第16話 洗脳
「ジーン!! しっかりしろ!!」
返事をする代わりに槍を構えたユージンは、躊躇うことなく最も弱そうな個体――ローゼマリーに狙いを定めた。
本気の殺気に気圧され、少女の体が硬直する。あの痩せぎすの体では、どこに当たっても致命傷だ。
(まずい!!)
穂先がローゼマリーに迫る。割り入るのは間に合わないと判断し、アレクは飛び掛かるようにして彼女を抱き込み、地面に転がった。
「ッ!!」
切っ先に脇腹を抉られる。分厚い長衣が裂け、血が飛び散った。
痛い。しかし、そこまで傷は深くない。内臓は無事そうだし、動きが鈍るほどの痛みでもないので、アレクは即座に治療を後回しにすると決めた。
ローゼマリーを抱えたまま一回転し、即座に彼女を離して起き上がる。その間にもユージンは標的を変え、ティナに襲い掛かろうとしていた。
コンラッドがティナを庇って前に出たものの、乱心した主君によって呆気なく吹き飛ばされてしまう。だが、時間は稼げた。
「させ、るかっ!」
今度こそ間に入ったアレクは、愛用の杖で繰り出される槍を弾く。恵まれた体躯から繰り出される一撃は重いけれど、金級冒険者の敵ではない。
二合、三合と撃ち合うごとに、ユージンが後退していく。このまま殴って気絶させようと杖を振り上げた時、それまで高みの見物を決め込んでいた爛れ犬がけたたましく吠えた。
「――後ろから敵、五! 暴食猿です!」
バージルが叫ぶ。彼の警告通り、背後から猿の群れが急接近してきているのが見えた。
犬は忌々しそうに唸った後、踵を返して走り出す。数で負けているからか、単純に仲が悪いのか、とにかく四つ足の畜生は戦線を離脱してしまった。
爛れ犬の支配下にあるユージンも、アレク達を一瞥もせず偽りの主の後を追う。アレクは咄嗟に手を伸ばして引き留めようとしたが、その横を二匹の猿が追い抜き、通路を塞ぐようにして止まった。これでは追いかけられない。
(くそっ、やられた! よりによって殿下か!)
「ジーン! 待て!」
「司祭様、解放はできないんですか?!」
ティナの問いに、アレクは傷薬を振りかけながら答えた。
「すぐには無理です! 大丈夫、爛れ犬はお気に入りを巣に持ち帰って愛でるので、殿下はしばらく殺されません! それより、壁を背に!! まずはこの場を切り抜けないと!!」
猿はアレク達を囲もうと動いている。辛うじて背後を取られることだけは防いだけれど、進路も退路も断たれてしまった。
逃げられない以上、戦うしかない。アレクは子供達の数歩前に立つ。
「バージルは私の援護。マレイさん、とにかく回復し続けて。ノルバート侯爵令嬢、一体ずつ集中して攻撃を。グレンウィル伯爵令息は女性陣を守って。――来ますよ!」
言い終えるのとほぼ同時に、猿達が奇声を上げて襲いかかってきた。
アレクは聖句を唱えながら獣を殴り、あるいは薙ぎ払う。防ぎ切れない爪と牙が肉を抉るが、下がる訳にはいかない。
(俺は、後衛で、支援職のはずなんだけどな!!)
心の中で毒づきつつ、アレクは奇跡を乞い続ける。執拗な攻撃に晒され、何度も詠唱が途切れかけた。それでも子供達の支援を受け、なんとか完成まで漕ぎ付ける。
「――裁きの光を!」
降り注いだ神の怒りが、五体の猿を打ち据えた。
騎士達の時とは違い、手加減などしていないのに、息の根を止めるには至らない。アレクは焦りを必死に殺し、がむしゃらに攻撃を続ける。
(頼む、早く死んでくれ!!)
聖職者にあるまじき願いを抱きながら、アレクはひたすらに呪文を唱え、杖を振り回した。魔力の配分など気にしていられない。出し惜しみをしたら死ぬ。
絶叫と共に一匹、また一匹と猿が息絶える。三匹目がやられたところで、残りの二匹は逃げて行った。
「…………戦闘、終了です」
アレクはその場に倒れ込みたいのを堪え、背筋を伸ばして告げる。
正直なところ、疲労はとうに限界だ。この五日間、精神も肉体も限界以上に酷使しているし、今の戦闘でもそこそこ失血した。おまけに薬の過剰摂取で、胃腸にもガタがきている。
だが、休んでいる暇はない。こうしている間にも、ユージンが危険に晒されている。
アレクは魔法鞄から上級の魔力回復薬を取り出し、一息に呷ってから指示を出した。
「全員、薬で魔力を回復してください。傷は私が治します」
「司祭殿! 早くユージンを追わなければ!」
掴みかからんばかりのコンラッドに、アレクは薬の瓶を押し付ける。
「勿論です。ですが、先に回復を。先程も言いましたが、殿下はまだ大丈夫です。私達が倒れたら、誰も彼を助けられません」
表に出さないように努めているだけで、実はアレクも相当に焦っていた。
一人でも戦力が欠けたら生還が難しくなるというのに、連れ去られた――実際には自分の足で着いて行ったのだが――のは、よりによってユージンだ。
彼に万が一のことがあれば、アレクを待っているのは社会的な死である。勿論、他の子供達の命も同じくらい大事だけれど、王子という存在は影響が大きすぎた。
悔しそうに顔を歪めた伯爵令息は、苛立ち紛れに吐き捨てる。
「っ、貴方の監督不行き届きだ! もっとユージンを――……」
「――グレンウィル伯爵令息、それ本気で言ってます?」
冷めた声が実のない文句を遮った。
バージルはぞっとするほど美しい顔に、確かな怒りを滲ませて言う。
「殿下が連れて行かれたのは、自業自得でしょう。アレク様は何回も、前へ出るなって注意してましたよね。それを無視したのは殿下です。実際、あの時殿下が退いていれば、敵に操られることもなくて、さっきみたいにギリギリの戦闘にもならなかったはず」
「……それは……」
「バージル」
アレクは頭を振った。それは自分が言うべきことだ。
だがバージルもまた、はっきりと首を横に振る。
「嫌です。言います。殿下のせいでパーティー全体が危険に晒された。冒険者っていうのは、先達の忠告を聞けない奴はすぐ死ぬし、リーダーに従わない奴が一人いるだけで、簡単に全滅するんです。ねえ、いい加減、ごっこじゃなくて本当の冒険者になってもらえません?」
琥珀と大地の双眸がぶつかり合う。
ほんの数秒の睨み合いの後、コンラッドは視線を外し、それから軽く頭を下げた。
「……すまない、八つ当たりをした。ロウの指摘については善処するが、今はユージンを優先して欲しい」
意外な柔軟さに、アレクはコンラッドの評価を上方修正する。
生還計画の話をした際にも感じたが、きっと本来の彼は聡明で、視野の広い人間なのだろう。いつかその姿をアレクにも見せてくれればよいのだが。
バージルは深呼吸をひとつし、負の感情を散らす。ちらり、と彼に目で促され、アレクは慌てて返事をした。
「謝罪を受け入れます。こちらこそ、力及ばず申し訳ありません。さあ、薬を飲んでください」
(バージルには、後でちゃんとお礼と、話をしないとな……)
彼には随分と助けられているけれど、同時に負担をかけてしまっている。
アレクは己の至らなさを恥じたが、すぐに気持ちを切り替え、回復の術を唱えた。反省は後でもできる。優先順位を間違えてはいけない。
前衛が一人抜けたため、代わりにアレクが入って隊列を組み直す。微かに残る腐臭を頼りに、一行はユージンを追った。




