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理想のおうち ***まやかしのお家に満足かな?***  作者: Fos B


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2軒目:【理想の古民家】

世間には、1つの都市伝説がある。「理想のおうちが手に入る」というものだ。

ただし、そこには厳格な条件がある。

そこにたどり着くためには、まず全財産を現金で集めなければならない。もしくは、スマホのインターネットバンキングですぐに入金できるよう、アプリを開いておくこと。

そして和紙に、自分の理想の家の間取り図、条件、好みのもの、欲しいものを全て書き込む。可能ならば具体的な絵や写真も添えて、和紙の封筒にそれらを全て入れ、手に持っていなければならない。

お金や自分が大切に思っているものをスーツケースに入れてもいい。だが、スーツケースの大きさは決まっていないが、色だけは「金色」か「銀色」と決められており、荷物の多い人は両方持ち込んでも良いとされている。

その場所は、ある山奥の中にある洞窟の前。

しかし、そこにたどり着く前に、麓の村からその山への入山ルートは普段完全に封鎖されている。厳格に守られた山であり、足を踏み入れることができるのは限られた者だけ。山道を整備するのも年に一度、決まった日に決まった人が入るような、それほど厳しい条件なのだ。

どうしても「理想のおうち」が欲しい者は、満月の夜、特定の条件が揃った日に指定の品を持ち、さらに「自分の命を差し出しても構わない」という覚悟を持ってその場所に立つ。すると、洞窟までの山道が不思議と開かれ、通れるようになるという。

満月の灯りに照らされて、中肉中背の30前後の男が洞窟の前に立っている。肩には小さめのリュック。スーツケースは持たず、片手にはスマートフォン、もう片方の手には和紙の封筒を持っていた。

彼は少し肩で息をしながら山道を登ってきた。そして、今登ってきた山道を振り返る。麓の方まで薄暗い灯りがぼんやりとどこからか灯っており、かろうじて足元が見える位だ。麓の入り口ではスマホの電波が立っていなかったが、この洞窟の前に来ると復活していた。彼は通ってきた山道をもう一度睨むように見据えると、何かを断ち切るように洞窟のほうへと向き直った。

そして、手元のスマホでネットバンキングのアプリを起動した。すると、瞬く間に彼の読めない文字で勝手に入金先口座などがすらすらと書き込まれ、あっという間に、彼がブラック企業で身を粉にして働き、使う暇もなく貯め込んだ全財産が「0」になった。

その途端、洞窟の入り口に使い込まれた亜麻色の古民家の引き戸の玄関が現れた。彼は扉に手をかけると、それをガラガラと横にスライドさせた。

――彼がなぜ、こんな場所に行き着いたのか。

彼は、いわゆるブラック企業に就職してしまった。大学の就職活動の時に憧れた会社で、面接の雰囲気も理想通りだった。「あぁ、自分はここに入りたい」と熱心にインターンシップに通い、積極的に説明会にも参加して内定をもらい、無事に就職することができた。

しかし、配属された部署が悪かった。上司ガチャに完全に外れてしまったのだ。今時はハラスメントや働き方改革に敏感な時代だというのに、そんなものはお構いなしの昭和の悪い典型のような上司だった。部署の誰もがその横暴さに気づいていたが、上司には強力なコネがあるらしく、会社で問題になったことは一度もなかった(ただ、被害者が泣き寝入りしていただけかもしれないが)。

入社当初の彼は戸惑いつつも、「社会人とはこういうものか」と必死に食らいついていた。しかし、やってもやっても認めてもらえず、仕事量は増える一方。失敗の責任はすべて押し付けられ、若いのによくわからない名ばかりの役職をつけられたせいで固定給となり、残業代は一切出なくなった。

そうしてコキ使われ、追い詰められた末、仕事中に彼はついに倒れ、体を壊して入院してしまった。倒れた場所が社員食堂だったため事態はかなり目立ち、問題は大きくなった。さすがにあの上司も会社から厳重注意を受け、今までの悪事が明るみに出て降格、そして地方転勤が決まった。

入院した彼は、本来なら個室に入りたかったが空きがなく、2人部屋に入ることになった。同室だったのは、先天性の病気で手術をしなければ治らないという高校生くらいの少年だった。母親は1人で、働きながら毎日なるべくお見舞いに来ていたようだ。お互いほどほどに距離を取り、挨拶を交わす程度の関係だったが、心地よい距離感を保てていた。

そんな時だ。あの上司が「お見舞い」と称して、嫌味を言いにやってきたのは。

人目を気にして彼は小声で話していたが、狭い2人部屋では隠し通せるはずもない。たまたま付き添いに来ていた少年の母親に、その暴言がすべて聞かれてしまっていた。

「無能なお前のせいで俺が左遷された。体が弱いのはお前のせいなのに、なんで俺が責任を取らなければいけないんだ。納得がいかない。会社に『誤解だった』と説得しろ」

上司は枕元でそうまくし立て、抑えていたはずの声は次第に興奮を帯び、乱暴な勢いになっていった。

それに気づいた少年の母親がすぐに看護師を呼びに行き、「病人になんてことをするんだ」と、ナースステーションから駆けつけた看護師たちに上司は部屋から追い出され、警備員にも連絡された。それから二度と上司が来ることはなかった。

彼は同じ病室の少年と、その母親に心から感謝した。その小さな親切と優しさが、疲れ切った心に染み渡った。

会社に復帰してからの彼は、まるで腫れ物に触るような扱いだった。新たに上司になった人間は「また問題になると面倒だ」と事なかれ主義を貫き、「君はそんなに無理しなくていいんだよ」と、重要な仕事から完全に外された。いつの間にか、いわゆる窓際族になっていた。

ただ給料をもらいに行くだけの日々に、彼はもう何もかもが嫌になってしまった。

そんな時だ。社員食堂で隣の席にいた他部署の女性社員たちが、「『理想のおうち』という都市伝説があるらしい」と話しているのを耳にしたのは。

彼は帰宅後、すぐにインターネットで調べた。初めは半信半疑だったが、読み進めるうちに奇妙な現実味と確信が増してきた。もともと、「この会社を辞めて、過酷な労働で貯め込んだ貯金を元手に田舎へ引っ越そうか」と考えていた矢先だった。しかし、ネットで調べると、いわゆる「ポッと出の移住者」が田舎のコミュニティに馴染むのは容易ではなく、独身だとなおさら孤立して東京に出戻るパターンが多いと知っていた。

だからこそ、彼はこの「都市伝説」に賭けることにした。

会社を辞めて退職金をもらい、それまでの貯金と、あの最低な上司から勝ち取ったわずかばかりの慰謝料をかき集めて、特定のネットバンキング口座にすべて入金した。社員寮を出る準備としていらないものはすべてゴミとして処分した。彼には、スマホだけで十分だった。

彼はスマホだけを手に、満月の夜、特定の条件が揃ったあの洞窟の前に立ったのだ。

そして今――。

彼が古民家の扉を開けると、そこには思い描いた通りの「理想の古民家」が広がっていた。

室内には囲炉裏があり、縁側があり、窓の外には里山の風景が広がっている。遠くには青々とした山々、山へと続く小さな川、その脇には田んぼ。家の前には小さな畑と、実のなる果樹の木が何種類もあった。

土間には竈門、そして昭和の時代の水道がついたタイル張りの流しがついていた。流しの前には、ちょうどいい「踏み石」が敷かれている。

「これで流しを使ったときに水が跳ねても滑らないし、火を使ったときに油が飛んでも大丈夫だな」

彼はその踏み石を、思いっきりジャンプして力任せに踏み締めた。その瞬間、足元の石がうめき声を上げたような気がした。

彼はにっこりと笑い、つぶやいた。

「毎日、何回も何回も踏みしめてやるよ」

その踏み石は、元上司がよく着ていたスーツの模様と同じ、あの不気味な縞模様をしていた。彼のリクエストの一つは、「元上司を踏み石にし、毎日何回も踏みつけることができるようにすること」だったのだ。

彼がその踏み石を踏みしめながら、土間で野菜を洗っている。

畳の居間には、誰も見ていないのにブラウン管の白黒テレビがついていた。

そこに映し出されていたのは、病院の光景だった。あのとき、病室で親切にしてくれた少年と母親の姿だ。

彼のもう一つのリクエストは、「あの高校生の少年が、親切な匿名の人からの寄付で手術を受けて元気になり、退院する姿を、昭和レトロなブラウン管テレビで見ること」だった。

テレビ画面の中では、少年が看護師たちに見送られて嬉しそうに手を振り、母親と一緒に何度も頭を下げていた。

だが、歪んだ笑みを浮かべた彼は、足元の「踏み石」を踏みしめることにすっかり夢中になっており、ブラウン管に映る温かい映像を振り返ることは――いつまでも、なかった。

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