7軒目:【理想の体育館】
世間には、1つの都市伝説がある。「理想のおうちが手に入る」というものだ。
ただし、そこには厳格な条件がある。
そこにたどり着くためには、まず全財産を現金で集めなければならない。もしくは、スマホのインターネットバンキングですぐに入金できるよう、アプリを開いておくこと。
そして和紙に、自分の理想の間取り図、条件、好みのもの、欲しいものを全て書き込む。可能ならば具体的な絵や写真も添えて、和紙の封筒にそれらを全て入れ、手に持っていなければならない。
お金や自分が大切に思っているものをスーツケースに入れてもいい。だが、スーツケースの大きさは決まっていないが、色だけは「金色」か「銀色」と決められており、荷物の多い人は両方持ち込んでも良いとされている。
その場所は、ある山奥の中にある洞窟の前。
しかし、そこにたどり着く前に、麓の村からその山への入山ルートは普段完全に封鎖されている。厳格に守られた山であり、足を踏み入れることができるのは限られた者だけ。山道を整備するのも年に一度、決まった日に決まった人が入るような、それほど厳しい条件なのだ。
どうしても「理想のおうち」が欲しい者は、満月の夜、特定の条件が揃った日に指定の品を持ち、さらに「自分の命を差し出しても構わない」という覚悟を持ってその場所に立つ。すると、洞窟までの山道が不思議と開かれ、通れるようになるという。
大きな満月をバックに、その女性は金色と銀色の大きなスーツケースを両脇に携えて、洞窟の前に立っている。手にはスマートフォン、もう片方の手には和紙で作られた厚めの封筒。
その女性のスマートフォンには、インターネットバンキングのアプリが開かれている。急に見たこともない文字で口座番号と金額が記入されたと思うと、残高が瞬く間に0になった。
「ふんふふふ〜ん」
彼女は楽しげに鼻歌を歌った。
それと同時に、今まで真っ暗闇だった洞窟の入り口に、学校の体育館のような重厚な鉄の扉が現れた。扉の上には「体育館」と書かれている。
彼女は重い荷物を物ともせず、扉を開けて中に入っていった。鼻歌を歌いながら……。
◇◆◇
彼女は小学校6年生から高校3年生までずっと女子バスケットボール部だった。いわゆる「女バス」だ。
しかし彼女の学年は、なぜかいつも人数が少ない。小学校でも中学校でも高校でも、6人または7人の少人数になってしまう。先輩や後輩たちはそれぞれ20人近くいるのに……。
彼女が高校2年の時の部活の人数も6人だった。それに同じクラスでマネージャーをしてくれる子が加わり、全部で部員が7人の学年だった。彼女はここでいつも「自分は何か外れてるなぁ」と感じていた。
バスケットボールを練習する体育館は、男子バスケットボール部、男子バレー部、女子バレー部、バドミントン部の争奪戦で、なかなか練習スケジュールが取れない。順番待ちの時は、校舎の廊下や階段を使って体力づくりをすることが多かった。
体育館を使うまでの時間に学年ごとに集まって話したり休憩したりしていると、彼女はいつも居心地の悪さを感じていた。2年の部活のメンバーと一緒にいながらも、バスケットをやっている時のような楽しさはなく、ただ苦痛だった。
ある日期末テストの後に、成績はどうだったかという話になった。彼女はあまりそういう話を人としたくなかったので黙っていると、1人の子がこう言ってきた。
「ねえ、あなたはどうせ成績良くないんでしょ?」
ごまかしていると、「何番だったのよ?」としつこく聞いてくる。すると別の子が「その子、結構実は頭いいのよ。クラスで1番なんだよ」と言い出した。
それを聞いた最初の子は、鼻で笑ってこう言った。
「えー、その子バカじゃん! なんで私より成績が良いのよ!」
他の子たちも「ほんとだよね」と同調した。
みんなは時間まで廊下で紙を丸めたボールを作り投げたりして遊んでいたが、彼女は「寝ているから」と言って体育座りになり、頭を膝の中に埋めてひっそりと声を殺して泣いた。
――なんで馬鹿にされなきゃいけないんだろう。なんでここまで言われなきゃいけないんだろう。彼女はバスケットボールをしたいだけなのだ。あのシュートを入れたときの感覚が忘れられないから。背は小さいけれど、ドリブルで相手を抜いてゴールしたときの爽快感、それを感じたいだけなのに。なんで仲間にそんなことを言われなきゃいけないんだろう。馬鹿にされなきゃいけないんだろう……。
そう思うと胸が締め付けられるように悲しかった。
でも、部活を辞めるわけにはいかない。ここまで一緒にやっていて、今さら辞めるとなると大問題になるのだ。
ちなみに、学年の子のうちの1人は「1年の時に膝を痛めた」と言って夏休み以降部活に出てこなかったが、3年生が引退したらさりげなく復活してきた。その子はとてもバスケットボールがうまい子だったので、誰も何も言わずにすんなり受け入れられ、顧問の先生もレギュラーにしてしまった。その子は部活を休んでいる間、彼氏とイチャイチャして遊んでいたりして、その間の彼女たちは1年ちょっとの間、汗臭い努力をしていたのに。その間その子は爽やかな青春を送っていたのだ。それなのに……。
そして3年生になると、顧問の先生が体育と学年の主任になって忙しくなってしまい、部活にはあまり力を注がなくなった。彼女たちは2年の時も修学旅行と重なって新人戦に出られず、最後の引退試合も「先生の学校行事で行けないから」と中止になってしまった。
卒業の時も、先輩たちの時は先生が趣味の小物を一人ひとりに20人近くに作ってあげたのに、彼女たちの時は「時間がなかったから」と市販のハンカチを渡され、「ごめんね」と心のこもっていない言葉をかけられただけだった。
それから高校を卒業してそれぞれの人生を歩んでいたが、ある時、同級生の結婚式の時にまた集まることになった。彼女は行くべきか迷ったけれども、懐かしさもあって参加して――そして失敗した。
彼女が勤めていた会社が有名なところだったものだから、また別の子がこんな風に言ってきた。
「ねえ、なんであなたがあんな良いところに就職できたの? コネじゃないの? 信じられないよね」
結婚式の間中、ずっとその話題で持ちきりで、彼女は泣かないように必死で耐えていた。挙句の果てには、みんなからこう言い放たれたのだ。
「みんな、あんなバスケットボールなんかやって時間の無駄だったよね。あんなに一生懸命やってたあなた、バカじゃないの?」
――私は、あのバスケットボールのコートに立っていた時だけが本当に幸せだったのに……。
それから彼女が黙っていると、今度は別のテーブルから『理想のおうち』の都市伝説についての話が聞こえてきた。それを聞いて、彼女は思った。
「それなら、あの頃のバスケットコートの中で、ボールを追っているだけの幸せな時に戻れるんだったら、いっそその方がいいな」
その後の彼女の行動は早かった。
会社を辞め、家を解約し、貯金を全部インターネットバンキングの口座に集めた。そしてインターネットをあちこち調べて、『理想のおうち』が手に入るように準備を進めた。
満月の特定条件の日の前日、彼女は和紙に自分の希望の間取りと条件を書いた。それは、あのバスケットボールのメンバー6人全員であの日々を送ること。そして、先輩や後輩の子たちもだ。
名前を覚えていたのは、意地悪をしてきた上の学年の先輩2人、それから自分を馬鹿にした下の学年の子2人。その4人の名前しか覚えていなかったので、その名前を記入し、部活で撮った合宿の写真に「この子たちです」と赤丸で印をつけた。
これで10人のメンバーが揃うから、いつでも試合ができる。いつでも、あのドリブルで相手を抜いてシュートが決まる爽快感が再現できる。
彼女はとても嬉しくなった。そして、洞窟の前に現れた体育館へと足を踏み入れた。
体育館の扉を開けると、体育館独特の匂いが鼻をついた。
「バス、バス、バス」というドリブルをつく音。
「パッシュ、パッシュ、パッシュ」というパスをする音。
そして、「ザシャ、ザシャ」とボールがゴールに入る音が聞こえてくる。
彼女はスーツケースの中から、あの頃のバスケットシューズとウェアを取り出した。「やっぱり使い慣れているものがいいからね。」
そして、自分以外の9人が練習している中に、何食わぬ顔で一緒に混じっていった。マネージャーをやっていた子もちゃんといて、みんなに飲み物を用意してくれているようだ。
彼女はみんなに笑顔で声をかけた。
「さあ、みんな! 試合しようよ! 楽しい時間が始まるよ。ずっとこうやってバスケットボールしてようね!」
すると、みんなは揃って、無表情のままうなずいた。
「「「ファイ! オ〜! ファイ! オ〜!」」」
数日後、密かにSNSで話題になっていた動画が、テレビのワイドショーで何度もリピートされていた。
「各地で、女性が何人も忽然と姿を消す事件が相次いでいます。防犯カメラの映像には、いずれも街中から突然消え去る様子が映し出されていました。共通するのは、全員が『同じ高校の女子バスケットボール部出身』ということ以外、現状は何もわかっていません……」
キャスターのそんな声のあとに、コメンテーターが呆れたようにこう言っている。
「またフェイク動画ですか? 最近こういうの多いですよねぇ。警察は一体どう取り締まっているんですかね」
テレビからそんな音声が虚しく流れていた……。
この作品は不定期でこれからも更新します。お楽しみにお待ちください




