6軒目:【理想の映画館】
世間には、1つの都市伝説がある。「理想のおうちが手に入る」というものだ。
ただし、そこには厳格な条件がある。
そこにたどり着くためには、まず全財産を現金で集めなければならない。もしくは、スマホのインターネットバンキングですぐに入金できるよう、アプリを開いておくこと。
そして和紙に、自分の理想の間取り図、条件、好みのもの、欲しいものを全て書き込む。可能ならば具体的な絵や写真も添えて、和紙の封筒にそれらを全て入れ、手に持っていなければならない。
お金や自分が大切に思っているものをスーツケースに入れてもいい。だが、スーツケースの大きさは決まっていないが、色だけは「金色」か「銀色」と決められており、荷物の多い人は両方持ち込んでも良いとされている。
その場所は、ある山奥の中にある洞窟の前。
しかし、そこにたどり着く前に、麓の村からその山への入山ルートは普段完全に封鎖されている。厳格に守られた山であり、足を踏み入れることができるのは限られた者だけ。山道を整備するのも年に一度、決まった日に決まった人が入るような、それほど厳しい条件なのだ。
どうしても「理想のおうち」が欲しい者は、満月の夜、特定の条件が揃った日に指定の品を持ち、さらに「自分の命を差し出しても構わない」という覚悟を持ってその場所に立つ。すると、洞窟までの山道が不思議と開かれ、通れるようになるという。
満月の青白い光に照らされて、1人の女性が洞窟の前に立っている。荷物は、手に和紙の封筒と、インターネットバンキングのアプリが開かれたスマホだけだ。
彼女が手元のスマホをふっと見ると、振り込み口座と金額のところに見たこともない文字が流れるように記入され、またたく間に残高が0になった。
すると、何もない洞窟の真っ黒い穴のところに、重厚な映画館の扉が突如として現れた。彼女は幸せそうに笑って、その扉に手をかけた。
◇◆◇
あれは、高校1年の夏休みの最終日のことだった。
私は仲良しグループの友達と「夏休み最後に映画に行こう」と約束していた。他の子たちはプールがいいとか遊園地がいいとか言っていたけれど、「私が見たいアニメの映画があるから」とお願いして映画を見ることになっていたのだ。
みんな部活やアルバイトがあるので、チケットは先にスマホで買っておき、映画館の入口前にあるポップコーン売り場付近で待ち合わせることにしていた。
それなのに、待っても待っても誰も来ない。もうすぐ映画が始まる時間になってしまう。みんなもチケットを買っているはずだし、直前でドタキャンなんてあるわけがない。「みんな何かあったのかな? 私、日付を間違えた?」などと不安に思っていると、アルバイトを終えた子と、ダンス部の子の2人が慌てて駆けつけてきた。
「あれ、ダンス部のもう1人の子は?」と聞こうとした私に、ダンス部の子が「大変!! あの子、事故に遭っちゃって今病院に運ばれてるって! あの子の……か…お母さんから連絡があったから早く行こう!」と叫んで私を引っ張った。
私は慌ててその後についていき、もう1人の子も一緒に、3人で急いで病院へ駆けつけた。
向かう途中で、私はふと疑問に思った。「あれ、今日ってダンス部の部活があったんだよね? なんで一緒に来なかったの?」
すると彼女は少し気まずそうに、「あー、あの子ちょっと用事があって、後から来るってバラバラに来たんだ」とモゴモゴしながら答えた。
病院に着き、受付で尋ねると手術室にいるという。私たちはそこに駆けつけ、あの子のお母さんも不安そうに待っていた。
そして、なぜかそこには――私が入学した時からずっと好きだった憧れの彼がいた。
彼は真っ青な顔で椅子に座り込んでいた。彼はいつも明るく、ダンス部で仲間たちと楽しそうに踊っていてとてもかっこよく、私はいつも影から見つめては、いつの間にか恋に落ちていたのだ。それを仲良しグループのみんなにも話していて、「なるべく協力するからね」と言ってくれていたのに、なぜ今、彼がここにいるのだろう。
私はもう1人のダンス部の子に尋ねた。
「ねえ、なんで彼がここにいるの? なんであんなにうなだれているの?」
彼女は気まずそうに言った。
「実は、あの2人付き合ってて、今日デートだったの。部活も休んで2人でどこか出かけてたみたい。それで、私たちとの映画の約束の時間になったから、慌ててあの子駆け出したときに、事故に遭っちゃったんだって。彼から焦って私に電話があったの……」
頭が真っ白になった。
「私、2人が付き合ってたことなんて知らなかった。あなたたちは知ってたの?」
「うん、知ってたけど言えなかった、ごめん。でも今そんなことより、あの子が無事かどうかが大切なんじゃないの?」
「そうだよ! 今は命が助かるかどうかの時に、そんな恋愛の話をするなんて、あなたおかしいんじゃないの?」
その場にいた全員から、まるで私が悪者であるかのように責め立てられた。
今までうなだれて椅子に座っていた憧れの彼までが、私を睨みつけて言った。
「お前が映画に行きたいなんて言わなければ、こんなこと起きなかったんじゃないのか……?」
居たたまれなくなって、私は病院から逃げ帰った。
――なんで私がそんなふうに責められなきゃいけないの? 私を裏切って隠れて付き合っていたのはあの子たちじゃない。それなのになんで、すべて私のせいにされなきゃいけないの?
ショックと怒りで自室に引きこもる私をよそに、その事故で彼女はそのままこの世界から旅立ってしまった。
私はお通夜にも葬儀にも行かなかった。行けなかった。
学校にも通えなくなり、保健室登校をするようになり、誰とも会わないように隠れるようにして高校生活を終え、孤独に卒業した。その後は自宅でできる仕事を選び、一切の人間の関わりを断って生きるようになった。
そんな時、ネットで『理想のおうち』の都市伝説を見つけた。
私は、あの映画館の中で、みんなで楽しく過ごしていたあの頃の日々に戻りたかった。あの温かい時間を取り戻したかった。
それから私は、スマホアプリの口座に全財産を入れ、和紙に自分の希望を書き込んで封筒に入れ、それだけを持って満月の夜にあの洞窟を目指したのだ。
彼女が扉を開けると、甘いポップコーンの香りが鼻腔をくすぐったそこは、見慣れたチケット売り場とロビーだった。
あの時は私がずっと待たされていたけれど、今日のロビーには仲良しの3人が私を待っていてくれた。みんな、顔をニコニコとさせている。
私が「ごめん、待った?」と声をかけると、みんなは抑揚のない声で答えた。
「ううん、今来たところだから全然大丈夫」
「3人で喋って待ってたから、あっという間だったよ」
「先に、あなたの分のポップコーンと飲み物も買っといたから、早く入ろう」
みんなの口元だけが不自然にキュッと持ち上がり、綺麗な笑みを作っている。目元はどこか虚ろだったけれど、そんなことはもうどうでもよかった。
私は嬉しくなって先頭をきり、みんなを引き連れて劇場のなかに足を踏み入れた。私が見たかったアニメが上映される「シネマ1」の部屋へと入っていく。
贅沢に予約していた特別シートにそれぞれが腰掛け、ポップコーンを口に運び、ジュースにストローを差しているうちに、部屋の照明がゆっくりと落ちていった。
あぁ、なんて幸せなんだろう。これがしたかったんだ。
みんな仲良しのまま、大好きなアニメを一生見ていられる。みんなも楽しいよね?
あなたも、こうして生き返ることができたんだから嬉しいよね。
よかった、みんな幸せで――。
それから数日後。
都内で「墓地荒らし」があったとニュースが流れた。数年前に事故で亡くなった少女のお墓が、何者かに荒らされていたらしい。
さらに、それと関係があるのかどうかは不明だが、同じ高校の同級生だった女性2人が、突如として街中で忽然と姿を消したという。
テレビのニュース画面には、防犯カメラに映し出された、暗い夜道を歩く2人の後ろ姿が虚しく映し出されていた。そして、そこに誰もいなかったかのように、突如として、画像から消えた。




