にする。
「『旅』よ、我らが主よ――……」
天とアレクが繋がり、聖なる力が下りてきた。アナベルの様子を注意深く観察しながら、アレクは癒しの光を指先から少しずつ流し込んでゆく。
いつもより器に入る量が多い。母が不調を隠していたのだと分かり、アレクはつい、責める口調で言ってしまった。
「母上。痛みを堪えないで欲しいと、何度も申し上げていますよね?」
アナベルは夫を亡くした直後に病を発症した。未だ治療薬は見つかっておらず、数年のうちに命を落とすと医師に言われている。
神聖魔法でできるのは、痛みを和らげ、体力を補うことだけ。それでも楽になるはずなのに、我慢強い母は滅多に助けを求めてくれない。
「ごめんなさい。昼までは調子が良かったの、本当よ。薬も飲んだから、しばらくすれば治まると思って」
「ですが……」
苦言を重ねようとした瞬間、それまで黙って見守っていた師が口を開いた。
「アレクや。アナベル様が心配なのも分かるが、自分の気持ちを押し付けすぎてはいけないよ」
深い思慮に満ちた声が耳を打つ。
一気に頭が冷えたアレクは、独善的になっていた己を深く恥じた。
(母上には母上の考えがある。いくら家族でも、強制する権利はない。分かっていたはずなのに、頭に血が上ってしまった。駄目だな……)
「……お師様のおっしゃる通りです。申し訳ありません、母上」
頭を下げるアレクの右手を両の掌で包み、アナベルはやさしく微笑む。
「私ももう少し、皆の力を借りるようにします。心配してくれてありがとう」
リード家に引き取られて間もない頃、幾度となく癇癪を起こした自分を受け止めてくれた、若き日の養母の姿が重なる。懐かしくもあるし、いい年をした男として居たたまれなさもあった。
アナベルは全てお見通しのようで、手を離すと話題を変えてくれる。
「せっかくロドリグ様がいらしてくださったんだもの、教会のお話をお伺いしたいわ。さあ、早く用事を済ませてしまいましょう」
引率をしている間、アレクはダンジョンから離れられない。不在の間、アナベルの苦痛の緩和をロドリグに頼んでおり、今日はその引継ぎのために来てもらったのだ。
アレクは侍女が差し出した紙の束と薬を受け取り、かいつまんでロドリグに説明する。
弟子よりはるかに医学と薬学に通じている師は、あっという間に状況把握を終えた。憂いがひとつ減り、アレクは溜めていた息を吐き出す。
(よかった。これで心置きなく引率に臨める)
その時、ふっ、と世界が止まった。
音が、においが、体に感じる全てが、呼吸ひとつの間だけ途切れる。
「……? ――う、あっ?!」
直後、頭の中を鷲掴みにされたかのような衝撃が来た。
一瞬だけ意識が飛んだが、アレクはすぐに目を開ける。
「………………ここは……?」
視界に飛び込んできたのは、どこまでも続く真っ白な空と地面だった。
つい先程まで談話していたリード家の居間ではない。共にいたはずのアナベルとロドリグ、侍女の姿は見えず、誰もいないどころか物が全くなかった。
明らかに異常事態なのだが、しかしアレクは妙に落ち着いている。
この空間は、清らかな空気と、色濃い神の息遣いに満ちていた。畏れはしても、恐れる必要はない。
(神が私に、何かを伝えようとされている)
『………………――――な……よ――……』
天から音が降ってきた。
どれほどの年月を重ねてきたのか想像もつかない、深みのある穏やかな老人の声。
耳にしたのは初めてだけれど、アレクにはそれが誰のものなのか分かった――『旅』だ。アレクの体は命じるまでもなく自ずと膝を突き、祈りの姿勢を取る。
『……――アレクよ、来るぞ、備えよ――…………』
老神ははっきりとしもべの名を呼び、告げた。
頭を垂れて続く言葉を待っていたアレクだったが、どうしてかその先が聞こえない。
それどころか景色が歪み、五感が遠ざかってゆく。どうやらこれ以上の言葉は賜れないらしい。
遠ざかる意識を必死に繋ぎ止めながら、アレクは不敬と認識しつつ叫んだ。
「――備えろと! 言われましても! 一体、何に?!」
神が微笑んだ気配がしたが、応えはない。
それ以上の情報を得られないまま、アレクの意識は完全に途切れた。




