第1話 サウラの春
内容を間違えて投稿していました。申し訳ありません。修正しました。
雪が消え、サウラに芽吹きの季節がきた。
やわらかな日差しは心をもあたためてくれるようで、道行く人々の表情は明るい。
町は今日も美しく、平和に見える――少なくとも、自分の目に映る範囲では。
(よかった。今年も無事に春を迎えられた)
すれ違った子供達の笑顔が眩しくて、アレクは思わず目を細めた。
アレク・リードはサウラの町の教会を預かる、平凡な聖職者である。
首から下げた信心具の意匠は、北の夜空に輝く一番星。アレクは創世の女神たる主神の友、『旅』の神に仕える司祭であった。
「あー! アレク様だ! こんにちは!」
「こんにちは、アレク様」
「こんにちは。いい天気ですね」
顔見知りの親子に声をかけられ、アレクも挨拶を返す。
彼らは教会の近所に住んでいるが、信者ではない。悲しいかな、魔物の急増により旅に出るのが難しくなったため、『旅』の信徒は激減していた。
(早く勇者が現れて、魔物を一掃してくれないものか。そしたら昔みたいに旅行が流行って、信者の数が元に戻るのに。……いやいや、他力本願すぎるな)
あまりに身勝手な己の考えを反省する。たった一人に世界を背負わせる必要はない。微力ではあるけれど、アレクも力の及ぶ限り、皆を助けるつもりでいる。
ただし、それなりの対価は欲しい。アレクは無償の奉仕が大嫌いなのだ。
(今日はただ働きをしないで済むといいなぁ……)
司祭という立場上、信者以外からも様々な相談を持ちかけられる。
治療や葬祭であれば費用を請求できるが、仲裁や助言といった形のない仕事だと、時間と労力はかかるのに報酬は出ない。そしてアレクに求められる役割は、後者の方が圧倒的に多かった。
聖職者という仕事を選んだ以上、ある程度の奉仕は覚悟している。
だが、アレクにも生活があるので、身銭を切り続ける訳にはいかない。赤字続きの教会の帳簿を思い出し、アレクは痛む胃をさすった。
(そろそろ補填しないとまずいな。ひとまず、直近の『引率』の報酬を寄付ということにして、教会に入れよう。それとも何日かお師様に教会をお任せして、大きい魔物でも狩りに行くか……?)
金策を考えながら歩いていると、いつの間にか目的の店に着いていた。
アレクは目当ての品を手早く揃え、会計を済ませる。今日はこの後、人と会う約束があるのだが、これなら遅れずに済みそうだ。
折角なので土産でも買って行こうと、目に付いた露店で焼き菓子を求める。店主に代金を渡した瞬間、前方で悲鳴が聞こえた。
続いて怒声が響き、目を凝らすと人が集まり始めている。アレクは渡された菓子の包みを魔法鞄に放り込み、騒ぎの中心へと駆け出した。
「医者か、治療魔法を使える奴を呼べ!!」
「! おい、アレク様だ!」
「司祭様だよ、通して!」
アレクが声を張り上げるよりも前に、気付いた周囲が道を開けてくれる。そうして辿り着いた先では、血溜まりの中に一人の男が倒れていた。
彼の顔には見覚えがある。やはり信者ではないが、アレクが子供の頃からサウラに住んでいる職人だ。妻を早くに亡くし、一人娘も遠くの町に嫁いだが、つい最近、身重で出戻ったと聞いている。
「お父さん!! お父さん、しっかりして!!」
「! 動かしては駄目です! 引き剥がして!」
娘は膨らんだ腹を無視してしゃがみ込み、力なく横たわる体を揺さぶろうとした。
アレクが叫ぶと、すぐさま近所の女性達が飛び出し、彼女を遠ざけてくれる。有事の女衆はとにかく頼もしい。
アレクは男の傍らに膝を突き、怪我の具合を確かめた。服が血を吸って汚れたが、今は気にしている場合ではない。
すぐ傍に倒れた梯子があるので、恐らく高所から転落し、石畳に頭を打ち付けたのだろう。仰向けになっている彼の顔に傷はないけれど、地面と接している後頭部は潰れており、そこから大量の出血が続いていた。
(危険な状況だな……)
意識はなく、呼吸も脈も弱い。このまま何もしなければ、間もなく天に召されてしまう。
アレクは女達に支えられてなんとか立っている娘に顔を向け、努めて冷静に問いかけた。
「回復魔法が必要です。高額になりますが、よろしいですか?」
自分の実力であれば、時間も魔力もそうかからずに完治できる。だが、無償では請け負えない。
アレクの感情はさておき、教会が運営できなくなってしまうし、以前に布施を払って治療を受けた者からも不満が出る。
「治してください!! お金は絶対に払います、だから……!!」
娘は即座に答えた。
言質さえ取れれば、もう躊躇うことはない。アレクはすぐさま詠唱を始める。
「天にまします我らが主よ――……」
魔力を込めた言葉に応えて、天と地を繋ぐ扉が開いた。アレクが伸ばした祈りの糸が天と繋がり、そこから溢れんばかりの神の力が流れ込んでくる。
アレクは掌を男の頭上に翳し、癒しの光を注ぐ。みるみるうちに骨が蘇り、肉が繋がり、蒼白だった顔に血の気が戻ってきた。
やがて完全に傷が癒え、アレクは術を解除する。
男の全身を軽く調べ、問題ないことを確かめてから、アレクは笑顔で娘に告げた。
「もう大丈夫です。しばらくすれば目を覚ますでしょう」
「あ、ありがとう、ございます……!!」
崩れ落ちそうになる娘を、婦人方が抱き留める。
アレクは浄化の魔法を唱え、男と自分の血を洗い流した後、ゆっくりと彼女に近付いた。
「お父様ですが、かなり血を失ったので、数日は安静に。食べやすくて栄養のあるものを食べさせてあげてください。ふらふらする感じが続くようなら、医者にかかって血を増やす薬をもらうといいでしょう。私も調合できますので、必要なら『旅』の教会までいらしてください」
「はい、はい……!」
「おーい! お父さん、家の中に運んでおくぞ!」
男衆が父親を家の中に担ぎ込むのを見守っていると、娘が悲壮な面持ちで切り出す。
「…………あの、司祭様。その、支払いなんですが、分割払いにしていただくことは……」
きた、と思った。
正直なところ、父娘はあまり裕福には見えない。
衣服は清潔ではあるが着古しているし、父親が運び込まれた家も痛みが目立った。何より、二人の痩せた体つきが、生活の厳しさを物語っている。
しかも娘は妊娠している。腹の迫り出し具合からすると、そろそろ産み月だろう。
出産と育児で何かと入用になるのに、産後はしばらく働けないので、その間の収入がなくなってしまう。この上、治療費を請求してしまうと、日々の暮らしが立ち行かないかもしれない。
ふと周囲に目をやると、残った観衆達が心配そうに娘を見つめていた。随分とこの父娘を気にかけているようだ。
アレクは喉の奥で唸る。
(いっそ今回は、代金を貰わなくてもいいか? でもそうすると、他に示しがつかないし……)
ただ働きはしたくないが、弱者を切り捨てるつもりもない。だが、体面も筋も通さなければならない。
どう収拾を付けるか悩んだアレクは、尊敬する師ならどうするかを考え――彼の過去の振る舞いから答えを得た。
アレクは、にこり、と笑顔を作る。
そしていささか大仰に、皆に聞かせるつもりで声を発した。
「――今回は、布施は結構です。少し早いですが、出産のご祝儀としましょう!」
わぁ、と歓声が沸き、拍手が起こる。
慶事にけちを付ける者はまずいないし、いても白い目で見られる。どこにも角を立てずに済み、アレクは安堵の息を吐いた。
「流石はアレク様だ!」
「やっぱり領主様のご一族だねぇ」
群衆が囃し立てる中、娘は感涙と思しき雫を目からぼたぼたと零す。荒れた彼女の手にそっと手布を握らせ、アレクはやさしく言った。
「洗礼を『旅』の教会で、などとは申しませんので、落ち着いた頃、ぜひ赤ちゃんの顔を見せにきてくださいね。楽しみに待っています」
「はい……! 本当に、ありがとう、ございます……!!」
大盤振る舞いで、アレクは娘にも回復魔法をかける。聖なる光が溢れたが、神聖魔法の素養がある者にしか見えないし、きっとこの場には殆どいない。
驚きに目を見開く彼女に、アレクはそっと囁いた。
「だいぶお疲れのようなので。どうかお腹の子だけでなく、あなた自身も労わってください」
「っ……!」
最後に聖職者らしく「神のご加護があらんことを」と締めくくり、家へ入るよう促す。
娘の背中を見送っていると、背後に人の気配がした。
「――司祭様、大層なご活躍のようで」
振り返ると、厳しい顔をした警邏の制服を着た男が立っている。アレクは彼の口調に倣い、慇懃に返した。
「警邏隊長殿は、随分とゆっくりなご登場で」
二人は睨み合い――そして、互いに我慢できなくなって笑う。
「ロイド。見てたの? 恥ずかしいなぁ」
「途中からな。相変わらず見事なもんだ。それに結局、ただにしちまったところが、お前らしい」
ロイドは元冒険者で、かつてのパーティーメンバーだ。アレクも彼も、数年前までは第一線で戦う冒険者だった。
率直な褒め言葉に面映ゆくなり、アレクは苦笑して誤魔化す。
「褒め過ぎだよ。ところで、事情聴取だよね。悪いんだけど、この後に約束があるんだ。明日、詰め所に行くのでもいい?」
「もちろん。なんなら教会に人をやろうか?」
少し考え、アレクは首を横に振った。
「ありがとう。でも今、ちょっと立て込んでて、留守にすることも多いから、こちらから伺うよ」
「ああ、実習前だもんな。頑張れよ、『引率司祭』様」
軽い調子で言う昔馴染みに、アレクは露骨に嫌な顔を作ってみせる。
サウラには初心者向けのダンジョンがあり、毎年、春になると周辺の学校が攻略実習にやって来ていた。
今年も三日後から王立高等学院の実習が予定されており、アレクは護衛兼案内役、通称、『引率』としての同行が決まっている。
引率をする司祭なので、引率司祭。
深い意味のない二つ名だが、はっきり言って好きではない。アレクの本分は教導であり、高慢ちきな若い貴族のご機嫌取りではないのだから。
無言の抗議を続けていると、ロイドはからからと笑って背中を叩いた。
「お前、本当にこのあだ名、嫌いだよな。悪かったって。でも、今年で最後だろ? 頑張って来いよ」
ロイドのいう通り、アレクは今年いっぱいで引率から退く。教会の運営に専念するためだ。
不本意な呼ばれ方も、あと一年足らずの辛抱だと思えば耐えられる。アレクは一度大きく深呼吸をし、苛立ちを鎮めた。
「言われなくても。じゃあ、そろそろ行くね」
「おう。引き留めて悪かったな。王立学院の実習が終わったら、飯でも食いに来てくれ。ライラとネルも喜ぶ」
「うん。また連絡する。可愛い奥さんと娘さんによろしく」
挨拶を交わし、友と分かれる。随分と時間を食ってしまった。
アレクは走る一歩手前の早足で、町のやや外れにある領主館へと急いだ。




