第17話 金は大体のことを解決する
爛れ犬の巣は、地下三十階の外れにあった。
「――さっきの腐った犬ですね。殿下もいます。無事です」
バージルの報告に、アレク達は安堵の息を吐く。だが、いつ『お気に入り』から『餌』に変わるか分からない以上、救出を急ぐべきだ。
「司祭殿。どうする?」
あまり時間がないと理解しているようで、コンラッドが素直に策を請う。アレクは少し考えた後、最も安全で確実な方法を提案した。
「私が一人で突っ込んで、最初に殿下を無力化してから、犬を倒します。時間はかかると思いますが、幸い一匹だけなので、問題ないはずです」
「アレク様、おれ達は何をすればいいんです?」
尋ねるバージルに、アレクははっきりと言う。
「女神の小庭で待機してください。巣の場所は確認できたので、今からあなた達を送って、私だけ戻ってきます。私は精神支配が効かないけれど、あなた達まで操られてしまったら、今度こそどうしようもなくなる」
「……」
一人前の冒険者である彼は、アレクの正しさを理解できるはずだ。だから反論はしないが、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
一方、コンラッドは不服を口に出して申し立てた。
「女神の小庭まで往復している間に、ユージンが食われてしまうかもしれない。私達が足手まといなら、戦闘には参加せず、離れたところで待つのは駄目なのか?」
「犬だけでなく、他の魔物もいます。皆さんだけでは対処できない」
「ユージンの洗脳を解いて、自分でこちらに来てもらうというのは」
「解除は対象の至近距離で、短くても数十秒、長ければ数分、集中しないとできません。殿下だけを誘い出せればいいのですが、あれだけ犬が近くにいる以上、難しいかと」
「だが……」
慎重なコンラッドはなかなか退いてくれない。ティナとローゼマリーは判断が付かないようで、黙って成り行きを見守っている。
バージルの苛立ちが高まるのを感じたアレクは、これ以上言葉を重ねるのを止め、代替案を提示した。
「では、この『女神の雫』を使いましょう。効果は十分ほどですが、聖域に近い強度の結界を張れます」
「……えっ!? ここで使っちゃうんですか、それ?!」
女神の雫の価値を知っているバージルが驚く。アレクは力なく頷き、彼に美しい瓶に入った少量の液体を渡した。
「今がその時なんだと思う。二本渡しておくけど、数がないから、ぎりぎりまで二本目は使わないで」
「了解です……預かります……」
バージルは恐々と瓶をポーチにしまう。
女神の雫は大変に希少で、滅多に手に入らない。稀に市場に出る時もあるけれど、一本の価格は平民の年収を軽く超える。値段もさることながら数本しか所持していないので、できれば使いたくなかったのだが、背に腹は代えられない。
矢継ぎ早に聖句を並べ、自身のありとあらゆる能力を強化する。減った魔力をまた薬で補い、子供達の周りに祝福された水を振りかけてから、アレクは足音を殺して爛れ犬に近付いた。
びくん! と獣の体が跳ね、犬のすぐ側に座っていたユージンが立ち上がる。認識阻害の魔法をかけているが、どうやら気付かれてしまったようだ。
ばれた以上、もう忍ぶ必要はない。アレクは地面を蹴って瞬時に距離を詰め、槍を構えかけたユージンの鳩尾に杖を突き入れた。
「ぐっ……!!」
くぐもった声を口から漏らし、恵まれた体が崩れ落ちる。倒れ伏した青年が動かないのを確認し、アレクは魔物へと対象を変えた。
玩具を傷つけられた爛れ犬は、紫色の歯茎を剥き出しにして唸る。そしてアレクに襲い掛かる――と見せかけて、無防備なユージンに噛み付こうとした。
アレクは、にやり、と笑い、既に手の内に準備していた繊細な小瓶の中身を自分とユージンに振りかける。途端、清らかな光が二人を覆った。
怒り狂った獣が体当たりをしても、聖なる障壁は壊れない。爛れ犬は忌々しそうにひと吠えし、コンラッド達の方へと駆け出した。
だが、彼らもまた、女神の力に守られている。刃も爪も通らない。やはり攻撃は通らなかった。
「お金は大体のことを解決するんですよねぇ……」
アレクは呪文を唱え、引き返してきた犬の足を光の矢で貫く。機動力を奪ってから特大の光槍を落としてやれば、四つ足の魔物は避けることもできずに呆気なく絶命した。
(よかった、なんとかなった……)
アレクは天を仰ぎ、肺に溜まっていた息を吐き出した。資源の消費が少々痛いが、命あっての物種である。
まだ結界が残っているので、今のうちに洗脳を解いてしまおうと、アレクはユージンの傍らに膝を突いた。
うつ伏せになっていた彼の体をひっくり返し、額に手を翳す。天に祈りを捧げ、彼の心を縛り付ける鎖を解いていけば、精悍な顔に刻まれた苦悶が徐々に消えていった。
次いで回復呪文を唱え、犬に可愛がられた際に付いたのであろう細かな傷と、腹の打撲を治す。更に爛れ犬は様々な菌を持っているので、解毒もかけておいた。
最後に浄化も忘れない。ユージンは腐った涎でべとべとで、酷い臭いがした。犬に散々可愛がられたに違いない。
(そういえばロイドも爛れ犬に連れて行かれて、酷い有様になってたな。何日も臭いが取れなくて、ライラに避けられて落ち込んでたっけ)
家族と同じくらい強い絆で結ばれた仲間達との思い出が蘇る。彼らがいないことがたまらなく寂しくなり、アレクは縋るように首から下げた信心具を握りしめた。
「――ユージン!!」
「アレク様、ご無事ですね?」
「で、殿下、司祭さま」
「……よかったです、二人とも無事で」
先に効果が切れた子供達が駆け寄ってくる。アレクは即座に感傷を捨て、微笑みを浮かべた。
「じきに目も覚めるでしょう。今日の冒険はここまでにして、帰りましょうか」
すう、とアレクとユージンを覆っていた光が消える。まだ目覚めない王子を背負い、引率司祭は仮の家へと歩き始めた。




