第11話 静かな食卓
丸い木皿の中央に、芸術的なまでの焼き色が付いた鶏肉の炙り焼きを据える。付け合わせはなめらかに漉した芋と、色鮮やかな葉物野菜にした。
もう一つ小さな皿を出し、柔らかな丸パンを置く。食べ盛りの男子がいるので、お代わりを籠に山盛りにして置くのも忘れない。
根菜とベーコンのスープ、輪切りにした柑橘を浮かべた冷たい水、食後の果物も準備する。
貴族にとっては粗末だろうけれど、平民にとっては十分すぎる質と量の食事の支度――エンス伯爵邸の厨房で作ってもらったものを、魔法鞄から取り出して並べただけなのだが――が完了し、アレクは子供達に声をかけた。
「さあ、手を洗った方から席に着いてください」
「……司祭殿は、なんでも備えているんだな……」
「備えすぎてて怪しくありません? 助かってはいますけど……」
コンラッドが呆れたように、ティナが訝しむように呟く。
彼らの視線は少し離れた場所に設置してあるテント、手洗い、簡易風呂をたどり、最後に湯気の立つ料理が載ったテーブルに戻った。
野営具は全てアレクの私物だ。『旅』の聖職者のために作られた特注品で、市販品よりはるかに性能が良い。アレクは自身の分と、ロドリグから借り受けた分も持っていたので、男女別に用意することができた。
貴族社会では、未婚の令嬢が家族以外の異性と二人きりになっただけで醜聞になる。命が最優先ではあるけれど、可能な限り名誉も守らなくてはならない。できる配慮はすべきだろう。
全員が着席したので、短く食前の祈りを捧げる。それから毒が入っていないと示すために、アレクは全ての料理を少しずつ口にした。
毒見が終わったのを確認してから、ユージン、コンラッド、ローゼマリーがフォークを手に取る。スープの椀を早々に空にしたバージルが、「貴族は大変ですねぇ」と零し、アレクも内心で同意した。
会話らしい会話もなく、食事は淡々と進んでゆく。
彼らには予め、詳しい話は食後にと伝えてあった。今は考えても消耗するだけなので、いたずらに悲観をしないようにとも。
アレクとしては更に仮眠を挟みたかったのだが、ユージンに却下されてしまった。一刻も早く状況を把握したいらしい。王子に強く望まれたら、平民のアレクは逆らえない。
(絶対、仮眠を取るべきなんだけどなぁ。こんなに疲労困憊で、まともな思考ができる訳ないのに。その辺りもおいおい、教えていかないといけないか)
魔物の襲来、騎士団の裏切り、魔族との対峙、最難関ダンジョン最深部への転移――数々の修羅場を潜り抜けてきたアレクでさえ、頭がおかしくなりそうな事態の連続だ。箱入りの貴族子女にしてはよく持ちこたえているけれど、既に限界に違いない。重そうにカトラリーを扱っている子供達を見やり、アレクはそっと息を吐いた。
(食べ終わる前に、なんとか打開策を考えないと。細かいところまでは詰めなくていい、僅かでも可能性を提示しなければ、子供達の心が折れてしまう。でも……そもそもあるのか? 助かる術なんて)
――状況は、極めて絶望的であった。
救援は呼べない。
ユージンが貴重な通信の魔道具を所持していたが、起動はするものの繋がらなかった。転移の衝撃で疲れたのか、現在地が深すぎるせいかは不明だけれど、とにかく外部との連絡は取れない。
救助も望めない。
アレク達が転移させられた際、周囲には誰もいなかった。王子と高位貴族の子女が忽然と姿を消したのだ、大規模な捜索が行われるだろうが、サウラから遠く離れた光彩の庭まで手が及ぶとは考えにくい。
(待っていても助けは来ない。なら、自力で脱出するしかない。でも、脱出は……無理だな。戦力が足りなさすぎる)
アレクは洩れそうになる嘆息を、スープと一緒に飲み込んだ。
光彩の庭の魔物は強い。ダンジョン攻略に慣れた金級冒険者六人の『旅の導き』でさえ、危うい場面が何度かあった。
ましてやここは最下層の一つ上、地下三十階。アレク一人で五人の足手纏いを守りながら、地上の入口まで辿り着けるはずがない。
(戦力の補充ができない以上、今いる人材を育てるしかない。幸い、物資だけは潤沢にある。装備は『旅の導き』の皆が持たせてくれたものと、殿下方はお守りの中に何かあるだろうから、それなりに行き渡るだろう。この小庭を拠点に、一撃で死なない程度まで子供達を育てて、ひたすら逃げに徹して移動すれば…………いや、間に合わないか。くそっ、迷宮の狂気さえなければ!!)
つい舌打ちをしかけ、アレクは慌てて咳払いをする。誤魔化せたかは分からないが。
ダンジョンに満ちる狂気は、例外なく一月で人間を発狂させる。故に、期限が来る前にダンジョンから出なくてはならない。
『旅の導き』が入口から最下層への移動に要した日数は、およそ十日。だが、地図もなく、不慣れな子供達の足を考慮すると、一ヶ月以上はかかる。鍛えている時間などない。
打開策が見つからないのに、男子達の皿が空に近付いてきた。アレクは冷め始めた鶏肉を咀嚼しながら、胸中で呟く。
(駄目だ……何も思い浮かばない………)
留まれば確実に死ぬ、外に出ても高確率で死ぬ。
非常に厳しい二択だが、アレク達はどちらかを選ばなくてはならない。
アレクは死にたくない。家族が待っているし、悲願だった母の薬の材料も手に入った。なんとしてでも生きて帰りたい。
だから最後まで足掻くつもりだけれど、果たして子供達はどうだろうか。絶望に屈し、生を諦めてしまわないか。
(もしここに勇者がいれば。もし俺に、全員を守れるくらいの力があれば――いや、意味のない仮定はやめよう。俺にできるのは、苦しくても命を投げ出さないよう、真摯に説得するだけだ)
未来ある若者の命を、こんな人知れぬ場所で潰えさせたくない。
そして利己的だと自覚はあるが、彼らが一緒に来てくれないと、アレクの生存も難しくなる。
女神の小庭は数階層に一ヵ所しかないので、どうしても途中で小休止や仮眠が必要になる。一人だと見張りが立てられず、ろくに休むこともできない。
それに、もし奇跡的に生還を果たしたとしても、学生が一人でも欠けていたら、世間は引率のアレクを激しく責め立てるだろう。それこそ、ダンジョンで果てた方がましだったと思うくらいに。
(割りに合わない仕事だなぁ、全く! もう金輪際、絶対、引率はやらないぞ!)
ひとまず正確な残り時間を把握しておこうと、アレクは机の下に隠した手に冒険者証を載せた。
掌に収まる大きさの金属板、その下辺にある細い筋は『狂気の目盛り』といい、迷宮の狂気の蓄積度合いを示す。目盛線は三十あり、今は一つ目の半分くらいまで赤い線が延びている――はずだったのだが、どうしてか線は見えなかった。
(? 壊れたのか? いやいや、そんな話は聞いたことない)
冒険者証は失われた技術で作られており、故障することはないと言われている。
アレクは不安になりつつも、神聖魔法で聖なる力を目に宿し、自らの体に溜まった狂気の量を確認した。
(…………ない……?)




