第十六話 蘇るメッセージ★
漆黒の深海に佇む『藍色セクター』での過酷なサルベージ作戦を終え、私とステラを乗せた魔導潜水艇『エーテル・ポッド』は、下層セクターの地下水路を潜り抜けて無事に秘密のセーフハウスへと帰還した。
ガレージに艇を固定し、狭いコックピットから這い出た私たちは、全身を包み込む漆黒の防水サイバースーツを脱ぎ捨て、ようやくいつもの柔らかな銀色と白の部屋着へと着替えることができた。
極薄のハイテク素材に身体のラインを限界まで強調されていたあの張り詰めた羞恥心から解放され、私はベッドの端に腰掛けて、ふぅ、と深く長い安堵のため息をついた。
しかし、隣にいるステラには、疲れて眠る気配など微塵もなかった。彼女のトレードマークである真っ赤なタイツを履いた両脚は、興奮のあまり小刻みに弾んでおり、その琥珀色の瞳は、デスクの上に厳重に安置された琥珀色の『データ保存用結晶体』へと釘付けになっていた。
「さあ……っ、お待たせ、ルナ! これより、我がセーフハウスのメインコンソールの全量子演算能力を解放して、この超古代の結晶体のデータ解凍を開始するよ!」
ステラは叫ぶような勢いでメインコンソールの前に陣取ると、特殊な絶縁ピンセットを用いて、結晶体をホログラム再生スロットの核へと慎重に挿入した。
カチリ、と厳かな電子音が室内に響き渡る。
直後、セーフハウスの純白の壁という壁が、一瞬にして膨大な文字列と、見たこともない形式のインジケーターの濁流によって埋め尽くされた。室内の有機ELライトが自動的に明滅を繰り返し、結晶体の内部に刻まれた三次元の超微細な回路が、眩い琥珀色の光を放って猛烈に回転を始める。
「システム同期率、十、二十……五十……、いける! 私の特製エミュレーターなら、この超高密度データを完全に読み解けるわ! デコード、開始ッ!」
ステラの細い指先がキーボードの上を弾むように踊ると、部屋の中央の空間に、幾百もの映像ホログラムが、まるで満天の星々のように爆発的に広がり、浮かび上がった。
そこに映し出されていたのは、圧倒的な『歴史』の塊だった。
「……な、何これ、この映像の量……っ!?」
ステラが驚愕のあまり声を震わせる。
結晶体から再生されたのは、西暦千九百年代前半――人類の歴史が初めて「映像」という動的なデータとして克明に記録されるようになった時代から始まる、西暦四千年までの地球上の様々な記録を収めた、気の遠くなるほど膨大なアーカイブデータだった。
白黒の不鮮明な記録映像から、徐々に色彩が豊かになり、立体的なデジタルデータへと進化していく人類の歩み。そこには、大都市を埋め尽くす人々の笑顔、失われた緑豊かな大自然、かつて大空を飛び交っていた原始的な航空機、そして幾度もの興亡を繰り返した国家の記録が、地層のように積み重なっていた。
「……そうか、分かったわ。あの海上研究施設は、ただの研究所じゃなかったんだ……。ここは、かつての人類が遺した『全地球記録の最終保管庫』だったのよ! ネオ・エデンの効率主義の歴史の中で、天災や、繰り返された大戦の人災からこの貴重な記録を守るために、当時の先人たちが、意図的にアクセスを遮断して、海の底へ隠蔽したに違いないわ……っ!」
ステラはホログラムの光に全身を照らされながら、オタクとしての、そして歴史のサルベージャーとしての深い感動に打ち震えていた。
私はその映像の波の中に、自分の魂の故郷の文字を探した。画面の端に並ぶ膨大なカテゴリーインデックス。その中に、見慣れた文字を見つけた。
――『JAPAN(日本)』。
私が細い指先でそのファイルへとそっと触れると、データが優しく解凍され、部屋の中央の空間へ、一際大きく、鮮やかな立体ホログラムとなって収束していった。
「――、――あっ」
私の唇から、微かな感嘆の声が零れ落ちる。
暗くなったセーフハウスの室内に浮かび上がったのは、ドーン、ドーン、という、お腹の底に響くような懐かしい音と共に、夜空を大輪の赤や金色、青色に染め上げる、美しい『花火大会』のホログラム映像だった。
それだけではない。カメラの視線がゆっくりと移動すると、そこには浴衣を着て笑い合う普通の家族の姿や、出店から立ち上る美味そうな湯気、ネオンの光に照らされた三千年前の普通の街の風景が、驚くほどリアルな質感で再生されていた。さらには、当時の人々がネットの片隅に遺した、他愛のない、けれど温かいメッセージボードの文字列までもが、空中に優しく展開されていく。
地名が、文化が、私がかつて「五十鈴飛鳥」として確かに生きていたあの世界の証拠が、今、三千年後の未来の地球において、完璧な歴史の事実として証明されたのだ。
「……ああ、やっぱり、ここは私の生きていた地球なんだわ……。まがいものなんかじゃない、私の故郷なんだ……」
私は、眩い花火の光に顔を美しく照らされながら、懐かしさと愛おしさのあまり、細い目を優しく細めて微笑んだ。千年の孤独の果てに、ようやく辿り着いた答えが、そこにあった。
「凄い……凄いわ、ルナ……っ! こんなに綺麗で、こんなに泥臭くて温かい文化が、本当に私たちの先祖の時代に存在していたんだね……っ! 中央AIの無機質なデータなんかより、何億倍も人間らしい、最高のサルベージだよ……!」
ステラは琥珀色の瞳に大粒の感動の涙を浮かべながら、私の銀髪の頭を横からそっと抱き寄せ、自分の肩へと預けさせてくれた。部屋着の上から、彼女の熱い鼓動が伝わってくる。
「ルナ。例えこれから、都市の過去がどれだけ書き換えられて、誰もその時代を知らなくなっても……、ルナがそこに生きていたっていう証拠は、私が全部、この私の特製データベースに、誰にも触れさせないように愛おしく、大切に残してあげるから。だから……もう一人で寂しがらないで?」
「……ええ。ありがとう、ステラ」
私は彼女の優しい言葉に胸を熱くしながら、握られた彼女の手をギュッと握り返した。
その夜、私たちはデータバンクの格納完了を見届けると、デスクの上に、下層セクターの最高級店から仕入れてきた未来の『合成酒』のボトルを並べた。青く発光する美しいグラスに液体を注ぎ、カチン、と小さな音を立てて乾杯する。
「私たちの、初めての本格サルベージの大成功に、乾杯!」
「乾杯、ステラ。最高の夜ね」
未来のノンアルコール酒は、フルーツのような爽やかな甘みを持っており、冷えた液体が私のエルフの身体を心地よく潤していった。私たちはグラスを傾けながら、三千年前の地球の食べ物のこと、そしてこれから二人で挑む、さらなる未開の海底セクターや、失われたロスト・エリアの冒険の計画について、夜が明けるまで楽しく語り合った。
やがて、解析の熱気と心地よい疲労が、私たちを包み込んでいく。
「……ふぁ……。ルナ、私、もう目が開かないよぉ……」
「ふふ、お疲れ様、ステラ。ハッキングも解析も、頑張ってくれたものね」
ステラはベッドの上にフラフラと這い上がると、靴を脱いだ私の銀色に輝く白いタイツの脚の上に、自分の真っ赤なタイツの脚を無造作に絡みつけ、そのまま私のウエストに腕を回してギュッと抱きついてきた。
お互いの部屋着の薄い布地を通して、少女としての甘い体温と、安心しきった寝息が私の胸元に直接伝わってくる。中身が男子高校生である私は、そのあまりの至近距離の百合日常の甘さに顔を赤らめながらも、不思議と、もう戸惑うことはなかった。
私は彼女の短い栗色の髪を、「兄」としての無自覚な優しさでそっと撫で、彼女の温もりに寄り添うようにして、静かに目を閉じた。
手に入れた過去の記憶を胸に、私たちはこれからも、この未来世界の海をどこまでも突き進んでいく。等価交換の契約を超えた、世界で一番大好きな相棒と共に。二人の幸福な冒険の旅路は、まだ始まったばかりだった。




